「忍者ツアー」勉強会その3、「敢国神社」。「南宮山」はすぐそこ…

2023-05-31 11:58:20 | 「伊賀上野語り部の会」で勉強中
余談ですが、城下町のある台地から外れると、東西南北の山並みが良く見えます、
連綿と続く低山に囲まれた「盆地」だなぁ、というのを再認識できます。

遠い昔、織田何某に随分苦しめられた歴史があるものの、
よくぞここまで復活した『伊賀の底力は凄いぞ!』と思うこと多々。

ところで、その伊賀の山々の中で、私的に美しいなぁと、
よく眺める山で別名「伊賀富士」とも呼ばれる『南宮山』があります。
「南宮山砦」※もあったとか、聞き及びます…
市街地のやや高い建物の上から「東方面」に見えますし、
この山の後ろには「霊山」も控えており、
先に伺った「徳永寺」からの眺めは素晴らしいです

話が前後してゴメンやけど、
「南宮山」は市街地からはこんな風に見えます、
ハイトピア伊賀の5階から☟
南宮山冬景色:2023/1/14

伊賀上野城大天守から見た南宮山:2021/12/25

さて、今回の「忍者ツアー/ルート勉強会」で訪れた最後の訪問地は、
敢国神社】(公式HP
広い駐車場から眺めたのもご神体の「南宮山」、
近すぎて見にくいですが、頂上辺りに「NHK電波塔」が見えます。
 「敢国神社」駐車場から見る

その駐車場には「日本遺産 忍びの里 伊賀/甲賀」説明版。


駐車場から見て右側が「表参道」になり、
その入り口には「芭蕉句碑」。
さて、なんと書いてあるのでしょうか?

芭蕉さんが「敢国神社」で詠んだ句です。

では、その解説板、

「手はなかむ 音さえ梅の 匂いか那」 者世越
上の句は初案の句で、後に『(梅の)さかり哉』と改作されているかも、とのこと。
※その解説文はこちら→ウェブマガジン「ほんのひとときより

今回は、ツアーの時間内でいかに回るか!という時間配分も大切なので、
詳しいお話は省略し、境内をザっとぐるり一回りしますが、
ここで最も大切な「トイレ問題」、
敢国さんでは「~15時30分まで」ということです、しっかり覚えておきましょう。


そして、この時期の可愛いカエデの赤ちゃんの姿、
いつかクルクルと飛んで行ってしまうのかな…


「敢国神社」の鳥居横には電光掲示パネルもあって、
タッチすると説明を見ることができます(写真は撮ってません💦)。

境内の様子えお少しだけ、
「阿吽の狛犬」さん
 

「拝殿」への石段
 

「拝殿」から左へ行くと、境内社がいくつもあります。
ゆっくり参拝するには「ツアー」では少々忙しくて無理なので、
改めて来ていただければいいなぁと思います。
その折にはぜひ「南宮山登山」もしてみてください(笑)。

参考資料
※「敢国神社/獅子神楽」(伊賀ぶらり旅より)

黒党(クロンド)まつり」(blog「伊賀へいらっしゃい」より)

※「薺唄」(ナズナウタ)碑

 *伊賀市の俳人宮城きよなみの句碑
 *明治35年(1902)生まれの俳人
 *「知る人乃 あるかや伊賀の 薺唄」 きよなみ

※当blog過去ログより
敢国神社訪問記:2020/7/24

南宮山登ります!記録:2020/7/26

「忍者ツアー/ルート勉強会」は2023/5/27(土)でした。
本来のツアーでは 🚌 利用らしく、柘植駅からは徒歩で「徳永寺」へ、
徳永寺 🚌 壬生野中世城館群 🚌 敢国神社 となります。
その途中の「ルートを歩いて覚えましょう~~勉強会」報告でした。

さぁ、次はどこへ行く??
ではまた
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「忍者ツアー」勉強会 その2、「壬生野中世城館群」歩いてみよう。

2023-05-30 00:08:57 | 「伊賀上野語り部の会」で勉強中
ここでひとつお約束事。
「忍者の里」といっても普通に生活の場であるのです。
田んぼもあれば畑もあって、そこにある民家では生きた暮らしがあります。
いわゆる「土足で踏み荒らす」ような行為はしないように!

