satzz the lernanto online

目眩く思想世界擬きと言霊フロンティア
Depuis 2005/05/19

76分49秒

2006年08月31日 00時08分40秒 | Diary
27(SUN)
PCにとってあったケータイメールのバックアップが操作ミスによってまるまる消滅。語学の単語帳をバッチ処理しようとしただけなのに。もう萎えた。馬鹿馬鹿馬鹿。
この間メルアド送ってくれた人以外はアドレス帳もほとんど復旧できてないし、最近メールのやりとりした人とサークルの人以外はほとんどメール送れなくなってしまったのでついでにケータイ使う気までなくなってきた。
失われたバックアップによって皮肉にもバックアップの大切さを思い知る。

30(WED)
親知らず抜糸5分。今度左側も抜くらしい。萎 え ちゃ う よ?

28(MON)
テレビ番組を継ぎ接ぎしただけのような学科教習の事故の映像。
でも確かに、ああいうのを暗い部屋のスクリーンで見せられると痛みがこっちにも伝わってくる。
交通事故による24時間以内の死者は全国平均で76分49秒に一人。

僕らは、1時間と少しおきに人を殺せる凶器を駆って暮らしている。

29(TUE)
webで教養の成績を見る。単位があったのはギリシア語、コンピュータサイエンス、CG、微積、フランス語一つ。素晴らしい。狙いが完璧に当たっている。さて専門如何に。

最近何故か忙しい。ほとんど休む暇もなく定期的に用事がやってくる。まぁ無為に過ごさなくなってよかったのかも。思考停止に陥っている自分よりがむしゃらに動いている自分の方がまだ好きだ。春休みと同じ、不本意な忙しさの匂い。

30(WED)
人生で初めて書いたCGIが動く。涙が出そうだ。ウソだけど。本番の納期は3週間後。しかもボランティアで報酬はない。さすがのさっつさんも経験値だけ食ってちゃ死にそう。

27(SUN)
朝から高速教習ってほど濃いものはない。3人で運転するのに、やっぱり僕だけ注意点多い気がする。ってか明らかに多い。有難くご説教賜ります。

本買いたい。とりあえずApacheとRailsとPHPとDebianとEmacsあたり本読んで落ち着いて勉強したい。いやもっともっと本読みたいなぁ。あぁなんで昔VBとかCの本ばっかり何冊も馬鹿みたいに買ったんだろう。こんな金があるんならいろんな本を買っとけばよかった

29(TUE)
生活資金が冗談抜きで底をついてきたので某デパートで夜勤。什器搬入と聞いていたので何かと思ったら、要は内装改築で新しい売り場のリースの手伝いをするやつだった。これはこのテの肉体労働にしては当たりらしいし、確かにそう思った。4時間中1時間半くらいは「待機!」させられてみんなでダベっていたし、延々中腰の某運輸のコンベアの仕分けに比べたら申し訳ないくらい楽だった。給料はすぐに入ってくるわけじゃないので仕方なくken氏にレスコンの負担の精算をせびりに行く。そのまま調子に乗って3時までカラオケ。完全に喉で歌っちゃってた。

こういう無鉄砲な金の使い方が身を危うくするんだね。とりあえずバイトに走らにゃ。

何がいつ起こったのかどうでもよくなってきた今日日頃。プラネテスでも見てテンション上げようかな。
明日また朝からしんどいけど。

ハンカチ

2006年08月26日 22時36分09秒 | Diary
製造が中止されているという例のハンカチがどういう奇遇か自宅に一枚ある。そんな使い古したもの、別にオークションで売れるわけじゃなかろうし本物でもなんでもいいのだが、親が「家宝にしよう」とやけに嬉しそうなのである。別に早稲田と我が家とには何の関係もないと思うんだけど、家宝ってそういうもん?とにかく高校野球を見ない自分にはその値打ちは残念ながら、よくわからない。

久しぶりに日本橋に買い物に行ったら、枚方から中書島のあたりの落雷で帰りの京阪電車のダイヤが乱れていた。北浜・出町柳間で普段30分ちょっとのところが1時間かかってしまった。

さよならプルート

2006年08月25日 23時09分34秒 | Diary
小松左京みたいに爆破してなくなってしまったりどっかやってしまったりするわけじゃないんだからそんなに騒がんでも、と思いたいが、人類の歴史のうち76年間というわずかな期間でもしっかり惑星の一つとして名を刻んでしまったこのイレギュラーな天体を格下げするというのはやはり心苦しいものがあるのだろう。スイキンチカモク・・・の聞き慣れた語呂の最後がchopされてしまったらそりゃ拍子抜けってもんだ。冥王星が惑星とされていたことに疑問をはさむ一部の律儀な人々にとってはすっきりしたのかもしれないけど、一人くらい変わり者がいたっていいじゃん、ねぇ。

