山城国分寺跡(恭仁京跡)で彼岸花、秋桜もう少し…帰りは「木津川橋梁」を見て

2024-09-30 13:00:34 | 花や風景など
すっかり過ごしやすくなって、過去行ったところいろいろ、
秋はどんな具合かと気になり、再訪問あちこち。

例えば、
木津川橋梁訪問記」(過去ログより)も下手ながら書いているのですが、
ここは通る度につい寄り道したくなります、なんでやろ?と思うのですが、
やっぱりこの木津川の流れに浮かぶように見える姿やろか、
こうして見てる間に2度、気動車、しかもお茶の京都ラッピング列車一両がここを往復するんです。
なのに今回は何も撮れなかったという悔しさ
でも穏やかな流れと橋が撮れたから、まっいいか


昨日、加茂方面へ行ったのでその帰り道の写真です。
時系列逆回しで往路では、
 
南山城農林産物販売所から一瞬「お茶の京都」列車、
笠置キャンプ場は相変わらずの人気の様子。

そしてココ、「山城国分寺跡/恭仁京跡」の彼岸花と咲きかけ秋桜。(木津川/みかの原辺り
  

今週末くらい、どうでしょうかねぇ??
空いた時間を見つけて行くしかないなぁ、10月11月は「芭蕉月間」、忙しいしなぁ💦

下の記事は再掲ですが、何度読んでも行きたくなるお話です…
明治時代に造られた関西本線木津川橋梁

ではまた
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ゆめが丘南公園、草刈り作業…

2024-09-27 15:08:53 | つれづれ思うまま
大変なことになってます、というか散歩する者にとっては有難いことなんです。
とても感謝しているんです。
夏の間に生い茂った雑草が游歩道迄はみ出しちゃってて💦
歩きにくいなぁと思ってたのは事実。
でも酷暑だったので、これはこれで伸びるだけ伸ばしちゃって、
その時が来たから「それ、やっちゃえ!」って感じでしょうか、嬉しいです。

訪れたのは昨日(2024/9/26)の夕刻
 

それまではね、草刈り機などが待機してたり…
大体が夕方しか行かないものだから稼働中を見たことがない💦
 
※ハンマーナイフモアとかいう除草機械
 
こんな感じでできるのだろうか…カッコいいなぁ
機械の説明を見ていたら
<ある程度の傾斜はこの機械で作業出来ます。
草むらでの作業ですので、前方がどのような状態か予測しながらの作業になります、
経験をつんだオペレーターじゃないと出来ません。
機械では刈れない場所は手刈り(刈払機)での作業になります。>だそうです。


昨日は、遊歩道に出て一目で様子が変わったなと思ったのです。
小波田川という流れがあって、その川の中の雑草が一斉に刈られていたのです。
なかなか壮大な景色…
   

  
ほぼ川辺ばかり撮ってました。

さて、この雑草、
今日は処分されていると思いますが、また綺麗になったところを見てきますね✋

ではまた

続編、一日おいて土曜日の散歩…
たくさんの作業スタッフさんのもと、刈草積み込み大作戦のおかげで
   

遊歩道もスッキリ、水辺の石段もサッパリ、
見違えるような景色で、とても歩きやすかったです。
出会った作業スタッフさんにお礼を…伝えておきました
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険道42号線伊賀越道を下りたらそこは伊勢國、その4。安濃ダムから長徳寺、河内渓谷、石山観音公園へ。

2024-09-26 16:26:48 | つれづれ思うまま
 地図再掲。

「安濃ダム」から危険ではない「県道42号線」(起点は三重会館前交差点、終点は上阿波字箕谷)を東へ、
安濃川沿いに約5分。地図を見ながら走り、このお寺を見つけたわけです。

曹洞宗 長徳寺
※「長徳寺の四季
  
お寺の駐車場と山門
中に入って、これが有名な『龍王桜』と。
  
説明を読んでいて、「普賢桜」(フゲンザクラ)という名前は・・・確か聞いたことがある。
普賢、ふげん、フゲンと探していたらありました!

