店主のだらだら草子

スローライフを目指すi-sumi.com店主の気ままな日記

高瀬川にて

2009年07月01日 | 京都
TOPの画像、これ何だと思います?
京都検定に出てきそうな問題ですが、川の中になにかブロックのようなものが置いてあるんです。
でもこれ、石でできていて溝が切ってあります。なんでしょう?
ここをクリックすると大きくなります


実は、こんなものだった・・・

京都の繁華街「木屋町」を流れる高瀬川は、もともと京都の中心部と伏見を結ぶために物流用に作られた運河です。
木屋町の名前の由来は、高瀬舟が運んでくる材木の倉庫が立ち並ぶようになったためだそうですが、この高瀬川沿いには、かつて材木商、米問屋、炭問屋などが建ち並んでいたそうです。

もともと水深が浅かったため、底の平らな高瀬舟と呼ばれる舟が利用されたのですが、それでも水の少ない時には大変だったようです。


  高瀬舟(今はもちろん使われていません)






この石の溝に板をはめ込んで、水を溜めたんですね。
その名残りがこの石でした。悠長な時代です。

横の道路に碑が建っていました。

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6 コメント

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おはようございます ()
2009-07-01 08:46:01
scopsさん、ミソサザイ早速にありがとうございました。即名前が分かるとはイラレの私にはこの上なく嬉しいです。
水を利用して物を運ぶというのは理にかなっていますよね。高瀬舟って水深の浅い所で活躍するために考えられた船なんですね。板をして水位、水流を調節するというのもなかなか原始的なようでこれも理にかなっていますよね。
大がかりなことをしなくても、ちょっとした知恵で大きな働きがある。

こんな大規模ではないですが田んぼの水など板きれ一枚でちゃんと水の配分していました。
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風さま (scops)
2009-07-01 16:59:58
京都の繁華街にも流れる高瀬川ですが、底は石畳で今の水深は10cmほどです。
この界隈は春の桜がきれいですし、雑踏には似合わない、サギがエサを採る(たぶんどこよりも最も近い)姿が見られます。
かつては新撰組や勤皇の志士たちが時代を駆けていた場所でもありました。


そうそう、田んぼで水をやりくりしていますよね。同じです。
たぶん数十メートルごとにこの石があったんだと思いますが、気の長い話です。
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多くの人手が (のこたん)
2009-07-03 20:47:59
 必要だったのでしょうね。
 こちらを堰きとめ水を溜め、次はあちらというように・・・。
 でも、先人達の知恵のなごりが見られる京都。
 素晴らしいですね。

 雨の中の原生林大変でしたね。
 
 遭難者騒ぎは困ったものですね。
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のこたんさま (scops)
2009-07-04 20:55:46
先人には偉大な人がたくさんいたようです。
今は、そういう大きい人が少なくなったような気がします。

調査さえなければ雨でも結構楽しいんですけど、これだけ雨続きだとねえ。(笑)
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森鴎外の小説にもある高瀬舟ですが (ジョルジュ)
2009-07-15 10:51:18
あの船の名前は この川からきていたのですか。

どこかの国でも 同じように水路を区切って水深を変えて のんびりと?小船を進める方式があり、テレビで見た事があります。
工夫をしていくと 洋の東西を問わず、似たような方式が生まれるものなのですね。

鳥も 山も 山の植物も魅力の「だらだら草子」ですが 京の街中の こんなお話も大好きです。
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ジョルジュさま (scops)
2009-07-15 21:27:24
そうなんです、高瀬舟の名前の由来はこの川からです。
この界隈は、かつての勤皇の志士と新撰組のエピソードがたくさんある場所です。また何か話題を探してきますね。
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