秋さくら
澤谷先生
おはようございます。
養成講座生の秋さくら(ぶん)です。
>養成講座をつづけないといけませんね。まだまだですよ。左脳を越えて右脳。思考を越えて思惟。そこらあたりが必要ですね。
はもちろんおっしゃる通りなのですが(笑)、
>そこらあたりはすでに読んでおられるのかと思いましたが
と言われて、あまりにも自分の文章力の無さが悔しかったので(苦笑)、少し補足させてくださいませ。
先のメールの、
「何度かお伺いした『不幸になりたい人はいない』という先生のお話に、疑問が湧いてきました。」
と、
「おそらく悲しみに惹かれるのは、私の中に感じなければいけない悲しみが隠れているのではないかと思います。」
の間を、いつもの悪い癖でかなりすっ飛ばしてしまいました。
おっしゃる通り、私は不幸としあわせを逆転してとらえています。
ただそれは『不幸=しあわせ』と間違っているのではなくて、『不幸→しあわせ』という図式なのですね。言い換えれば、不幸に見えることを味わい尽くす先に、しあわせがあるとわかっていてやっているのです。
一直線にしあわせにむかっている状態とも言えます。
それはデトックスするべきものがそこにあるからに他なりません。
そうして幼子を失った悲しみに反応するということは、おそらく私の中に大きな悲しみが隠れているのだろうと思い至ったのでした。
ですからお聞きしたかったのは、どうすればその悲しみを感じて味わい尽くすことができますか? ということでした。
ただ、これを書きながら考えましたらもう少し分かってきました。
左脳優先の私は、頭では「悲しみが分からない」状態ですが、そんな私に体が教えてくれます。
喉が詰まり涙が出る、これが悲しみだろうと思われるものを知らせてくれるのです。
ですから体が教えてくれるものに従ってそのまま感じていけば良いということなのでしょう。そこからいつか右脳に感覚を戻せるように思います。
同じように、優位な左脳に押し付けられて働いていない右脳が、ふと感じる感情をなんとか拾い上げていくことで、思惟の世界に近づけるのかもしれません。
とするならば私がやるべきことは、日々起こる『問題に見えること』に安心するだけで終わるのではなく、その安心の中で『何をデトックス出来ると期待して安心したのか』という疑問を持ちながら、浮かび上がってくる感情や体の反応を感じ尽くすことではないだろうかと思いました。
仕事中など、なかなか感じ尽くすのは難しい時間が多いですが、意識を変えることでいつでもどこでも少しずつ進めるものと信じます。
『思考ではなく思惟』というアドバイス、ありがとうございました。
***
返信を書きながら、どんどんクリアになっていく思考にびっくりしました。
文章を書くスピードは、思考するスピードより遙かに遅いです。ましてやこのメールは携帯で書いたので、なおさらでした。書いている間、頭に余白が出来るのです。
その余白が、高速で何かを掴んだり放したりしました。
本当は先生は、最初のメールでお分かりになられたのにあえて「わかりやすく書くこと」の訓練をさせてくだっさっているのだろう、とも思いました。
分かっていると思い込んでいるときにはまだ本当には分かっていないことが、もう一度自分の言葉で書くことで分かってくるのだろうとも思いました。
そして何より書くことで、疑問に思っていたことがするすると解けていったのです。
見事に糸口にたどり着いてしまいました。
書き終わって思ったのは、「先生からのメールに感じた『怒りに似た感情』だって、大切な感情だったのだな」ということでした。その感情を感じて良かったと思いました。
そこでその感情を「なかったこと」にしていたら、このメールは書けなかったし、書かなければ糸口を見つけ損ねていたかもしれないからです。
何もかも整然と、準備されて順番通りにやってくるのだと思いました。これだから人生はおもしろいのですね。
お読み頂きありがとうございました。
ありがとうございます。
>そこでその感情を「なかったこと」にしていたら、このメールは書けなかったし、
>書かなければ糸口を見つけ損ねていたかもしれないからです。
>何もかも整然と、準備されて順番通りにやってくるのだと思いました。
>これだから人生はおもしろいのですね
「そうなのかあ、、、、。」と、しみじみふむふむいたしました。
『感情』のうねり? をキャッチしても、そこで、ただただ『ぐるぐる』したり、
無理やり、やみくもに『手放す』のではなく、
>その安心の中で『何をデトックス出来ると期待して安心したのか』という疑問を持ちながら、
>浮かび上がってくる感情や体の反応を感じ尽くすことではないだろうかと思いました。
と言う過程を『味わって』いなかったのに気づきました。
やっぱり、わたしは『ざる』でかき回していながら『何もないじゃないのさ!』と、ぷんすかしていたみたいです。
リフトのないスキー場で、登らないと滑れないというのと同じかな?と感じました。
>ただ、これを書きながら考えましたらもう少し分かってきました。
書きながら、しゃべりながら、分かってくることってありますね。だから文章にしたり、体験談をすることが大切なのでしょうか?
