芭蕉さんも通った「伊賀街道」、「大乗寺院跡」や「野仏」探し その3

2022-01-05 12:35:51 | 神社仏閣など
旧伊賀街道の野仏の道」は、昔は軽トラくらいなら走っていたかもしれませんが、
今は、山からの湧き水や大雨などで崩れかけたり、
狭くなっているところもあるので、車ではなく徒歩でぜひどうぞ…
あくまでもウォーキングコースです。

左に流れる「服部川」、流れを遡る感じで歩いています、
なので上流に進むにつれ石の形状が変化していきます。
そういう様を見ながら進むのも面白いです。
山側は谷筋が多く、大きな石がゴロゴロ、
これらの巨石が川に落ちていったのかと思える風景もあります。
落ちずに済んだ巨石に仏様神社跡の文字などどんどん出てきます…
ここに、「神社?」「お寺?」と思うとゾクゾクしてきます。

 この風景の先

⑤「七体地蔵」(本尊と六地蔵とも)
  
幾度となく繰り返されたであろう大雨による土砂の流入などで、
どんどん埋もれて行ったのではないかと思われます。

仏様たち、肩から頭部にかけてしか見ることができません。
真ん中は「本尊」ではないかとのことですが、ワタシには??

この先少し進むと
  「石垣」(谷積み?)
これは、崩落防止用でしょうか?
江戸後期には≪築石の対角線が垂直になるように積んでいく≫工法が合ったようで、
「谷積み」とか「落とし積み」とも言うそうですが、これは一体?
ここにお城があったとも思えませんが…(まったく個人の見解なのでスミマセン

「旧伊賀街道」も中間地点くらいかな
   
「急傾斜」あり、対岸の「岡山」か、「巨岩群」のあと「竹林」に入ります。
道は狭いですが「竹」の地下茎に守られてる気がするし、
見上げれば陽の光が当たって神々しくエエかんじです(笑)。
この竹林まで諸石仏たちと、変化する風景を見ながらゆっくり進んで約25分。

ここから先、なんと文字岩(磨崖碑)出現!
おっと、菩薩様です。
⑥「弥勒菩薩
  
「弥勒菩薩」も竹に守られておられます。

左の服部川、穏やかそうです…

ここら辺の山側には中世寺院跡でもある「大乗寺」というお寺があったそうな。
(「野仏の道」の解説によれば、
≪大乗寺跡のふもとには「鳥居の礎石」と思われるもの、
この神社の上に「大乗寺跡」がある≫と書かれておりました。)

では、三つの磨崖碑をどうぞ~~
⑦「八幡宮岩
 

⑧「太神宮岩」(ダイジングウイワ)
 
寛永六年 上野宮前 太神宮・・・」などの文字が読まれるとのことですが…

磨崖碑「春日宮」(マガイヒ カスガグウ)
 


落葉や木々を見ると、知る人ぞ知る「紅葉スポット」のようです、
今年の晩秋にでもいかがでしょ?(笑)。

そして、確かめようはありませんが、
寛永21年(正保元年、1644年)に生まれた「芭蕉さん」
江戸など往来する時、この「伊賀街道」を通っていたはずです、
ここに建っていたであろう「上野宮」や「大乗寺」にお参りされていたのではないか?
と、勝手に想像しています…

まだ「石仏群」は続くので、今日はここまで
ではまた
コメント
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