今だから話そう~障害者のきょうだいとして生きて~

自閉症で重度知的障害者の妹として経験した事、感じた事、そして今だから話せる亡き両親への思いを書いてゆきます。

「お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい」

2007-07-14 03:44:35 | 徒然日記
フジテレビ、金曜プレステージ「お母さん、ぼくがうまれてごめんなさい」を観ました。
これは、脳性マヒで15歳の若さで亡くなった香川康文さんの遺した詩がラジオ番組やテレビ番組で紹介され、その詩に曲をつけたものを康文さんが大好きだった歌手の森昌子(当時19歳)さんによって歌われました。
この作品は、向野幾世(こうのいくよ)さんの著書をもとにつくられたドラマです.
ドラマの中では藤谷瞳という女子高生が、自身にさまざまな問題を抱えながらも、康文さんと関わることで、ボランティアティに目覚めて、障害者と関わるために先生になっていくシーンもありますが、もしかしたら、これは向野さんの実体験なのでしょうか?
向野さんが先生のころ、康文さんと出会い、彼の言葉を詩にしていったといいます。

テレビドラマなので、多少脚色された部分がありますが、障害者やその家族のおかれた現実、障害者と健常者との関わり方において、私が同感する部分がいくつもありました。

http://www.fujitv.co.jp/fujitv/news/pub_2007/07-173.html

脳性マヒで15歳で亡くなった康文さんの詩は博物館に展示されているそうですが、彼の詩を読んだ高校生たちは涙したといいます。
私の兄は知的障害者で障害のタイプが異なっていますが、障害者の家族として、相通じる部分がいくつもあり、私は何度も涙してしまいました。
ドラマの最後に康文さんの詩が紹介されました。
ただ前半部分しか紹介されていませんでしたが、後半もありましたので紹介させていただきます。



「おかあさん、ぼくが生まれてごめんなさい」

 ごめんなさいね おかあさん
 ごめんなさいね おかあさん
 ぼくが生まれて ごめんなさい
 ぼくを背負う かあさんの
 細いうなじに ぼくはいう
 ぼくさえ 生まれなかったら
 かあさんの しらがもなかったろうね
 大きくなった このぼくを
 背負って歩く 悲しさも
 「かたわな子だね」とふりかえる
 つめたい視線に 泣くことも
 ぼくさえ 生まれなかったら

 ありがとう おかあさん
 ありがとう おかあさん
 おかあさんが いるかぎり
 ぼくは生きていくのです
 脳性マヒを 生きていく
 やさしさこそが 大切で
 悲しさこそが 美しい
 そんな 人の生き方を
 教えてくれた おかあさん
 おかあさん

 あなたがそこに いるかぎり






あなたは何を感じましたか?

康文さんのこの詩は、まさに現代社会は障害者にこのような罪悪感さえもたせるような社会システムが存在するという証明ではないでしょうか?
私が子供の頃うけた体験も重なって改めて障害者と社会との関わりについて考えてみたいと思いました。