土塁のある屋敷=「城館や山城」などはほとんどが個人所有のもの、
観光スポットではないので、長くは立ち止まらず、勝手に入らず、
地域の皆さんの迷惑になる行動をしないこと!これ鉄則です。

今回の散策先は『壬生野中世城館群』。
伊賀市山畑・川東川西を総称して壬生野(ミブノ)と言います。
中心地は川東集落、12世紀初めに「奈良春日神社の若宮の荘園地」となり、
北側 に春日神社があり、鎮座する春日山に、
織田信長の伊賀攻め(=天正伊賀の乱)に備えて春日山城が築かれました。
 「春日神社と春日山」
※参考「川東地区中世城館図」(伊賀中世城館調査会編より)

集落の東側の丘陵地に壬生野城・丸山城など詰城が築かれ、

平地には土塁や空堀等が部分的に現存する「中世城館群」が七か所現存し、
現在も居住されています。
  (再掲)

2020年2月には「ブラタモリ/『伊賀忍者~なぜ伊賀は”NINJA” の里 になったのか?~』」が放送され、
その折にも紹介された界隈を歩きます。

歩いているとこんもりした森のような場所に出会います。
そこには「山城」があったのか?とつい見入ってしまいます。
その見晴らしの良い丘陵の端っこや谷の入り口には「城跡」があり、
丘陵の裾野には張り付くように民家が点在しています。

「城」といっても高い石垣はなく、
土を盛り上げた「土塁」で四方囲まれた「館タイプの城館」が多いのです。
土塁の高さは5mを越えるところも残っていたりして、
立派な城館密集地帯になっています。
また、中世城館が寄り添って共存する全国でも極めてまれな地域となっています。

🚙で通り過ぎただけでは見えてこない「忍者の里」らしい風景がそこここに見えてきます。
大きな声で話さず、静かに歩きます。
ある「館」に居住されている方に案内していただきました。
ずっと一緒に歩いていただけたので安心感があったし、
生活している中での出来事など教えていただけてよかったです。

丁度「麦の季節」、まだ緑色濃い麦畑と歴史残る「城館」、
  
「土塁」に囲まれ、「濠跡」も残っています。
 

そうそう、ここは「伊賀牛発祥の地」。

「伊賀地域で古くから農耕用として飼育されていた和牛が昭和30年代に入り
 戦後の復旧が整い、所得の向上と農業の機械化が相まって、
 牛肉需要の飛躍的伸びから専業的な和牛肥育が芽生えてきた。
 当時、伊賀町壬生野農協で66名の農家グループが16頭の素牛を
 肉牛預託制度を利用して協同購入し、技術の研鑽、肉牛販売の統一等、
 共同実践した事が生産者組織での伊賀牛発祥とされている。
 以後、町全体さらに大山田、阿山町、伊賀全体へと波及的な広がりをみせた。
 又、各市町村、各農協、経済連の推進努力により『肉の横綱伊賀牛』に
 ふさわしい銘柄牛作りが現在も行われている。」

話を戻して「忍者ツアーお勉強会」でした…
  
「O氏館」、道路沿いにはある門は「昔、馬の出入り口」で
 
田んぼ側に「正面入り口跡」があったとか、「濠跡」も…

歩いて行くとこんもりした「森」のような場所が見える…
これが「壬生野城跡」、城跡から見えた「集落」。(撮影:2020年6月)
 

では「春日神社」に向かいます。
   

 
春日山=ご神体でもあり、「春日山城」が築かれた山です。
  

  
伊賀の春日神社拝殿、昔の姿取り戻す~7年かけ解体修理」(web中日より)

