最後まで量子論と仲直りできなかったアインシュタインは、一緒に散歩していた物理学者アブラハム・ペイズにこう問うた。
月は見ているときだけ存在する、といったら君は信じるか?
レントゲンが回り目の前には鏡がある。
頭部と口は完全に固定されているので動くのは目玉だけである。
鏡に映る自分の顔は常にこちらを見ている。
いや正確には、当然のことながらこちらが鏡を見たときは常にまっすぐこちらを見ているのである。
医師は隣の部屋にいる。
もちろん常識的科学的合理的に考えてこちらが鏡を見なければ鏡に映った目はこちらを見ていないのであろうが、この状況で誰がそんな簡単な事実を確認しうる?
こちらを見つめていない鏡の中の顔というのは結局、すぐ目の前にありながら、(この状況では)世界の誰一人として観測できない現象なのである。
実は鏡の中の顔はこちらが鏡を見ようと見まいと常にこちらを見ているのではないか?
観測されない事象は存在しないのと同義であるという、バークレーの主観的観念論や人間原理に似た錯覚が発生する余地がここにある。
誰一人関心を払わないサバンナのキリンは実在しうるか?
森の中で誰にも気付かれずに倒れる木は音を発するか?
宇宙に人間のような意識をもった生命が誕生しないという「無駄な」シナリオは本当に存在するのか?
趣旨は全く違うが、観測者による世界への干渉というのは単なる形而上的空想ではなく、量子論以降の現代物理学におけるれっきとした一つのトピックである。
波束の収縮はいつ起こるのか?機械が観測を終えたときか?機械の出力が観測者の網膜に映ったときか?あるいは観測者の意識にのぼったときか?では意識とはどの過程をさすのか?それとも波束の収縮というのは単なる幻にすぎず多世界解釈というものを認めるべきなのか?
もしもあなたが親知らずを抜くことがあったら、レントゲンが回る15秒間の間にいろいろ世界を探検してみよう。
月は見ているときだけ存在する、といったら君は信じるか?
レントゲンが回り目の前には鏡がある。
頭部と口は完全に固定されているので動くのは目玉だけである。
鏡に映る自分の顔は常にこちらを見ている。
いや正確には、当然のことながらこちらが鏡を見たときは常にまっすぐこちらを見ているのである。
医師は隣の部屋にいる。
もちろん常識的科学的合理的に考えてこちらが鏡を見なければ鏡に映った目はこちらを見ていないのであろうが、この状況で誰がそんな簡単な事実を確認しうる?
こちらを見つめていない鏡の中の顔というのは結局、すぐ目の前にありながら、(この状況では)世界の誰一人として観測できない現象なのである。
実は鏡の中の顔はこちらが鏡を見ようと見まいと常にこちらを見ているのではないか?
観測されない事象は存在しないのと同義であるという、バークレーの主観的観念論や人間原理に似た錯覚が発生する余地がここにある。
誰一人関心を払わないサバンナのキリンは実在しうるか?
森の中で誰にも気付かれずに倒れる木は音を発するか?
宇宙に人間のような意識をもった生命が誕生しないという「無駄な」シナリオは本当に存在するのか?
趣旨は全く違うが、観測者による世界への干渉というのは単なる形而上的空想ではなく、量子論以降の現代物理学におけるれっきとした一つのトピックである。
波束の収縮はいつ起こるのか?機械が観測を終えたときか?機械の出力が観測者の網膜に映ったときか?あるいは観測者の意識にのぼったときか?では意識とはどの過程をさすのか?それとも波束の収縮というのは単なる幻にすぎず多世界解釈というものを認めるべきなのか?
もしもあなたが親知らずを抜くことがあったら、レントゲンが回る15秒間の間にいろいろ世界を探検してみよう。
光を反射してるんだから当たり前なんですけど、同じ瞬間、同じ鏡でも角度によってうつすものが違うってめっちゃ不思議に思いましたよ!
って、鏡を鏡でのぞいてる時点でだめなのかなぁ