以前の前説でも触れた「ジブリの大博覧会」(岩手県立美術館)が昨日で終わりました。公式ツイッターによると約32万人が来館したそうで、平均入館料を1,000円として入館料収入は3億2千万円!・・・と思ってしまいました。国内外から来館していますが、博覧会が盛岡にもたらせた経済効果はどのぐらいなのでしょうか?余談ですが、最終日の待ち時間は70分だったそうですから最盛期に比べれば1/3以下でした。
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私的成田街道、1週間ぶりに再開です。八幡神社の石段を下りて国道296号線へ戻り、再び歩き始めると数分で鹿島橋で鹿島川を渡ります。千葉市緑区から北へ向かって流れ印旛沼へ注ぐ川で、総延長は約32キロですが、鹿島橋から数キロで印旛沼です。
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(立派な鹿島橋人道橋 -佐倉市角来 2019/12/28-)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/24/3e11c883c1d4256725e6c35e115b8a69.jpg)
(鹿島橋人道橋から見た鹿島川下流 -同上-)
鹿島川を渡ると鹿島橋交差点があり、国道296号が直進と右折方向に分かれます。元々の国道296号線は直進のみだったと記憶していますが、右折する国道296号線は鹿島川の支流の高崎川に沿って南下し、JR佐倉駅前を経て佐倉バイパスを経て再会します。
鹿島橋交差点を過ぎると「田町車庫」バス停があります。その昔、佐倉の市街地を「田町車庫行」のバスが頻繁に走っていましたので京成電鉄バス部門のバス停かと思いきや「千葉レインボーバス」とありました。私の記憶が30年以上前で止まっているからですが、京成電鉄→京成バス→千葉レインボーバスとなり現在に至っています。
この田町車庫、先ほどご覧いただいた鹿島川からさほど離れていませんが、2019(令和元)年10月の台風21号による同川氾濫により1メートル以上冠水し、多くのバスが廃車となりました。
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(車庫が付くバス停、好きです -佐倉市田町 2019/12/28-)
田町車庫を過ぎると石碑が目に留まりました。頭に「市営菖蒲園跡」とあります。純和風庭園として1958(昭和33)年7月に開園しましたが、1975(昭和50)年4月に閉園しました。石碑が建ったのは閉園してから9年後ですが、石碑にも刻まれているとおり当時を偲ぶものはなく、関係ない椿が咲いていました。
佐倉市のHPには「市の花は公募で決まった」とありましたが、市民の意識にこの菖蒲園があったのでしょうかね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/2b/b4ad6265ec823bf7d7b73791c7c6e120.jpg)
(30年以上経ってもきれいな石碑とそばの椿 -同上-)
菖蒲園跡を過ぎると、右手に高台とそこへ続く坂道が現われました。坂の上には国立歴史民俗博物館がありますが、一帯は佐倉城跡でもあります。寄り道するとちょっと時間を費やしそうなので坂の下で眺めるだけにしましたが、江戸時代の1616(元和2)年頃に築かれました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/a6/51fbc05a021a3f2cb996611e12d1328d.jpg)
(佐倉城跡に続く坂道 -佐倉市城内町 2019/12/28-)
私は史跡巡りが好きですが知識は非常に薄っぺらで、この佐倉城に詰めていたのは堀田氏であることは知っていましたが、江戸時代中期の1746(延享3)年に山形から入封してきたということは、今回調べて初めて知りました。築城から堀田正亮(ほったまさすけ)の入封までのべ9氏も交替していました。今でいえば人事異動のようなものでしょうが、ずいぶん頻繁に代わっていたのですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/08/52f0b084190679ae31e37d7371ec8841.jpg)
(国道に沿う水堀 -同上-)
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私的成田街道、1週間ぶりに再開です。八幡神社の石段を下りて国道296号線へ戻り、再び歩き始めると数分で鹿島橋で鹿島川を渡ります。千葉市緑区から北へ向かって流れ印旛沼へ注ぐ川で、総延長は約32キロですが、鹿島橋から数キロで印旛沼です。
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(立派な鹿島橋人道橋 -佐倉市角来 2019/12/28-)
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(鹿島橋人道橋から見た鹿島川下流 -同上-)
鹿島川を渡ると鹿島橋交差点があり、国道296号が直進と右折方向に分かれます。元々の国道296号線は直進のみだったと記憶していますが、右折する国道296号線は鹿島川の支流の高崎川に沿って南下し、JR佐倉駅前を経て佐倉バイパスを経て再会します。
鹿島橋交差点を過ぎると「田町車庫」バス停があります。その昔、佐倉の市街地を「田町車庫行」のバスが頻繁に走っていましたので京成電鉄バス部門のバス停かと思いきや「千葉レインボーバス」とありました。私の記憶が30年以上前で止まっているからですが、京成電鉄→京成バス→千葉レインボーバスとなり現在に至っています。
この田町車庫、先ほどご覧いただいた鹿島川からさほど離れていませんが、2019(令和元)年10月の台風21号による同川氾濫により1メートル以上冠水し、多くのバスが廃車となりました。
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(車庫が付くバス停、好きです -佐倉市田町 2019/12/28-)
田町車庫を過ぎると石碑が目に留まりました。頭に「市営菖蒲園跡」とあります。純和風庭園として1958(昭和33)年7月に開園しましたが、1975(昭和50)年4月に閉園しました。石碑が建ったのは閉園してから9年後ですが、石碑にも刻まれているとおり当時を偲ぶものはなく、関係ない椿が咲いていました。
佐倉市のHPには「市の花は公募で決まった」とありましたが、市民の意識にこの菖蒲園があったのでしょうかね。
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(30年以上経ってもきれいな石碑とそばの椿 -同上-)
菖蒲園跡を過ぎると、右手に高台とそこへ続く坂道が現われました。坂の上には国立歴史民俗博物館がありますが、一帯は佐倉城跡でもあります。寄り道するとちょっと時間を費やしそうなので坂の下で眺めるだけにしましたが、江戸時代の1616(元和2)年頃に築かれました。
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(佐倉城跡に続く坂道 -佐倉市城内町 2019/12/28-)
私は史跡巡りが好きですが知識は非常に薄っぺらで、この佐倉城に詰めていたのは堀田氏であることは知っていましたが、江戸時代中期の1746(延享3)年に山形から入封してきたということは、今回調べて初めて知りました。築城から堀田正亮(ほったまさすけ)の入封までのべ9氏も交替していました。今でいえば人事異動のようなものでしょうが、ずいぶん頻繁に代わっていたのですね。
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(国道に沿う水堀 -同上-)
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