徒歩で行く「壬生野中世城館群」、いい旅でした。
ルートを覚える旅ですが、あと何回かは歩きたいですね、
ゆっくりと、自分自身のためにも…

※参考「伊賀へいらっしゃい/川東地区中世城館群ほか

次は「敢国神社」へ
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「忍者ツアー」勉強会 その1、「徳永寺」(再び)訪問。

2023-05-28 00:56:01 | 「伊賀上野語り部の会」で勉強中
時期が時期、ブームと言えばそうなんですが(NHK大河ドラマ「どうする?家康」放送中)、
伊賀を訪れる観光目的の方は徐々に増えてるらしく、
某バス会社では「忍者ツアー」を企画しているとのこと。
そこで、特別に案内ができる人を増やそう、スキルアップを目指そう!
というお勉強会があり、先ず「ルートを覚えよう!」…

今回の「忍者ツアー」のルートは、
①「徳永寺」→ ②「壬生野中世城館群散策」
③「春日神社」→ ④「敢国神社」になります。
  
幾度となく訪れているとはいえ“ワタシも初めて“という時がありました。
その時の記憶を思い起こしました
2021/1/21訪問「徳永寺」編。(まさかの同級生との遭遇話)
成田山椎老木の由来」編。(徳永寺の裏山を歩いて「都美恵神社」まで)

因みに、行き先が多いので、あまり深く突っ込んだ話ではなく、
興味を持って、楽しく「伊賀の旅」をしてもらいたい、
そしていずれドラマで出てくるであろう「神君!伊賀越え」。
諸説あるルートのことを掘り下げるのではなく、
幕府公文書である徳川実記」に書かれている「御斎峠越え」ルートを案内します。
  
駐車場にて、山門くぐり、正面の「本堂」。

  
「神君!伊賀越え」ルート、「立ち葵紋鬼瓦」、
宝篋印塔」(ホウキョウイントウ)と六地蔵、背景は「霊山」。

 
市文化財「梵鐘・鐘楼」、「十王堂(閻魔堂)」の閻魔さま。
「徳永寺」HPより「諸堂解説

※参考「日本遺産ポータルサイトリアル忍者を求めて」より抜粋。
忍者の実像は「伊賀衆」「甲賀衆」と呼ばれた「地侍」たちだった。
戦国時代、この地域からは大きな力を持った大名が現れず、
自らの地を自らの力で治める必要から自治が発達し、
お互いに連携をして地域を守っていた。

地侍たちは一国、一郡規模で連合し合い、そうした自治組織を「伊賀惣国一揆」
そして「甲賀郡中惣」と呼び、互いに同盟し合って仲が良かった。
一族の結束は強く、「一味同心」に団結し、「諸事談合」して、
時には多数決さえ用いて物事を決めており、「みんなで集まり、話し合いで決める」こと、
これが忍者の里の「掟」だった。

封建制が強まり、下克上の嵐が吹き荒れる戦国時代にあって、
一人の領主による力の支配ではなく、皆で力を合わせて地域の平和を守ってきた姿は、
テレビやアニメで描かれる非情な世界とはまったく異なる。

それが城館の分布に現れている。
ここでは突出した権力がないため特別に大きな城はなく
また同種の地侍たちが集まっていたため、同じ形、同じ大きさの城館が
狭い地域にひしめき合う世界が出現した。
しかし天下統一を目指した織田信長や豊臣秀吉などの強大な権力の出現とともに、
こうした地侍の自治組織も終焉を迎える。

一方、戦国時代を通じて忍びの技術は重宝され、各地の大名に仕え活躍していた。
中でも天正10年(1582)の本能寺の変後、堺にいた徳川家康が本国三河に帰る最短ルートとして
この地を駆け抜けた際、伊賀者、甲賀者が家康を護衛し、
その活躍が今日まで「神君伊賀越え」として語り継がれている


では次に、「壬生野中世城館群」へ行きましょう~~
 

つづく
コメント (8)
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真泥池(ミドロイケ)は「瑠璃色」…