ちょっと逸れます💦
花垣予野の八重桜」の項?です。
なんとまさに今放映中の大河「光る君へ」の中の一条天皇、(道長の娘/ドラマの中では)中宮彰子さまが絡んでいました。
三重県伊賀市予野・花垣神社にあり、奈良県の八重桜に類似しています。≫
また、逸話として
≪奈良の興福寺にある八重桜を、一条天皇の后であった中宮彰子が京都に移そうとした。
これを知った奈良の僧徒は腹を立てて止めさせた。
彰子は奈良の僧徒が風情を解するものだと知り、花の時期には花の守を置くことにされた。
この花守には原産地の予野の村人を当て、庄を賜った。
以来この地を「花垣の庄」と呼ぶようになった。≫とな。

ドラマの中ではこんなシーンは出てこないですが、
花垣の八重桜」の歴史はこんな古い時代の話だったのね、ということ。
今更ですが理解できたわけです。
(そんな話知ってるわ、という方々には笑われそうで恥ずかしいですが💦💦)
あまりこの時代のことって知るチャンスがなかったので、凄く興味を持って見ていました。
そしてなんと「桜」が絡んで「花垣の八重桜」、「普賢(象)桜」とつながったわけです。
まさかの芸濃町で、由緒書きを読んで、ドラマとつながり、花垣へ飛んでった…(笑)。

※ドラマでは、一条天皇(=塩野瑛久)、中宮彰子(=見上 愛)
※参考「伊賀の歴史/上下巻/郷土出版社」より
 

話題を戻しまして、長久寺の普賢桜はその季節にまた訪れたいものです。
その先をほんの少し進むと、今度は「河内渓谷」の看板!
 
確かに「青もみじ」が綺麗だし、秋になればきっと「紅葉は素晴らしい」と想像できます。
「忍田橋」(オシダ)と読みますが、古いアーチ橋があるはずなんですが、
木々が生い茂りその隙間から辛うじて見えるかな??
  

近くには「雲林院城跡」(ウジイと読む)。


※「令和元年の河内渓谷界隈紅葉の様子
ライトアップ時期は11月中旬から12月上旬を予定しています(令和6年情報)、だそうですよ。
行ってみたいですね

河内渓谷で16時15分になりましたので、ぼちぼち帰路に着かねばなりません。
帰り道はさすがにあの険道を再び通る気にはならず「名阪国道」経由を選択。
関ドライブインの手前に確か「石山観音公園」という大きな看板がある、
通るたび気になる場所で、今回は下見を兼ねて少しだけ寄り道します。

地図では「横山池」というのがあってその横を通ると意外と近道、
伊勢別街道に出ればもう慣れた道、「石山観音公園」までは行けそうな気がする…
はい、ほんの15分ほどで到着。
  

  

またのチャンスを狙います。

では、これで今回のドライブは「完」。
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険道42号線伊賀越道を下りたらそこは伊勢國、その3。錫杖湖、安濃ダム、長徳寺、河内渓谷へ

2024-09-23 23:04:40 | つれづれ思うまま
伊勢平氏伝説の地の一つ、落合。
正しくは「芸濃町河内」ゲイノウチョウコウチと読む。

ここで、お断り…
ワタシはどうしても泉南地方の「河内」カワチをイメージしてしまうので、
読み方が混乱してしまいます💦💦
例えばね、今年のコレ!元気な河内弁で統制とって頑張ってますよ。
※映像「岸和田だんじり祭 試し曳き」①
※映像「見るのは危険かも、『試し曳き』② 落ちても大丈夫なんだね
脱線してしまいました、ごめん

平維盛開基といわれる「岩間山 成覚寺」(広報津:H24/6/16号)を後にして「落合橋」を渡り、安濃川に沿います。
ココは、
 
「錫杖湖周辺マップ」と「海抜172.7m地点」だそうな。
湖面を見ると、なんと
 
おっ、水がない??
錫杖湖水荘 レストラン湖水」のスタッフの方にお聞きしました。
「夏場は、いつもこんなんですよ、水はないんです」と…あれま、そうなんですか、残念…

「日本野鳥の会/三重/安濃ダム/錫杖湖」のページに詳細が載っています、ご参考に。

また、Wikipedia情報では
<安濃川に沿って三重県道42号津芸濃大山田線が北東から南西に通過する。
集落はこの県道に沿って形成され、南ノ垣内(ミナミノカイト)・六呂屋(ロクロヤ)・覚ヶ野(ガクガノ)・下ノ垣内(シモノカイト)・落合・北畑(キタバタ)・杖立(ツエタテ)・梅ヶ畑(ウメガハタ)・宝並(ホウナミ)の9つからなっていたが、
杖立は安濃ダム建設のため、錫杖湖に沈んだ。
このうち、南ノ垣内・六呂屋・覚ヶ野を「上の垣内」
下ノ垣内・落合・北畑・杖立を「中の垣内」
梅ヶ畑・宝並を「下の垣内」という>そうです。

