毎日新聞ネット版「毎日jpに、「東日本大震災:高田松原の松…京都の送り火の薪に」という記事が載っていたのでご紹介します。
「東日本大震災の津波で流出した岩手県陸前高田市の高田松原の松を、先祖の精霊を送る京都の「五山送り火」(8月16日)の薪(まき)にする計画が進められている。遺族らにメッセージを書き込んでもらい、五山送り火のうち、京都市左京区の「大」で使用する予定だ・・・」
津波被害にあった岩手県陸前高田市。
ここには「高田松原」という名勝があって、数万本あった松が津波で1本だけ残して壊滅したというニュースはご存知だと思います。
この流された松の一部を利用して、五山送り火(大文字)の薪として使うというもの。もともと薪には松を使用しているので、まさに、先祖の霊を送るという五山送り火の本来の目的に合った宗教行事になると思います。
今年の送り火は一層感慨深いものとなりそうです・・・
ニュースの続きはこちらから 毎日jp
追記(7/5)
京都の良さは行事の華やかな表面ではなくて、ちょっと予習なんぞをしていただくと、もっと深いところが見えてくることじゃないでしょうか?かなりの深さはあると思います。そうなると、より良さが理解できてもっと楽しめると思います。
えらそうに言ってますが、私もこういう心境になってまだ十年ほどです。いろんな人生経験をして、いろんな気持ちがわかってきたからこそ、そういう心境になれたのだと思います。
私なんかよりずっとたくさんのことを経験されている皆様方ならすでにご承知ですよね、ゴメンナサイ。
ただ、送り火を見るために観光バスで乗り付け、ガイドが旗持って・・・という光景を最近目にするようになって、それはちょっと違うんじゃないの?とアマノジャクの虫がウズウズしだしてきただけですので、ご容赦を。(笑)
面倒といえば面倒かもしれませんが
物事の後ろに控えている本来の姿・形・意味というものを理解していないと
本来あるべき姿から どんどん遠くなっていってしまうのが現代です。
そうなってしまった事の、なんて多い事! と 普段から思っています。
時代にそぐわないだの、人手が足りないだの、準備に時間がかかりすぎるだの、
理由はくらでも出てきますが、
奥を理解していかないと 世の中 どんどん
ヘンテコになっていきそうで、怖いです。
あれ? 変な話になってます?
ともかく、今年の五山の送り火は きっと 胸に染む灯りになるでしょうね。
そう言う私も、まさに「広く浅く」に留まっているのですが、ちょっとずつ、深いところへ・・・という意識は持っていたいと思っています。
「合理化」や「無駄を省く」などと言う言葉に流されてはいけない物も、たくさんあるということを肝に銘じていかないと・・・
私も話が変なほうに行ってる?(笑)
毎年、送り火に行って手を合わせているんですが、今年はより熱心に送ってきます。
本当?
出来たらソースもお願いします<(_ _*)>
いろいろ調べていたら、昨日の京都新聞に掲載されていました。
http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20110806000029
とてもいい事だと思ってご紹介したのですが、こんなことになって本当に残念です。
松から放射能は検出されていないとのことなので、個人的には過剰反応だと思います。
良かれと思ってされたことが、一部の過剰反応の人たちによって、新たな悲しみと怒りを呼ぶ…
この問題にかかわらず、最近こういうケースが多いなと憂いています。