>文章を書くスピードは、思考するスピードより遙かに遅いです。ましてやこのメールは携帯で書いたので、なおさらでした。書いている間、頭に余白が出来るのです。
その余白が、高速で何かを掴んだり放したりしました。
ここのところおもしろかったです。車や電車で通り過ぎると見過ごすものも、自転車に乗っていたり、歩いていたりすると見えてくるのと同じでしょうか?私たちは、効率を求めるあまり、大切なものに気づかずに通り過ぎていることが多いのかもしれませんね…
>わたしは『ざる』でかき回していながら『何もないじゃないのさ!』と、ぷんすかしていたみたいです。
ざる、という表現に脱帽です。なるほど。確かに掴み損ねるときはそんな感じですね。
そのように感じられるcake☆mixさんの感性が素晴らしいと思うのですね。
それがcake☆mixさんの持ち味ですね。私の左脳思考とはまた違う、cake☆mixさんだけの持ち味だと思います。
どんどん磨いていかれたらおもしろいでしょうね(^^)
ちなみにこのメールのやりとりの続きに、澤谷先生から返信を頂きました。私が書きながら思ったように、先生はちゃんと一度目のメールで読み取っていらしたのです。けれどもあえて私自身の言葉で書くことが大切と考えてあのように返されたそうです。
ありがとうございました。
見習わねば……(^_^;)
大変深く読み込んで頂き光栄です。
リフトのないスキー場の例え、電車と自転車の例え。。。
谷川先生の分かりやすいお言葉が、更に深く何かを伝えてくださいます。
書くこと、話すことで分かることあり。
それを読んだり、聞いてくださった方からのレスポンスで分かること有り。
人生には鏡の法則と絆の法則が働いていると知る瞬間ですね。
ありがとうございました。
台風の影響で、非常に悪い天気です。
自分の気分も鬱々としております(苦笑)。
いろんな感情が行き来している様子を書かれていて、興味深く読ませていただきました。
こころや感情は、絶えず動くもの。その奥底に何かあるのでしょうが、そう簡単には気付かせてくれない。気付くために敢えて、いろいろな感情を沸き立たせる状況を与えられるのでしょうかね。
繰り返し繰り返し・・・自分もやっていっております。
飽きもせずにね(苦笑)。
私もこうして『飽きもせずに』やっております。
飽きるのは勿体無いですね。せっかくの人生の醍醐味は、満喫せねば(^^)
心コロコロ、と言われるのは道理ですね。
コロコロ、飽きもせずにやっていらっしゃる山さんは、それが魅力的ですね。
存分に『人が生きる人生』を満喫していらっしゃると感じます。
ありがとうございました。
>その感情を感じて良かったと思いました。
>そこでその感情を「なかったこと」にしていたら、
>糸口を見つけ損ねていたかもしれないからです。
そうですね。
わかってるつもりでも、ついつい今までの癖で感じなかったことにしてしまいがちです。
そうやって自分をごまかすことを続けていると、どんどんややこしくなってしまうんでしょうね。
いつもながら、秋さくらさんの集中力に脱帽なのです。
これは、野口義則さんの「3つの真実」の一つの真実でした。
嫌な感情(怒り/妬み/嫉み)は、残さずに出来るだけ早く忘れた方が
良い・・・って、良く言われます。
でも、その感情が沸いてくるのには、大きな意味があるのですね・・・
最近、嫌な感情が沸いてきたとき、それを感じ尽くすと共に、何故、
その感情を持つに至ったのかの理由を考えるようにし始めています。
ただ、考えても、判らない場合が、多々、あるのですが・・・
また、考えすぎて、悩みすぎる場合もあったりして、まだまだです。
それを秋さくらさんは、「おもしろい」と言われている・・・
素晴らしいですね・・・
後編、とても勉強になりました、ありがとうございました。