これも余談ですが、高校生時代の後輩に青山方面から通うブラスバンド所属の「大垣内」くんが居て、
オオガイトと読むんだ、ということは知っていたので、ワタシにとっては難読ではなくふつうに垣内=ガ(カ)イトと読めます(笑)。
こちらは→過去記事です。(今回は脱線が多い💦)

そのまま、ダム湖沿いに進みます、初めての「安濃ダム」。
景色のみ…
  

 堤体を渡って
真ん中辺りで
   

  

伊賀越をして安濃川上流の様子を見て心配になりましたが、
この湖水(錫杖湖)をみて夏場はどうしてもこれくらいになっちゃうのかな、と。
灌漑用ダムなので、過去には雨乞いの神事もあったり、大雨で簡易な堰が壊されたりとか、
いろいろ苦労があったことと思われます。
ダムのおかげで安定供給がされれば安心して過ごせますね、
今年は津側のダム二つ行くことが出来て良かったです。(も一つは「君ケ野ダム」でした)

では安濃川沿いにそのまま少し下流へ


つづく。
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険道42号線伊賀越道を下りたらそこは伊勢國、その2。「落合の郷」「成覚寺」維盛伝説地。

2024-09-21 00:50:23 | つれづれ思うまま
前知識もなく、なんの勉強もせずに伊賀の西端から峠道(「伊賀越」というらしい)を下りた先は…

帰ってから調べたところ、旧「三重県安濃郡河内村」だそうな。
布引山地を横断?するように進んだわけで、当然川の流れは「伊勢湾へ」。
伊賀と津の境の峠道を下る途中、山の中腹部にお家が2・3軒ありました。
流石にここは空き家でしょ…と思いましたが、なんと自動車が停まっておりました。(失礼しました)
なにせ、ここまで杉や雑木の林を抜ける一本道だったもので、急に家があると です。
まさに「ポツンと一軒家」に出ても不思議ではないような…(と、運転手が申しておりました(笑))
川沿いに下りてきたのですが、さて地図で見ても川の名前はわかりません…
この山から流れる川筋は何本もあって、丁度合流した辺りで「安濃川」となるようです。

公的?建物としては、下の二つの神社とお寺があります。
  
春晃山澄源寺】(チョウゲンジ)/真宗高田派
小川内神社】(オカワチジンジャ/読み方は平凡社・三重県の地名より)
<奥芸濃町河内南之垣内/コウチミナミノカイト
河内の南之垣内集落の下流、安濃川左岸にある。
旧村社。祭神は天穂日命と八所御霊神をはじめ多数の神を合祀する。
古来河内明神とよび、(中略)安濃川水源の神であるが、
古くより祭礼に騎射の神事があった(三国地志)>とのこと。
※騎射=流鏑馬のことと思われます。

伊賀越峠道図

 googleではここを下りてきた

その先、さらに川沿いに進んで道の分岐に差し掛かる。
この辺りの地区は「芸濃町河内村」(Wikipediaより)というらしい。
以外や、キャンプ場などの看板などが見えたのですが、それよりまさかのこの案内版、
 
「(徳川家康の側室)於奈津」生誕地、「平維盛」、「平家伝承地」とか・・・
『落合の里に清雲院於奈津誕生
伊勢の清流、安濃川の水源、落合の里は源平合戦の昔、西海長門の壇之浦て敗れた平家の一族が隠棲した所。
近くの成覚寺は小松三位中将平維盛の開基と伝えられ、尊像や墓碑が祀られている。
また南郊には天下泰平に尽くした徳川家康の側室, 清雲院於奈津の出生地がある。
於奈津は天正九年(1581)、当地に生まれ、翌年の本能寺の変のあと、
伊賀越えをした家康と出会ったとも伝わるが、京都・二条城で家康を刺客から救った功績で
側室に召された。江戸城三の丸に屋敷と中野村五百石を賜り、関ヶ原合戦や
大坂冬夏の陣にも従軍。安濃津城主藤堂和泉守高虎ら 六人衆と共に幕政を助け、
のち秀忠・家光にも仕え、 伊勢商人の江戸進出を援助した。』
於奈津(Wikipediaより)