2023-05-25 14:21:52 | 花や風景など
 パノラマ風で

 「瑠璃色の湖!」とよびたい…


「ゆめが丘」のとある医院へ、ハハに頼まれた用事で行き、
道中、真っ青な空の美しさに見惚れ、緑も色濃くなってきたなぁ…
ふと、この青空を映し出す風景を撮りたくなって大きく寄り道。
「ゆめが丘」ロート製薬の信号を北へ下り、県道56号線に出て、
途中界外(カイゲ)辺りで左折、山道を走り峠を越えるとそこは「大山田の国」。
「鶴寿園」の駐車場横に砂利道が一本。
その道はぐるっと「真泥池」(=真泥ダム湖でもある)を一周できる道(約3km)。
一周するなら徒歩がおススメ、但し泥道の難あり(笑)。
では、「堰堤」(=堤防、約180m)に🚙を止めて、
真ーっ直ぐ、ずーっと、「瑠璃色 or 紺碧」ともいうべき湖を眺めつつ散策。
 

北側は真泥の田園地帯、土手には「ノアザミ」、風に揺れる…
『ノアザミ&田園』
   

『真泥の田園風景&山並み』
   

足元には、小さな黄色い花見っけ…
『ミヤコグサ&田園』
   

牧野日本植物図鑑学生版」より「ミヤコグサ


「瑠璃色の真泥湖」と小さな花々、
「ヒメジオン」や「タンポポ系」だと思うけど、
網目の柵越しに、湖を背景に撮ったのでハッキリ見えなくてゴメン…
湖面がキラキラ 
  

ずーっと真泥池を見ていたかったし、鳥さんも見つけたかったけど、
時はお昼、帰らなくっちゃ

※平成元年ごろの読売新聞/街道いまむかし」連載集より
真泥ダム」のこと。
とっても大事な水源なんですね、
「バードウォッチング」もできるそうで、今でもしてるのかなぁ??
鳥さんのことは教えてもらわないとわからないしなぁ💦


撮影日は2023/5/24、晴天の時。
あぁ、綺麗だった お裾分け気分…

ではまた

追記、2020年5/18に「真泥ダム」訪問時の「洪水吐」側から見た景色。
  
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木興遊水地の土手で「薬玉詰草」(クスダマツメクサ)初めて会った…

2023-05-24 00:27:34 | 上野森林公園
いつの間にか周りの自然は初夏の装い…

久しぶりに、行き慣れたところを散策していたら、
「あれまっ、いつの間にか春から夏に移ろってたのね」。

まず「上野森林公園」では、
「星形の花」」が鈴なりの『エゴノキ
よく見れば落花した花は白い星の絨毯みたいで…
 

ソヨゴ』の雄花(左2枚)と雌花(3枚目)、もうすぐ花咲く…
  

湿地帯辺りで『トキソウ』(撮影日2023/5/21)、晩春に咲くんですって…
まさに今、運よく見られて良かったです。
  

 

ビジターコテージ辺りで、
空に向かって飛び立つ勢いの『ヤマボウシ』、
跳ねる跳ねる、元気に羽ばたき飛翔の姿…
  


さて、場所を変え「木興遊水地」。
久しぶりに木津川支流添いの土手を歩いて、ふと呼びかけられたこのコ、
直径1cmくらいの黄色の小さな花、見っけ。
少し摘んで大きな葉っぱに乗せてみた…

なんだか「金平糖」っぽく、陽の光で色いろいろに見える…
 
群生している様子。

初めて見る花だったので「google lens」の出番!
出てきた名前が『薬玉詰草』(クスダマツメクサ)。
見た目とピッタシ一致、しかも別名「ホップツメクサ」とか…
そのホップ感※も見事一致!
ホップの雄花」(画像)
ホップ」(=クワ科唐花草)

あまりに可愛いいコなので、少し調べたくなって採取。
二日にわたり現地調査(笑)。
まぁ大雑把にいえば、
≪ヨーロッパ原産で、日本では1940年代に確認された帰化植物、
シロツメクサやムラサキツメクサと同じ仲間のマメ科。≫

