私はあるきっかけがあって、障害児をもつお母さんのお話を伺う機会がありました。
そこで感じたことは、障害者のお母さんは、誰もが一度はこの子を連れて死にたいと感じたということです。
お母さん方はそんなに追い詰められているのです。
多くのお母さんが、自分の親きょうだいにも配偶者の親きょうだいにもわが子の障害を受け入れてもらえず、中には実家同士が障害児が生まれたのは相手の家が悪いのだと責任のなすりつけあいをして離婚しかけたという方もおられました。
それでいろいろ調べていくうちに、わかったことがありました。
障害児と健常児では障害児が可愛いと断言するお母さんの場合、わが子の障害が重度で、支援のすべてを自分で抱え込んでいるのです。
そして、健常児の方が可愛い、もしくは両方とも同じくらい可愛いというお母さんの場合、健常児が障害児の生活支援にしっかりと関わっているのです。
また、障害児を産んでよかったこと・悪かったことにおいては、障害児の方が可哀想と回答したお母さんは、障害児で産まれたことをマイナスに感じているのに対して、健常児の方が可哀想と回答したお母さんは、障害児で産まれたことを良かったと感じているのです。
その中で私が最も感動したのは、あるお母さんの言葉でした。
●障害児の母親になってよかったこと:
「障害児のお母さんの人生を歩めたことです。
それで、私には人の何倍もの人生を与えてもらいました。感謝しなくてはいけません。」
●障害児の母親になって悪かったこと:
「ありません。私は本当にあの子を産んでよかったと思っています。」
そのお母さんはこうもおっしゃいました。
「確かにあの子を産んで死にたいような苦しみもありました。一緒に死のうと思いました。
でも、あの子がいたからこそ、私はあの子に育ててもらったのです。
もしあの子がいなかったら、私ももっともっと頼りない母親になっていたと思います。
私にとってあの子が生まれてくれたおかげで、私は人間として成長できる機会を与えられました。
たとえ最初は辛くても、長年障害者の母親として生きてきたら、そのことのありがたさを感じることができますね。」(笑)
これは多分悟りの言葉だと思います。
でも、こうして笑ってお話できるって、きっと過酷な人生との葛藤を乗り越えられたからではないでしょうか。