しかし、惑星についてのWikipedia記事が荒らされるなんて時代は後にも先にもなかろうなぁ

SONY電池の入ったDELLマシンが焼けるという事故が国内で2件起こっているとか。物騒な話だ。うちはノートもデスクトップもDELLなのに。

それはさておき、LANカードが届いたのでEPSONマシンにさしてみる。NETGEARのWG511Aという奴だが、設定が楽。ものの数分でつながった。送料合わせて2600円と値段も手頃。ただ不安は物理的強度か。見た感じ折れそうなのでさしたままノートを運ぶときはカードをどこかにぶつけないようにかなり注意しないといけない。安さゆえなのか、こういうものなのかはわからないけど。

このEPSONマシン、前動いたVMWare Playerが起動しなくなった。どうも彼が言うにはメモリがもっと欲しいらしい。物理メモリ220MBというのは仮想マシンにはさすがにきついのか。用途検討だなこりゃ。ゲストにせよホストにせよWindowsに何かを足して使うという発想は捨てたほうがよさそうだ。この無線カードちゃんとLinuxで使えるのかなぁ

メタストレス

2006年08月25日 00時33分00秒 | Diary
極限に達したストレスを抑制も発散もできない自分に嫌気がさしてさらに眠れない、こんなことありませんか


フィールドワークのレポートが明日までなのにまだ片付けてない。
一応Excelで一通り解析を済ませてあるが、修行修行と意気込んでPerlで同じ処理をやるスクリプトを書いてみる。
CSV型式のデータをいじくり回せばいいや、と軽くみていたらこれが泥沼だった

感想

  1. ExcelとPerlで微妙に誤差が出るっぽい。計算の妥当性はいい感じだけど
  2. Rubyのように便利な配列のネストがないと思いこんでかなり遠回りな処理をしていたら実はあった
  3. gnuplot使いたいけど使い方知らんから結局グラフはExcelで描くんやん
  4. 数値解析をPerlでやるメリットって一体
  5. 文字列処理の練習になってない
  6. ここまでやったからにはTeXに出力したいけどそろそろ肩と目が逝きそう
  7. レポートをメールで出すのか持って行くのかわからん
  8. もう寝たいけど専門2単位は逃がしたくない
  9. アジカンのスーパーアップテンポ無限ループの覚醒効果ももう限界
ちょっと休憩しようかなぁ

shooting star

2006年08月23日 22時59分53秒 | Tzuredzure
でもね僕らは未来の担い手 人の形した光(Mr.Children)




絶望と諦観と涙の海からそっと引き上げてくれるような、
腐って固まって動かなくなっていくセメントを解かしてゆくような、
そんな優しくて温かくて眩しいメロディーによって解凍される日を、
沈んだ心はずっと待っていたのかもしれない。

ずっととは云わないから、
飛び発てるまでの間だけでいいから、
頼むから、
もう何モノも邪魔しないでくれ。










あー口が治ったら思いっきり歌いてー

P.S.
shooting starって箒星じゃないな、とか思ってみたり。

hello,world

2006年08月23日 09時29分05秒 | Tzuredzure
新しい6万円のEPSONマシン、やっぱりXPをホストにしてkawayu氏おすすめのDebianをゲストで入れることにした。この場合は使い慣れたWindowsをベースにできるが、ホスト側の不安定さがネックか。なんのことはないまだMSの下僕でした。すみません。でVMWare Playerを投入。デフォルトでゲストにUbuntu Linuxとかいう謎のディストリビューションが。アフリカの言葉で「人間性」みたいな意味らしい。それはどうでもいいのでDebianを上書き。ここ1年くらいOSの扱いが暴力的だと自分でも思う。インストーラCDを認識させるのに何故か苦労(実はボタン一つだった)。パーティションでまた一苦労。一体こいつはWindowsのパーティションの中にパーティショニングしているのか?もうわけわからん

