澤谷 鑛
『いのちの絆の物語』(池川 明 ・ 澤谷 鑛 共著)が9月1日に出版された。10月には、東京・札幌・京都と「出版記念講演会」が開催され、池川先生と共にお集まりの皆様に楽しくお話をさせていただいた。
そんな中に「いのちの教育」を考えていたように思う。
以前、このような事が『産経新聞』に載せられていたのをブログで紹介したことがある。
「なぜ人を殺してはいけないのですか?」
数年前、ある公開討論会で客席の若者が何気なく発した質問に会場は凍り付いた。子供と正面から向き合おうと思っている大人ほど、その答えに窮した。
もう10数年も前のこと――黒田恭史さんは小学校の新米教師だった。東能勢小学校(大阪府豐能町)で4年生の児童約30人とブタを飼う「授業」を始めた。
ブタには「Pちゃん」と名前をつけ、子供たちが体育館の裏に小屋を建て、廃品回収で集めたお金でエサを買い与えた。夏休みや休日も交代で世話をし、排泄物の掃除もした。臭いにおいを嫌っていた子供もいたが、抱きついたり頬ずりするまでになった。Pちゃんはペットと化していた。
ところが、この話は“美談”では終わらなかった。それは黒田さんが「みんなでPちゃんを食べよう」と提案したからだ。
日に日に巨大化するPちゃんをめぐり、黒田さんを交えて子供たちは何度も何度も話し合った。それは、彼らの卒業の日まで続く長い長い「授業」でもあった。
Pちゃんをどうするか? その結論が出るまで、子供たちは悩み、苦しみ、泣きじゃくった。
「私たちが卒業したら下級生が育てたらいい」
「それは無責任だと思う」
「じゃあ殺しちゃうの?」
「ずっと一緒にいられるわけないんや」
「僕らに食べられた方が幸せかも」
「でも私は絶対に食べない」
黒田さんは、子供たちの議論を見守り、保護者も巻き込んだ大論争が展開した。動物園の園長を招いて意見を聞いたり、子供たちを食肉センターに連れて行き、ブタが食肉になる過程を見学させたこともある。
ようやく結論に至るのは、卒業式の前日だった。
Pちゃんは、地元の食肉センターに引き取られることになった。
これらの模様は、民放TVのドキュメンタリーで放映され、当時すさまじい賛否を呼んだ。黒田さんはPちゃんの問題をきっかけに小学校の教諭を辞めた。現在は京都にある佛教大学で、教師を目指す学生たちと再び「いのちの教育」のあり方を探っている。
「今でもあの授業が成功だったのか、失敗だったのか、わからない。いのちの問題は答えが一つじゃない。その中で、あの子たちは逃げなかった。泣きながらも最後まで踏みとどまって考えていた。痛みを感じながら、Pちゃんの死と本気で向き合った経験は無駄ではなかったと思う」
と黒田さんは言っている。
生徒たちは、机の上に散らばる米を一粒一粒、真剣に数えていた。
東大阪市立長栄中学校の山下文夫教諭(63歳)は、米粒を男性の精子に見立て、その中から「自分」を探させる。3億の精子のうち卵子に達するのはたったの1個なのだ。3億という数がどれほど大きなものなのか、ひとりひとりのいのちがどれほどすごい確率で生まれたのか、体感してほしいとのねらいなのだ。
40人近い生徒が2時間かけて数えたのは3億にほど遠い10万粒――。
ある男子生徒は、
「自分がこの世にいることが奇蹟だと思った」
と感想文を読み上げた。山下教諭は、すかさず付け加えた。
「みんな自分のいのちの尊さは分かったと思うけど、隣におる子もそうなんや。自分の前後も、斜め横の友だちも、みんな3億分の1ということを考えてや」
山下教諭は、2年前に定年を迎えたが、現在も非常勤で保健体育を教える。授業は「生と死の教育」(デス・エデュケーション)と名付けられている。
「生と死の教育」は欧米ではじまり、日本には昭和50年にドイツ人のアルフォンス・デーケン上智大学名誉教授(哲学)が紹介した。当初は、自分や身近な人が死ぬまでの日常をよりよく生きるとの意味から、「死への準備教育」と呼ばれたが、次第にいのちの尊さ伝えることに力点が置かれるようになった。「生」を教える「死」の教育というわけである。山下教諭もデーケン教授の著書を読んだ一人だが、授業の中身はほとんどが我流なのだという。
米粒を数えさせた次の授業では、自分を中心に家系図を12代までさかのぼって書かせた。
「このうち1人が欠けても、君らはここにおらんのやで」
山下教諭は言った。
このお二人の実践のように、体感してわかったことは、本物でしょうね。
「生と死の教育」(デス・エデュケーション)という名前はなかったものの、かつての日本には、生と死がもっと身近にあり、今よりももっと「生かされている有り難さ」を感じながら生きていたのではないかと思っています。
古きよき日本から何を学ぶべきか、今模索中です。