ここがいつの頃からか気になっていた、平家落人伝説の残る「落合」なのか、と。
これは気になる、この「岩間山 成覚寺(ジョウカクジ)」是非伺わねば。
ということでキャンプ場の見学よりこちら優先で、
路駐できそうな道幅だったので、車を停め、スゴイ激坂を上った先には…
  



本堂前で女性ご住職の方にお目にかかり、ぜひお上がりくださいと本堂に参らせていただき、
 
「ここは伊勢平氏伝説の残る地で、屋島の戦いで敗れた平維盛公は、
那智沖で入水したように見せかけてこの地に31人の家来と共に隠れ住みました。
31人の家来たちは皆『落合姓』を名乗り、この地で生き抜いてきた。
(清盛の孫)維盛のお墓もあります。また維盛は大層なイケメンだったとか…」
そんな伝説が残る地なんですとのお話を伺い、またお堂の格天井にはなんと
  
「桓武平氏の家紋/丸に揚羽蝶」「落合家の家紋/扇に日の丸」が。
お堂の裏手に回ると「平維盛の墓」「梛(ナギ)の木」など。
  
」は、以前「清盛のお父さんの忠盛の産湯地」を訪ねた折にも見たので、
これも何かのご縁かと驚いた次第。

また「天水受」にも『扇に日の丸』、
その中にはなんと「モリアオガエル」のオタマジャクシがいっぱい!
これもなかなか希少なカエルちゃん、初めてお目にかかったのでこれまた何かのご縁。
目が合って、嬉しかったです、可愛い💗(※ちなみに卵はコレ
  

お寺を後にする時、教えてもらったのがココ、

ここは「神君伊賀越え、もう一つの道だった」かも、とのこと。
それでこの険道は「伊賀越」という別名が付いているのか?とは勝手な想像です、あしからず。

そして、てんこ盛りの話のついでに…
※全国至る所に、平家の落人伝説』(Wikipediaより)はあるそうで、ここもその一つ。
 山深いところです。

平忠盛(小倉山荘より)

家族連れにおススメは、
※『落合の郷』:大きな駐車場もあって、支流の川岸に親水公園もあって、 バーべキューなども楽しめるみたい、ですよ。
この「落合の郷」へ来るには、もう一つ極道があるらしい、
moni5187様に教えられた道は、こんな道「柚之木峠越」もあるそうですよ。
 
加太駅で見た「錫杖岳への地図」にもありました。

さぁ、これから安濃川沿いに進みます。
ではまた

「梛」について追記(2024/9/21 10:30)、
成覚寺を訪問した際に「梛」の説明を受け、雌雄一枚ずついただいてきました。
雌雄が揃っていないと実がつきません、銀杏や冬青(ソヨゴ)も同じですね。(ほかにもあると思いますがワタシの知る限り…)
 葉脈を見て!
見るだけではそんなに変わりはないけれど「葉脈」がミソで、
樹木の中で葉脈が「縦」に入っているのはなかなか珍しい、とのこと。
調べていて見つけたblogに詳しい説明がありましたので、リンクさせていただきます。
『「縁結びと厄除け」の梛の葉(奈良佐保大学教職員blogより)
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やっと出会った「彼岸花(曼殊沙華)」、傍には「萩」。

2024-09-19 00:51:39 | 花や風景など
ずっと探してて、きっとココなら咲いているかも…と、訪れたとある場所。

曲がり角を曲がって赤いそのコを見つけた時は、ドキッとしました(笑)。
季節にはその旬の花に会いたいなと思ってて、気候変動だとかなんだとか言っても、
やっぱり日に日に昼間は短くなってるんだし、夜明けも遅いし…ね?
日の入り日の出はそれこそ暦通り、きちっと守られているわけで、
いつまでも暑い暑いと嘆いていてもやっぱり秋の足音は、虫の音と共にちゃんと聞こえて……ますよね?