曲がりなりにもDebianが一通り納まったが、全体的には大学のと比べてもまだいくらか重い気がする。Windows側には全く何も入ってない(アプリケーションの追加と削除で一つも出てこない!)はずなのだが、いったいどうしたこと。やっぱりエミュってのは簡単そうに見えても内部で大変な苦労をやってるんだろうなぁ。これがオープンソースフリーってのはなかなかすごい。無線デバイスがないので、このままだとひたすらCUIでどうしようもなく使いにくそう。とりあえず1000円ちょいのLANカード注文してみたけど、古いDELLマシンのVineでの失敗例もあるのでDebianまで無線にしっかりつながってくれるか不安。まず買うものはカード一枚で本当によかったのか不安

そんなこんなで揉めてる間にDELLの方で覚えたてのPerlを使って正規表現にファーストコンタクト。CGIに関心がなくVBでシミュレーションばっかりやっていた中高時代には無縁だった新感覚。こうなるとmixiのソースなんかもかなり気になってきて自力でSNSっぽいものを再現してみたくなる。この分野は最近の風潮で職業的需要もどんどん増えそうだし。機能的にはせいぜい文字列処理、データベース処理だろうからOSやWindowsプログラミングに比べたら目標としてはよさげ。ネットワークとかサーバー関係の知識が全くといっていいほどないのが悔しい。早めに身に着けとかないと話にならん


自然言語だろうが人工言語だろうがお構いなしの、無駄に貪欲な僕の言語野。もうちょっと物覚えがよければいうことはないのだが。授業でなぜかRubyをやって、C,Fortran,Lisp,Python等色々なものにとりあえず触ってみたし、あとはPHPとJava、シェル、機械語あたりにも手を出していろいろ比較してみるか。マイコンの方もすっかり手付かず、夏休みはHDLでCPLDをいじってみる計画だったのに。それから何か一つでもまともに使える言語を作りたいな。Emacsのカスタマイズとかできる人、さぞ楽しいだろうねぇ。この世界は広い・・・


あー、なんかのソース書いてるときだけは自分の目が輝いてるのがわかる。どうしようもないなぁ


いろいろなHello world
中でもびっくらこいたのがWhitespaceという言語。可視文字は全てコメントアウトされてしまうという空しさ。印刷したら誰一人読めないじゃないか!

麻酔

2006年08月21日 22時50分38秒 | Diary
 右下の親知らずを抜いてもらう。去年右上だけ抜くという半端なことをしてしまったので面倒が余計に増えた。

 去年とは違って術衣に着替えさせられ、横になるとさらに口の周りだけ穴の開いたマスクを顔にかぶせられる。おいおい、そんな血沸き肉踊る(誤)物騒な手術だったのかこれは?心の準備が・・・と一瞬焦るが、ここで心配しても始まらない。そこに置いてある機械から聞こえてくるのは多分自分の心拍だろうと思うと気持ち悪い。もしこれがいきなり消えてテレビでよく聞くツーとかいうあの切ない音になってしまったら、それはそれでちょっとシュールな展開だ。

 痛いのは初めだけで、歯肉を散々いたぶり回った局所麻酔がやがて何の断りもなく効果を発し始める。これもあまり心地がよくない。痛覚が消えるという痛覚は決して発生しないのだから。それから手術と呼ばれるものが始まる。先生がどれほどのベテランなのかは知ったこっちゃないがとにかくゴリゴリやってくれる。ここらへんは去年と殆ど一緒である。痛覚の欠如による不安よりもその電動とか手動でかなり強引にゴリゴリやっている鋭利な諸道具が流れ弾の如く舌を傷つけたりしないかという恐怖の方が大きい。痛覚以外の感覚は全て揃っているようだ。例のゴリゴリの圧覚と振動覚。湧き出る血液の味。吸入器の風。外部装置から響く電子鼓動の高鳴り。気を利かせたのか照明を遮る為かマスクに覆われた視界。途中から鼻が無性に痒くなったのと喉がむせるのとで他は全くどうでもよくなった。1時間経たず抜歯が終わり、何やら縫合をしているらしいとわかる。

 食事制限はないが血がとまるまでは酒は駄目だとか。また近いうちに抜糸があるし完治したわけではないので暫く禁酒した方がいいのかもしれない。ガーゼを突っ込まれるので会話にも苦労する。右顎の触覚が遠い。正座を続けたときの足の痺れに丁度似て、爪を立てようが何をしようがほぼ何も感じない。痺れが消えるまでは舌を噛んだり火傷したりするといけないので食事をしてはいけないと云われたが、できるだけ左で噛むように注意してれば少なくとも火傷するこたーないだろうと面白がって実験してみる。それ程酷い痛みはないが、一つ面白いのは冷たいものを飲んだときだ。舌の左側には麻酔がかかっていないので普通に飲むのと変わりないのだが、効いているところは痛覚だけでなく冷覚も切れている(この表現は攻殻みたいで好きだ)ようで、液体のナマの味覚が伝わってくる。つまり舌の左半分で冷たさを、右半分で味を感じるというかなり奇妙な感覚。これは体験したいと思ってもなかなかできない感覚だ。温かいものの場合はこれほどではなく、温覚はしっかり生きているらしい。