では、採取した株を家でパチリ。
  
黄色い花は咲きかけのコ、アップで見たらシワシワっぽい。

受粉するとだんだん薄茶色に変わっていくみたい、
  
こうやって見ると、まさに「ホップ」っぽいね(笑)。

帰化植物で、あちこちで広がっているようだけど、ワタシは初めて。
園芸種としても活躍しているらしい、
主役は張らないけど、楚々っと支えるグランドカバー系。
この花ね、ドライフラワーで楽しむ方法もあるようなので、
いっちょ、挑戦してみるか、な。

花を見てると、なんだか少しホッとした気分になりました。
ではまた
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齢70、限界?の「同窓会」…楽しみはもう少し待っててね。

2023-05-22 12:54:27 | 上野高校第23回普通科卒同窓会
同窓会いろいろ、続編。

みんなに伝えたい一言」という欄を「出欠葉書」に設けました。

書いてもらったのはいいが、これを一体どうやって読んでもらう?
幹事たち、悩みましたねぇ、喧々諤々とまではいきませんが、
「書いてもらった葉書を貼り出す?」=個人情報丸出しだから隠さないとね…
「写真に撮る?」=印刷して整理する手間とお金がいるよね??
「一人ずつの言葉をパソコンで入力する?」=入力はいいけど、その後どうする?
なんだかんだと意見は出ます、幹事長は「どうする?家康」状態です。
(何せ、限られた会費の中ですることなので必要経費にも限界がある…)

でもね、その「みんなの一言」は、読んでいただきたいのです
50年間の伝えたい思いが詰まっているので…
案内状にも書いたんです、読んでもらうための「掲示」をする!(予定)と。

そして、幹事たちの出した結論は…
出欠にかかわらず「返信が来た人」全員分のコメントを、
幹事長が入力、大きく拡大コピーしたものを「模造紙」に貼り、
パーテーションを借り「掲示」する!というなかなかの力作。


ところが同窓会当日、賑やかに幕が開いて、
最後「校歌斉唱」・「一本締め」で終わったものの、
多くの方の帰宅してから「声」として、
「せっかくの『みんなの一言』を読む時間がなかった💦」
「もう一度じっくりとみんなの声を読みたい 」という声が聞こえてきました。

そこで「集合記念写真・スナップ撮影&その編集」者に相談。
「一言をまとめたExcel」を「QRコード」で読めるよう、
「フォトブック」に掲載しようということになりました。
そうすれば、いつでも時間のある時にじっくりと…読んでもらえるよね



「同窓会」が終わっても、いろいろ考えて前に進むことは楽しい。
そんなこんなの「フォトブック」の発注は5/20の土曜日終わったようです。
膨大な作業量だったと思います、
*各学年8クラス別の集合写真、全24枚。
*各テーブル(18席)を回ってのスナップ写真。
*「before & after 個人写真」。
*「文化会館」で撮った「集合写真」。

実は、記念になるように「とある加工」をしてくれたんです。

これはフォトブックが届くまでのお楽しみなので、今は書きませんが、
待っててください、 ですよ。

現代のいいところは、遠くに離れていても「遠隔参加」(リモートというのか?)ができるということ。
遠くに住んでる同級生たちとメールやラインで用が済む時代、
無料で「QRコード」も作れる、同窓生限定で見ることができる、
(ほぼ、皆さんがスマホを持っているという前提ではあるけれど)
これって有難いことだなぁとつくづく思います。

辛うじてそんな世の動きについて行けてる
ということを素直に喜びたい(笑)。

今後「同窓会」など考えている方々のヒントになればいいなぁと綴っていますが、
参考になるかしらん?

