私の母は31歳で兄を出産しました。
兄が初めての子供でした。
生まれて間もない頃の兄はとても可愛く、近所でも評判の赤ちゃんでした。
そんな兄を抱っこして歩くたびに、母は周囲の賞賛を受けてきっと自慢の子供だったに違いありません。
親戚もきれいな赤ちゃんだとたいそう喜んでいました。
まさに兄は光の中でこの世に誕生しました。
そんな兄が生死の危機に直面したのは、兄が生まれて半年目だったといいます。
何か悪いものを食べたのかもしれません。
母は、「ヒ●タ」のシュークリームの中に入っているカスタードクリームを父が兄に舐めさせたことで、兄が下痢をして脱水症状を起こし高熱を出したのだと思っていたようでした。
父は父で兄は偶発的に病気になってしまったと信じていたようです。
どちらも兄がこんな酷い目に遭うなんて信じたくなかったのだと思います。
もしかしたら父の舐めさせたクリームが原因なのかと、私も幼い頃は母の言葉を信じていましたが、これも兄の宿命だったのではないかと今は思っています。
兄が入院して1週間がたちました。
高熱のために兄はずっと昏睡状態が続いていたのです。
まさに生命の危機に直面していました。
医師からはいつ亡くなっても不思議ではないといわれ、たとえ助かっても高熱のために脳に障害が残るといわれました。
そして、その医師の言葉はピタリと的中しました。
兄は生命は助かりましたが、脳細胞が壊れてしまったのでしょう。
兄は重度の知的障害を持つことになりました。
言語障害のためにバナナは「バババ」としか話せません。
そんな兄は子供の頃から多動で5分もじっとしていればいいほうで、常に動き回っていました。
癲癇も持っていますので、医師から安定剤などの薬を処方されいます。
多動で疲れ果ててしまったからなのか、薬の影響なのかわかりませんが、薬を飲んで1時間くらいすると兄はぐったりと眠りこんでいました。
そんな兄を毎日見ていて、きっと兄は薬がないと生きてゆけないだと思っていました。
なぜなら兄はいつも決まった時間帯に服薬していたからなのです。
薬の管理は母がきちんとしていました。
だから時間がずれることはめったにありませんでした。
これは今でも忘れられない思い出です。
ある日、母は用事があって、帰宅が服薬の時間には間に合わないので、私に兄に薬を飲ませるように頼んで出かけたことがあります。
私は兄と一緒の留守番を快く引き受けました。
母も安心して出かけていったと思います。
母がいなくても、兄はいつものように外で飛び出したり、何か食べるものを探しまわっています。
家の中にいても走り回ったり、奇妙な動きで体操かダンスのようなことを繰り返しています。
たまに気が向けがテレビのコマーシャルを夢中でみています。
たとえきょうだいであっても、兄の言動は理解しにくいことは多かったです。
夕食の時間が来ましたから、兄に夕食を食べさせるために一緒に夕食をとりました。
夕食後もいつものように普通に生活をしていました。
「ご飯さえ食べさせておけば大丈夫!」
そんな安心感があったからでしょうか。
私は兄に薬を飲ませることをすっかり忘れてていました。
今まで元気よくぴょんぴょんはねまわっていた兄が突然倒れたのです!!
そして兄は口から泡を吹いて全身を震わせていました。
これは兄が癲癇を持っていたからだと後から知りましたが、当時の私はそんなことは知りませんでした。
兄は倒れてあたふたしている私に救いの神が舞い降りたのか、ほどなく母が帰宅してくれました。
急いで帰宅したばかりの母に兄のことを伝えると、母は顔色を変えて兄のところへ走ってゆきました。
母は兄を抱え、兄の名を叫びながら、必死で意識を回復さそうとしていました。
看護婦だった母は、幸いにも処置の仕方を心得ていて、てきぱきと対応し、兄に薬を飲ませて兄の意識をもどしました。
薬が抜けてただけであんなに簡単に倒れてしまうなんて・・・。
あの時はじめて、私は兄はなんてもろい存在なのかということを知りました。
そして、薬の重要性を知ることとなりました。
ただ、母は「お薬は体に蓄積してよくないから本当はお薬は飲ませたくないけれど、お薬を飲まなかったら、お兄ちゃんは興奮がおさまらないし、こんな風に倒れてしまうの」と言っていたのと覚えています。
また、障害者の多くは長生きしにくいと聞いたことがあります。
その理由の一つは長年にわたって薬を服用しているからだといいます。
ちょっとしたことなのに、実は大変なことを招いていることってあるのですね。
子供の私にはわからないことが沢山ありました。
兄の存在も兄の障害も兄の扱われ方も・・・。
大人になっても、それこそ両親が亡くなって本格的に兄の親代わりをしている現在であっても、母親以上に兄を理解することは難しいです。
どんなに頑張っても私は「障害者のきょうだい」なのです。
ただ支えあげることしかできないのです。
もしかしたら、それは子供時代から変わっていないのかもしれません。