11月6日に封切られる「うまれる」や「玄牝(げんぴん)」といった、出産のドキュメンタリー映画を見ることも、きっとすてきな「いのちの教育」になりますね。
理性に偏った教育というのは、思考中心の考え方ということでしょうか? その奥には、科学的思考の論理や近代的合理精神が横たわっています。この歴史は、200年くらいのものですが、それだけでは破綻や荒廃する現実が見え隠れするのが感じられ、何かを模索しているのが日本人であり、世界の人々なのかもしれません。
谷川さんには、精神科医の山さんとともに、毎週火曜日に発行している「メールマガジン」にエッセイを書いて貰うことになりました。いのちの教育に言及されるのでしょう。明日、メルマガは発信します。
現代では、「死」というものがタブー視されています。
「死」が悪いものとして、避けるべきもののように取り扱われている気がしてなりません。
しかし、絶対避けることの出来ない「死」。
逃れることの出来ない「死」。
「死」を考えないと、本当の意味での「生きる」ことの意味も見えてこないのかもしれません。
今回、ご紹介くださったお話は以前にもお聴きしたものですが、黒田恭史さんの試みは、それだけ「生」と「死」とがシビアなまでに強固な結びつきがあることを、生徒に体感して欲しかったのでしょうね。
「今でもあの授業が成功だったのか、失敗だったのか、わからない」
といって、教師の職を辞めたという姿勢に、凄まじさを感じます。
そもそも この3億個の精子の中に“自分”はいないし卵子の中にもいない。
“自分”というものが存在するのは、受精後数週間の後 魂の容れ物である身体が形成されてから後のことであろうと思います。
この頃 池川先生の仰る“子供は親を選んで生まれる”ということに繋がって行くのではないでしょうか?
生まれてくる「命」
逃げられない苦を背負い生きなければならない「命」
親子が絶対的な絆としての基盤となる「命」・・・。
「命」そのものの存在がどうあって、人としてその命を全うするための「生き方」をどうすればいいのか?その答えを求めているのではないかと推察致します。
生きるとは、死に向かって歩むことである。
その事実を直視して、いつか来るであろう『死』なのか、明日急にやってくるものなのか、全く見えない未来がありながらも、「今・ここ」で己が何をなすか?そして一日一日を悔いなく精一杯生き抜く「積み重ね」をしてゆくしかないとも感じております。
繰り返しますが、「いつか自分は死を迎える。」という事実を見つめ、やがて死すこの命を精一杯、いま・ここに生きている命を尊ぶ感覚が共有される世界が求められているのではないかと思います。
追伸:まだまだ38歳、死いうカウントダウンがなされる実質的な感覚は、おぼろげな世界にある感じも正直します。しかし、今を生きる覚悟と決意は、日々刻々と深めている感じはしております・・・。
そう仰って、一切の妥協無く本質に向き合われ、教え子たちをも本質に向き合わせようとされた黒田さんのその勇気、その真剣さはどこから来たのだろうと考えさせられました。本質の大切さがたとえわかっていたとしても、職を辞してまで貫ける人ばかりではありません。
それに、そうまでしても答えは出ない。黒田さんご自身がそれを良くわかっておられる。答えを出したいというのは人間の変わらない欲求だと思いますが、黒田さんは答えが出ないことを承知の上でこの議論を始めておられる。ここには損得を全く無視されたご姿勢が表れ出ています。
答えが出ない、答えがわからないというのは、苦しい状態です。ほとんどの人は答えを求めて納得したいと思いながら、逆に間違ってしまう。それでも人は答えを求めてしまうのだと思います。そんなにも強く、止み難い欲求を超えておられる黒田さんのご姿勢の潔さには、凄まじいものを感じます。そして、たったお一人がこのように本質を求めて真っ直ぐに混ぜ物なしの姿勢を貫かれることで、周囲に大きな渦を作り出しているのを見ていると、勇気を持って妥協無く生きることの貴さや重さ、力が、よく見えてくるように感じます。
自分もそのように生きられるのだろうか。
いつも正しいとは限らない。
でもせめて、自分に嘘をつかずごまかさずに
自分の貧しさを生き切ることができるだろうか。
そのようでありたいと願いました。
ありがとうございました。
そのときは純粋に命の尊さというものを感じたのですが、今回感じたのは別のことでした。
>子供と正面から向き合おうと思っている大人ほど、その答えに窮した。
この「子どもと正面から向き合おうと思っている大人」の中に、黒田先生や山下先生は入りますね。
豚の授業や米粒の授業そのものが、「なぜ人を殺してはいけないのですか?」という質問への、先生方の答えと言えるかも知れません。(その答えのつもりでなさった授業ではないでしょうけれども)
ではそれ以外の方はどう答えるでしょうか?