ではまた
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「同窓会」近況情報入荷、「神君伊賀越え」の和菓子。

2023-05-20 16:35:17 | 上野高校第23回普通科卒同窓会
盛りだくさんの内容の集いだったので、逐一の報告とはいきませんが、
伊賀の地に集まること=「伊賀の情報発信」も兼ねて、
「伊賀を元気にしたい」と、「伊賀にふるさと」を持つ人は思っているかも。
そして、ちょっとタイムリーなことでもあるのでご紹介しておきます。

「同窓会仲間」(3年生の時同じクラスだった女の子 )からこんな情報を~~

『2年ほど前に静岡大学の小和田哲夫先生に来ていただいて
家康公のお位牌の開眼法要】に、
「神君伊賀越え」の記念講演会をしました。
その時にいせや】さんとコラボして作ってもらったお菓子です。
今は、『徳永寺』の手からは離れています。
(中略)
口コミや、予約やネットで売れているようです。』

そう、この和菓子こそ
神君伊賀越え≫なのです。


彼女曰く、
「50年前に同じ時を共有していた!ということは、
 みんな一緒、安心感がありました」
という空間で過ごしていただけたようです。

ワタシは情報を聞いてすぐに「いせや」さんに向かい、
店頭にあるのを確認して、取り急ぎお家で戴く分を買ってきました。
一人こっそり(なんでやねん?)お抹茶と共に、
「(お菓子を包装してある)『山の絵』もいい、味も素朴な餅菓子でした、
 伊賀人は『山』を見て育ってるし、この絵を見れば、何故か…
~~ 四方を囲める山々も 丘に登れば低く見ゆ ~~(上野高校校歌)
 この歌詞が出てくるのです」

「葵紋と山は、いせやさんが売れるように、考えられたようです。
 字は、住職の書。
 大きな三つ葉葵紋に変えられてグレードアップですね。」
(実は、同級生の旦那さんが住職さん)
 

これは、密かにPRしたい、でもぜひ味わっていただきたいので、
やはりしっかり広報したいな…と(笑)。

「高虎公四方山話」として
≪藤堂高虎公がまだ若く貧しい頃、餅屋の主人に恩を受け、
”人の情けを忘れないように”とのことから、
藤堂家の『白い三つ丸餅の旗印』が作られています≫
その旗印の「〇〇〇」の石柱は「いせや」さんの目印!でもあります。


伊賀の事、思い出して頂けたら嬉しい、
また帰って来て、そしてまた集えたらいいなぁ…

現在、鋭意「同窓会フォトブック」制作中!(by k.kawase)
もうすぐ「最終校正」、さぁ届くのはいつ??
首をながぁ~くして待っててね

ではまた
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みんなの笑顔が嬉しかった同窓会、無事終わりました。

2023-05-18 14:15:20 | 上野高校第23回普通科卒同窓会
思えば2019年(令和元年)の6月ごろ、卒業生の有志20数名が集まり、
「入学(1970年)して半世紀」だね、
ぼちぼち「23回卒業生の同窓会」をしたいねぇ、と話は進み、
幹事は誰がする?と候補を募り、来年(2020年)の6月ごろにでもしよう!

結局あれから3年我慢し、その間練りに練る時間はたっぷり。
借りていた会場は3度の延期、
考える時間も長過ぎて、もうこれ以上の知恵は出てこないねぇ、、、

案内状を出したのが3月半ば、出欠の締め切りは4/10。
(同窓会の準備経過報告を始めたときのblog)
5/16まで、途中いろいろ足したり引いたりの出欠状況でしたが、
最終的には337名の案内状送付数に「116名の出席者」となりました。
ただただ驚きの数字で、おそらく自身のことや家族のことを考えれば、
この先、集まれるかどうかの約束はできない年代に達していて、
この出席数はスゴイね、嬉しいね、と幹事たちは自画自賛。

 「式次第」表面

 「式次第」中面
個人情報満載なのでほぼ塗りつぶし💦
※「式次第」印刷終了後のキャンセルもあって117→116名。
QRコードで写真や席次表を読むことができる
 こんな「今ドキ!アイデア」を提供してくれた川瀬カメラマンに感謝です。

さぁ、当日、天気は最高!ほぼ風もなし!
屋根のある野外の受付に急遽変更し、みなさんを待つことに。
公共交通機関で来る人のために
「JR伊賀上野駅・上野市駅」と「伊賀神戸駅」への送迎バスも出ます。
申込のあった人が確実に乗ってくれるのかどうか、
同級生仲間に「添乗員」を頼みました。
快く引き受けてもらって嬉しかったです。
 