 色々書いているうちにそろそろ麻酔も切れてきた。切れる前に寝てしまえばよかった。痛覚も日帰りである。初めてではないので慣れているつもりだが、そもそもこの痛みとやらは肉体のどこに発生していやがるのか?患部なのか?神経か?それとも脳味噌の他のどこかなのか?脳神経科学の素養がない自分にはつまるところこの痛みは幻覚の一つに過ぎない。たとえそうでないにせよ、ただでさえ暑苦しい日々が暑苦しくて痛い日々に変わるだけだ。泣き叫ぶような事態ではない。懐疑主義と虚無主義がタッグを組めば世界最強だとまでいわんばかりのご都合主義的な錯覚を覚える。痛いと直ぐにこういう変なことを考える癖はかれこれ10年くらい已まないが、それよりも人類の長い歴史の方が数段為になる。名将関羽は右腕の切開手術を受けたとき麻酔もせずに酒と将棋で耐えたという。何とも豪快な逸話だが、将棋というのが正しくは囲碁なのか軍人将棋(それはありえんか)なのかはさておき、この華陀という名医は後に曹操の頭痛を直すため脳手術をしようとしたとき、この話をして麻酔なしで耐えろと云ったら「ばかやろう」と殺されてしまったそうだ。この時代に脳手術なんてモノが存在したかどうかも怪しく、華陀は初めから曹操を殺すつもりだったのではという話も聞くが、いやーとにかく心頭滅却何とやらなのである。

 結局なんだかんだ云って、痛いモンは痛い。眠れない原因が増えそうだ。痛み止めを飲むとこれもスーッと引いていくからまた不思議である。というわけで最後に残る不気味さは、数時間前まで確かに体内に存在したミネラル塊が、今じゃビニール袋に入ってここにあるという事実だ。

寝られん

2006年08月21日 00時43分03秒 | Tzuredzure
暑くて寝られない

でもそれ以上にイライラして寝られない

ストレスと自己嫌悪と絶望と閉塞感のループが果てしなく苛む熱帯夜。幾度考えても希望的観測のない人生

逃げ道、救い、洗脳、どれもが魅力的

夜更かしは体に良くないらしいが、寝られないのに横になっているのも時間の浪費なのでネットサーフィンにでも繰り出そう。え、もっと生産的なことしろよって?ごめんなさい。でもいろいろなものを読んでいると、いろいろなことが書けそうな気がするんです。

ケータイはなんか直りそう、というか壊れてなさそうな雰囲気。充電器が逝ったらしい。

lernanto消極論

2006年08月20日 02時40分39秒 | Tzuredzure
知らないことは恥ずかしいことだ、とよく云うが、本当にそうか。

肯。

それが雑学であろうと常識であろうと教養であろうとまた専門知識であろうと、知らぬことは恥ずべきことである。

だが、恥をかくことと責を負うことは別である。知らぬ者が恥をかく責任は教えなかった者にある。教えなかった者とは本来教えるべき者であり、それは保護者や家族であったり社会や世間であったり、教師や国家教育であったりする。

しかしここで責任のような抽象的な概念の所在を問うのは不毛な議論だ。責任とはいわば過去形名詞であり、事態を収拾できるはずの指導者を組織の過失を責めて問答無用で引きずり下ろしたり、戦争の責を戦後の人間に求めたりといった不可解な心理の元凶でもある。

責任より大切で現実的なものは何か。
それは対策である。つまり過去ではなく未来である。

要するに、知らぬ者は教えるべき者の故意ないし過失によって恥をかかされるという一点が重要なのであり、知らぬ者が悪いのか教えるべき者が悪いのか、そんなことはどうでもよい。恥の未来形は焦りである。知らぬ者は恥晒しに遭いたくなければ、自ら焦り求めて知ろうとするしかない。知るためには学ばなければならない。自ら学ぶということは、教える責任(法的に云えば教育を受けさせる義務)を放棄した教えるべき者の代わりに、自分が自分を教える者になるということであり、そうして知らぬことの責任は自分を教える自分に自然に戻ってくる。