そもそも、豚を殺して良くて、人を殺してはいけない理由というものがあるのでしょうか?
さくらみるくさんがおっしゃるように、答えのない中を進み続ける勇気が要るのですね。
今の私には、「なぜ人を殺してはいけないのですか?」という質問に答えられる答えはありません。問い続けることの苦しさと尊さを、かみしめていたいと思います。
そしてそれを握りしめないでいたいですね。
ありがとうございました。
以前、この話で感想を持たれたのとは別の視点が浮かびあがってきたのではないでしょうか?
逃れることは出来ない「死」と知っていながら、その「死」に関して考えないのかも知れません。考えないのに二つあって、「死」ぬことはわかっているので考えても仕方がないというものと、「死」ぬらしいくらいでほんとうに「死」ぬと実感していないので考えないというのがあるように思います。そのまた奥には、前世や来世という考え方があり、「死」もプロセスであり、通過点にすぎないというものもあるように思われます。
山さんにとっては、「死」は「生き切る」とイコールということが実感したいのではないか、と思いますが……。そこらあたりが一番聞きたいですね。
このことは、ある人から、こんなメールをいただいたのを10/1のブログで紹介しました。
【澤谷先生、新刊の池川先生との共著『いのちの絆の物語』(南方新社)を拝読しています。なかなか内容が深くて面白く読めますね。
それで気がついたことがあるのです。6月に出版された『しあわせな人生を実現させる4つの法則』(インフォトップ出版)のアマゾンキャンペーンでいただいた先生の音声の中にあった話です。
どこかの学校の先生がいのちの教育の為に、精子の数をお米の数で数える話です。その話を聞いて私は、精子ひとつが自分だとすると、ちょっと間違うと隣の精子が生を得るチャンスを奪ったのかも知れない、と思うとゾッとします。
また、一回の射精で必ずひとつの精子がいのちを獲得するとは限らないので、途方もない犠牲の上に自分が生まれたと思うと、怖い話だなと感じます。
最近の医学では、精子ひとつひとつが競争して卵子を目指すのではなく、協力して一部の精子を卵子に行き着くように動いているらしい、とテレビでみたことがあります。エベレスト登山のように、一人の人を頂上に到達させる為に、中腹までサポートチームを組んで登山をする感じです。】
「和して同ぜず」というところをなんとか表現されようとしているようにも思えます。
「和」するとは、調和することであり、何と調和するのかというと、その本質、ほんものに対してです。
「同」ずるというのは、現実に対して妥協することであり、主体的道具である心を駆使し、その現実的展開として客体的道具としての肉体を使い、表現したものに対しての妥協です。
当然、「同じて乱をなす」ということになるでしょう。
さくらみるくさんは、養成講座に入った当初は、嫌われたくないという思いがあり、妥協もいたしかたないと思われるものもありましたが、最近では、同じない生き方をされています。
それは、ほんとうに「和」することができているからなのでしょう。「和して同ぜず」が自己実現しているからなのですね。