伊賀上野城下町二之町筋の西の端っこ、福居町に変電所があって、その近く…
  

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ここで、ちょっと気が早いですが…
彼岸花、冬の葉っぱ
≪ヒガンバナは花と葉が別々の時期に出るので、「葉見ず花見ず」などともよばれます。
多くの植物は春先に芽を出し、夏の暑い時期に葉を繁らせ、秋に枯れます。
ところがヒガンバナの葉は全く逆に、寒い時期に色濃く繁り春先に枯れてしまいます。
緑の少ない時期なので、冬にヒガンバナの葉はかなり目立ちます
9月に花が真っ赤に咲いていたあたりを、冬に歩くとすぐ見つかります。
日本のヒガンバナは花が終わっても実は結びません。
つまり、種ができないのですが鱗茎が分かれて増えていきます。
川土手などに大群集をつくるのはそのためです。≫ (再掲/ヒガンバナの葉を見たことがありますか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

一年ぶりなので心配だったけど、ちゃんと鱗茎は生きていたということですね

さて、ニュースのコメントでは
「花もビックリの暑さで、彼岸花は気温に左右されることが多いんです。
大体最低気温が20℃を下回るようになって、涼しいなと感じるようになると芽が出てくる」とか。
まだまだ20℃なんていつの話??みたいな状況ですが、あわてんぼうさんはどこにでもいるようで(笑)。

そして、そこの彼岸花の傍にはいつも秋の七草のこの花、
  

  

 ヤブランも一緒に添えて


ここも、いつも気になるところ、
福居町で彼岸花を見つけたのでついでに行ってみた…
 💦💦
畦道の草刈りとのタイミングがイマイチ合わなかったのか、
これから刈られてしまうのか、ワタシにはわかりませんが、
願わくば、こんな風に見られるといいなぁ~~(2021/9/27撮影)

険道42号線のその先に、戻らないと💦💦
ではまた
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ちょっと道草…要注意なこの花が咲き出したので(荒地盗人萩…)、気を付けて

2024-09-17 11:41:20 | 花や風景など
2022/9/21の過去ログでも書いたのですが、
今朝裏庭で見つけました、「アレチヌスビトハギ」が可愛く咲き出したので…
ついにこのコの季節がやって来たな!と。
 
自分自身への啓発?のために今一度、採ってきました、庭から。
 
まだ、タネにはなっていません、がぁ~

可愛い花には「小さな小さな棘」があります、
その花がタネになると・・・触ればネバネバした感じ、
コレの正体って実は「トゲトゲ」だとか
だから、草むらに足を踏み入れようもんなら、こうなります…「ひっつき虫」参上!見本。
 ね💦💦

気が付いたら「抜き去った」ほうがいいのですが、それがなかなか量産ものなのでタイヘン💦

そこで、いったんひっついてしまったこのコを取るにはどうするか?
  2024/9/18に出会ったコ(実/タネ)

ということで「不織布マスク」の出番ですよ~
と、草刈りに追われる知人にお知らせしておきました(笑)。

*お散歩の時にタネには近づかないように、気をつけようっと。
この術を知ってから
*マスクは口にするものではなく、ポケットにしまっておくもの。
になっちゃいました(笑)。

ぼちぼちの「秋」です。

より道終了、ではまた✋
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伊賀→津市の三重県険道42号線を越えたら…

2024-09-15 00:59:14 | つれづれ思うまま
どこに行くのでしょうか?
地図ではね、よく見てたんですけど、はてさて?
「安濃ダム」を目指すそれまでに、何処へ出るのか…

そんな走るだけなら1時間弱のドライブですが、それがなかなかどっこい、
途中寄るところ多々あって、書くには長くなりそうなので「その1」にしようかな…と。

「大山田歴史資料館」へ寄って「大山田の古墳」の展示物を見て、
さぁ初挑戦の冒険道を行ってみましょうか🚙

その道中「平松宿」辺りで「女郎花」が満開、
出後の水車横の花壇の綺麗な花に見惚れ、一路「猿蓑塚」へ。
  

どんな道なのかは知人に聞いたことがあって、軽自動車で必死になって走ったとか、
峠を越えたら「安濃ダム」に出たけれど・・・という話でした。
昔、地図を眺めていて「落合」とか「河内」という地名にビビッときた記憶あって、
いよいよその「ビビッと」感じたその場所に行けるかもという期待感半分、
険しいとは聞いた不安感半分、ともかく進もう!

峠道には違いないし、杉林続くその縁辺りには「マツカゼソウ」。
しばらくマツカゼソウ道は続きます、白い花はまだ咲きかけの頃でした。

1車線の道、片側にはガードレールあったりなかったりの林道、
写真を撮る余裕はなく、ここが「市境」という証拠だけ撮った!
 