 
「集合写真」会場は、向かいの「伊賀市文化会館玄関」階段で。
撮影は12時30分過ぎに終了。
カメラマンの指示通りみんなが団結したおかげ。

※この人数、会場内での記念撮影はムリ!
 よって、会館の方にはあらかじめお願いに行ってます。
 運よく「会館貸し出し」がなかったので、叶ったことです(感謝)。

ちょっと前後しますが、出席者が三々五々集まる前に、
会場ロビーでも準備がありました。

もう一仕事残っています。
みんなに伝えたい一言』の掲示です。
幹事長(発起人代表)の入力作業と拡大コピーのおかげで読みやすくなってます。
※「出欠」にかかわらず「書いてね」と していました。
  
たくさんの方が、会うのが楽しみ、会えないけどみんなによろしくね…等々
嬉しい一言が並んでいます。

「集合記念撮影」も終わり、サンピア4階会場への移動もスムーズに行き、
着席は「3年生卒業時のクラス」別。
個人の名札に「学年別のクラス」を入れました。
幹事たち、50年以上前の昔の写真を引っ張り出し、
寄ってたかって虫メガネで覗きつつ「このコは何組、あの子は何組だったよね」と。
もちろん「出欠葉書」に自主申告はしてもらったのですが、
意外と覚えていない。クラスか先生の名前、どちらかだったら覚えてる…
51年前の自分のクラスなんて大抵は忘れてます(笑)。
それでも、ほぼ98%くらいのクラスは判明しました、これって凄くない!?
と、よくぞここまでと自分たちを褒める幹事たちです(笑)。

開宴前、「司会者」が諸注意事項を話すのですが、
みんな再会の喜びでか、あっちでもこっちでもなかなか静かになりません💦
この段階でもう「おしゃべりの花」「話の輪」は開くのです。
が、時間が来て司会者の「開宴宣言」、
幹事長(発起人代表:竹森くん)の「開会のあいさつ」と進みます。
ここは粛々と、そして真剣に聞き入っています。
この姿をみて、さっきまでの喧騒はどこへいったのかという静けさ。
さすが元『上高生』、聞く時は聞く!いざという時は集中できる!
みなさんじっと耳を傾けてくれてます。


もう後は、何というかてんやわんやの2時間半、あーっという間。
*3年次のクラスでお食事をしっかりしてもらい、
 極力立ち歩かず=この間に川瀬カメラマンが116名全員の顔写真を撮ってくれるから
*2年次
*1年次 とクラス替えし、その間スナップ写真も撮ってもらいました。

ここで、何故に写真をいっぱい撮ったのか…
51年前の顔写真は「卒業アルバム」から一人ずつ取り出し、
「フォトブック見本」に載ってるんです。
(これはQRコードで読めるようになってます
その隣に「今日現在のぼくたち・わたしたち」が並びます。
これはもう楽しみに待つしかない!

時間が経つのは早いモノで、もうお開き前の「校歌斉唱」。
ここで待ってました! 東京から馳せ参じてくれた貝増くん。

カラオケ大好きだし、人前で歌うことに抵抗のない人を選びました(笑)。
彼の音頭で、神妙に 校歌斉唱
※ここでお断り、「宴もたけなわ」の様子は一切撮れてません
 要するに始まりと終わりだけの報告です、ゴメン。
でもね、みんなホントに喜んでくれて、
この先のことは誰にもわからない、そんな年代になっているので
ここで会えて良かった、来てよかった、
学年ごとにコミュニケーションがとれて楽しかった…
そんなお言葉をいただいているので、心の中では「涙」流しているのです。

では、51年前に歌ったきり歌っていない人もいるかもしれない「校歌」。
山口誓子作詞、信時潔作曲、
斉唱音頭:貝増豊くんと元合唱部のメンバー
斉唱:集まってくれたみんな。

