こんな記事を見つけました。
ちょうど私と同じくらいの年配の方の記事でしょうか?
なぜ、私たちの生活を取り巻く新しい脅威が、BSE、SARS、そして鳥インフルエンザと次々に発生し、今までなかったものがなぜ今こうして襲ってくるのか。もしかすると、人間にだけにある「業や欲」がそれらを生み出しているのではないのか。
そう訴えかける記事です。豪華な素材の裏側では、必要以上に多くの「命」が奪われている、そんな意見に私も共感してしまいます。
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ちょうど私と同じくらいの年配の方の記事でしょうか?
なぜ、私たちの生活を取り巻く新しい脅威が、BSE、SARS、そして鳥インフルエンザと次々に発生し、今までなかったものがなぜ今こうして襲ってくるのか。もしかすると、人間にだけにある「業や欲」がそれらを生み出しているのではないのか。
そう訴えかける記事です。豪華な素材の裏側では、必要以上に多くの「命」が奪われている、そんな意見に私も共感してしまいます。
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お腹の中に寄生虫がいた時代にはなかったアトピーが現在あるように、こういった災いは根絶と同じだけ発生する「いたちごっこ」であるという意見も聞いたことがあります
ある意味「必要悪」なのかもしれません
ヒトは万能の神ではありませんからね
病の苦しみからは誰も逃げることは出来ません
でも、50gのカレーライスの暖かさ美味さは非常によく分かります
おふくろの味って言うんでしょうか
一菜一汁の方が身体にも良いですしね
一人ひとりが暮らしかたを少し考えれば世界中が救えるかもしれません
根っこは非常にシンプルな問題なのかもしれませんね
ガイアシンフォニ-でも唱えていたように、地球はひとつの生命体。すべて繋がっているんですね。
無理を通せばそれがどこかで暴れだすんでしょうし。
謙虚さを忘れないで暮らしていきたいと再確認した記事でした。
食べてダイエットだと、色んな怪しげな物を使って体をこわしたりするニュースも聞く。私も人のことは言えない、食べ物の誘惑には弱い(涙)せめて体重管理ぐらいは自分で努力しよう思っているが。。。
何時の時代も病気はあったけど、人間が作り出している病気が多くなったように思う。戦争は絶対にしたくない。
肉と言えば、卵を産まなくなった鶏か、鯨肉だった。まとまり無くすみません。
おなかが減った時に食べると何でもうまいのと一緒で、飽食の世では美味しさの感じ方も半減しているようで、恵まれているとも一概に言えないような気もします。
昔は旬には旬のものを、そして有機栽培でした。
今、多くのヒトがそういうものを普通より高いお金を出して求める時代ですから、昔は贅沢だったのかもしれませんよ。
こどもが生まれたとき思ったのは、まず「食」を大切にしたいということでした。(といっても栄養学的にとかではなく)特に、朝食は大事にしたかったです。別に豪華なものを食べはしませんが、朝だけはご飯、お味噌汁、焼き魚、御浸しなどの和食を家族そろって食べるということです(夫が遅いこともあって夕食は揃わない)。
でも、ほんとうはこんなこと、決意するようなことではなくて、普通のことなんだと思います。でも、そういうことがとても危うくなってきている気がします…
でもたくさんあるから幸福とも限りませんね。
少しのお肉にも、おいしさはあったのですものね
私も、小さい時、安い磨きニシンと高い磨きニシンがあって年に母が安い方を買いました。
「なんで安い方買うの?」
と私が聞いたら、
「こんなに量いらないから。」
と母がいいました。
・・・違うのは知ってたけど、言いませんでした。
貧しくても、貧しいなりの食事を食べてこれたので私にはほぼ好き嫌いがありません。
内臓もOKです。
よかったと思っています。
追伸:中村天風先生の肉声講話が聞けるサイトのリンクを掲載したので、ぜひ私のサイトに遊びに来て下さい。
「普通」の基準が変わってきているのでしょうか?
それともあまりにヒトも多様化しすぎて「基準」ということ自体、無意味になりつつあるのでしょうか?
物のない時代は迷うほどのものがなかったから、みんなが同じ価値観を持つこともできたのでしょうね。
だから食べ物は粗末にしなかったし、物も大事に使っていましたよね。
30年間に三千万本もの木を植えグリーン・ベルト・ムーブメントを提唱して、昨年のノーベル平和賞を受賞したケニアのワンガリ・マータイ氏は、日本に来て「もったいない」という素晴らしい言葉を知ったと言い、その精神を世界中に伝えています。
肝心のその日本はいまどうでしょうか?
反省!