でもね、比較的森深くという感じではなく、間伐も適宜行われている風で、
明るい林道!という印象、雨の日に走る道ではないけれど、
お天気さえ良くて、対向車が無ければgoodです(笑)。

通称「津芸濃大山田線」という県道(険道で良いと思う💦)

まぁ、今日はここまで、
ドライブ日は2024/8/24のこと。
 こんなルートで…

ではまた
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「芭蕉さん、最後の伊賀」を訪ねるウォーク、11月に

2024-09-12 00:13:08 | 「伊賀上野語り部の会」で勉強中
伊賀の地で生まれた芭蕉さんの里帰り。
伊賀上野で過ごした生涯最後になる里帰りの約50日間の足跡を訪ねます。
城下町に残る句碑を巡ってその想いを肌で感じてみませんか?
きっと今感じる新しい発見があるかもしれません。
今回のウォーク(11月に3回)だからこそ訪ねる場所もあります。
語り部と一緒に歩いてみませんか?

 チラシ表面

 コース案内

情報YOU紙面より


~開催日いずれも令和6年11月~
2時間コース 11/4(月・祝)
同じく2時間 11/13(水)
健脚3時間コース 11/17()

~参加要項~
参 加 費:中学生以上700円小学生無料
(入館料2ヶ所・資料代・伊賀の和菓子・保険代)
参加対象者:小学生4年生以上の方
集合場所:上野市駅(愛称:忍者市駅/伊賀鉄道)
集合時間:午前9時00分から受付開始
出  発:午前9時30分
解  散:11時30分~12時30分(上野市駅 伊賀鉄道)
そ の 他 :歩ける服装、運動靴でお越しください。飲み物はご持参ください

~お申し込み方法はチラシをご参考に~

芭蕉さんがこの地で生まれ育って江戸へ行ったこと、
亡くなる最後の穏やかな時を過ごしたのもここ「古里伊賀上野」、
そんな芭蕉さんが歩いた城下町を歩き、芭蕉句碑、史跡巡りを通じて
伊賀上野を広く知っていただきたいと企画しています。
主催:いがうえの語り部の会。

いかがでしょうか?
芭蕉翁生誕380年記念行事です。
※ご参考に「伊賀市HPより」(チラシPDF


ではまた
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令和6年度「上野天神祭」、だんじり巡行順を決める「籤取り式」。一番は福居町…

2024-09-09 18:19:12 | 祭り
本日9月9日は「くじ」、9が二つ並ぶからかな、一般的には重陽の節句ですが、
伊賀上野城下町では「籤取り式」(リンクは過去ログ)が行われる日です。

上野天神祭 籤取り式 令和6年度は上野福居町『三明』が壱番
令和6年9月9日(土) 上野天神祭 祭礼事始めの籤取り式が菅原神社(上野東町)にて開催されました。
祭町13町の理事・幹事、上野西部地区の代表者、来賓が見守る中、厳かな神事の後、
だんじり町9町の祭礼役員が予備籤の順に神妙な表情で半紙に包まれた籤札を引きました。
楼車会会長の合図で一斉に開き、上野福居町(三明)が、見事に壱番を引き当てました。

 

その儀式の後、14時50分ごろ天神さんへ行きました。

ではまた、楽しみな秋祭りですが、少しは秋の気配であることを

その一週間前にはこちら、
山畑「勝手神社の神事踊り」です。


ではまた

追記、2024/9/9 23:00
上野文化美術保存会FBより

神妙な面持ちで、籤取り式を終え巡行順が決まった瞬間。

今年のだんじり巡行は
①上野福居町(三明/さんめい)
②上野鍛冶町(二東/にとう)
③上野西町(花冠/かかん)
④上野新町(薙刀鉾/なぎなたぼこ)
⑤上野向島町(鉄英剣鉾/てつえいけんぼこ)
⑥上野東町(桐本/きりもと)
⑦中町(其神山葵鉾/きしんざんあおいぼこ)
⑧上野小玉町(小蓑山/こみのやま)
⑨上野魚町(紫鱗/しりん) 以上。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
詳しくはこちら…
神輿行列
役行者列
鎮西八郎為朝列
だんじり行列】(だんじりのリンクは昨年のもの)
と、続きます。
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