   

楽しく集った様子が伝わればいいのだけれど、
久しぶりの同級生の話に乗りつつ、
飲み物は足りてるのか?
司会者の言葉は聞いてる??
今から〇年〇組の写真撮るよ~、
金屏風の前に集まれ~なんてね、
滅茶苦茶充実した時を過ごしてました。

全てを書ききれず、しかも自身で写真の撮れたところだけの報告でゴメン。
前日ギリギリまで幹事たち、とくに司会者との入念な打ち合わせをしたにもかかわらず、
「文化祭の打ち上げ」みたいな状況に苦労をしてくれたであろう影武者的存在の進行がなければ
ここまで大盛況に終わったのかどうか……
51年ぶりの再会者もいたはず、
近くで同級生との交流を続けている仲間もいると思う。
人それぞれの状況で過ごした51年。
こうやって、集ってくれてありがとうね
そして「フォトブック」が届くのを待っててね。

急遽準備し、司会者の呼びかけだけの募集の「上野高校明治校舎見学」。
翌日10時20分に「上高正門前集合」
聞いてくれた若干名の参加がありました。
来てくれてありがとう。

舌足らずな報告になってゴメン。
でも話はまだ続くかも…
ではまた
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準備に行ってきたよ、いよいよ明日。長かったねぇ…

2023-05-15 23:57:10 | 上野高校第23回普通科卒同窓会
準備期間を入れるとかれこれ4年くらい経つのではないかと。
経験したことのないような長い期間の「待った!」があって、
やっとここまで来ましたよ~~

そんなこんなの午後の準備風景、
何をしてきたかって?
結局、直前の欠席連絡もあったりで出席者総数116名。
みなさん、卒業時(=3年次)のクラス分けで座っていただきます。
皆様の「席札(名前)」をテーブルに置いてきました…
自分たちで準備したもの、自分たちの手で席を確かめつつ置きたかったので(笑)。
お江戸から帰省の幹事仲間とともに、4階からの景色も眺めつつ、
明日を迎える心準備です。

  

 
「司会者」もどんな風に会場が見えるのか、
きっと気になるだろうと思いました。
会場に入った時に自分はどこへ行けばいい?と
悩まなくてもいいように大きめに「クラス」も貼りました。

では、ちょっと目の保養に外を見ましょう~~
 
真っ直ぐ北に「お斎峠」が見えるんですよ、わかるかな?

あとは、専属スタッフにお任せ、我々は明日を待つのみ。

帰り道ちょっと回り道をして荒木辺りを
 
本当はとてもきれいな「水鏡」だったんだけど、
通り過ぎて戻った時には風に波打つ水田だった、ちょっと残念。

「南宮山」や「岡山」がくっきり見えます。
山に挟まれ低くなったところは服部川沿いの「旧伊賀街道」の通る道。
右手の山は荒木の山並み、昔、花崗岩が採掘されていたところ。
「野仏」さまもたくさんいらっしゃる、
そして、芭蕉さんも通った道。

みんな、気を付けて故郷へ帰ってきてね。
ではまた
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木興の田園風景、「旧桶子神社」辺りで

2023-05-14 16:23:52 | 花や風景など
一昨日のことになりますが、
家に籠って、パソコンばかりに向かってると心身疲れます

気晴らしに歩くには丁度いい距離にあるし、
野の草花(「雑草という草はない」と牧野先生もおっしゃってますが)もいっぱい咲いていて、
目を楽しませてくれるので…

一番の目的は、水の入った田んぼ、小さな苗が植えられて、
夏までにいろんな変化が楽しめる場所。
広い「遊水地」の中にポツンと「旧桶子神社の碑」があること。
ここは私的に撮影スポットなのです。




場所を少し移動すると「伊賀上野城」も見えたり…

 
今は紫がとびっきり目立つ「クサフジ」いっぱい。

夕暮れかと見間違うほどの暗さになってしまったけど、

ちゃんと太陽も映りました(笑)、これで16時50分ころ。

ではまた
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