もちろん、同じ場面であっても恥をかくかどうかは人によって千差万別であり、ちょっとやそっとのことで恥をかかぬくらいの神経が走っていれば一番宜しい。口喧嘩は怒った方が負け、同様に恥をかかぬということはその知識分野に全く関心がないからいかなるマイナスの感情をも抱きようがないということであるから、それはそれで全く気楽で幸せな生き方をしている。例えば自分の場合なら、何球団の誰それがどんな顔をしているかなんてことに興味をもったことは(野球のシミュレーションゲームをやっていた時代でさえ)一度もない。昔なら「野球選手が辞書や百科に載っているのか?」といっていちいち自分を納得させる理由を作ったものだが、今ではそれすら無駄な労力に思える。

一方で、学んでも学んでも知らぬことがあることを知り、それを恥じるということこそ、学ぶヒトという生き方の礎になる。自分如きのそれを無知の知と呼ぶのは少し傲慢であろうが。

あの映画も見ていない、この本も読んでいない、その土地には行ったことがない。
究極理論も理解できない、歴史も経済も政治も知らない、家事も仕事もこなせない。
趣味にも通じず、健全な恋愛経験もない、それどころか自分自身の心のスイッチすら入れられない。

好奇心という、かくも無味乾燥でかつ興味深く、主観的であると同時に客観的で、無慈悲なまでに合理的で不可逆な現実世界に肉体を引き止めている唯一のアンカーを外すことは、誰に何と云われようとできない。「なんでお前はそんなことに興味があるのよ」と訊かれても答えようがない。投げやりな悲観論で自分の人生を語りたくないが、少なくとも自分にとっては、それを外すことは(社会的)自殺を意味するのだから。

じゃ、他の人はどうなんだろう?

あんなにも楽しそうに、パワフルに人々の生きる原動力とはどこから来るのだろう。

人は好奇心のみに生きるのか。
それとも生物的欲望のみに生きるのか。
多分両方なんだろうけどな。
さらにこれに精神病的宗教的信念とか周囲への愛着や義務感とかいった倫理感覚の類も付け加えるべきなのだろうか。

ということが気になってしかたがないときがある瀕死の日々


まとめきれなかったな・・・

夏バテ列島

2006年08月17日 21時59分59秒 | Diary
入国のシャトルの扉が開くと同時に、蒸し暑さが全身を舐めるように流れ込む。
僕らは、こんな国に住んでいたのか――



こりゃ何もする気起きないはずだ。
もうクーラー地獄から出られる気がしないし。
みんな元気なのかな?と思ったら夏合宿の3文字がちらほら。いやーよくやるわ・・・

地中海を臨む、ダヴィンチとマテラッツィとスリの国より帰国しました。

気がついたら20代に突入してました。
日本にいても昼夜逆転で時差が発生しているので時差が7時間近くあるといってもあまりピンと来ませんね。
それよか、コンビニ店員に咎められた経験のある人間にとって、国内で合法的にアルコールを購入できることの感動はひとしおです。向こうでは17歳から飲めるのだとか。いやまぁそれはどうでもよくて。

行きしなにアメリカへ渡っていくkawayu氏とばったり出会ったりケータイにうっかり向こうの電圧をかけてぶっ壊したり(阿呆)等ハプニングはいろいろありましたが、素晴らしい旅でした。ミラノ→ヴェネツィア→フィレンツェ→ローマと回りましたが、ヴェネツィアが一番気に入りました。もう少しのんびりしたかったー。

先述のようにケータイのデータが阿蘇の写真まるまる吹っ飛んだしデジカメを持ってなかったので写真は現地で買ったカメラの分しかないです。残念。まぁ、旅行記はできる限り復旧して書こうと思いますが。

旅行前にワインの嗜みとイタリア語の知識を準備できなかったのもちょっと惜しいですが、この旅で失われたものは何もないです。おそらく。まぁツアーで行くようなところだから挨拶はじめ10語ほどわかってればぶっちゃけ用は足りるし、読む方も英語とフランス語とラテン語のアナロジーでなんとかなりました。

さて、現実は真夏日という最大の敵意を用意して僕を歓迎してくれているようだけど、やることも色々たまってるしがんばらなくちゃ。

2006年08月08日 13時18分08秒 | Tzuredzure
神話の化け物や小説の登場人物は、視線だけで人間を石にしたりする破壊的魔力を与えられる。

糸屋の娘は目で殺す、と頼山陽の遊び歌にもあるように、人間の目は口ほどに饒舌である。

実際には目ではなく目の周りの筋肉などの至極微妙な動きがモノを言うのだろうが、じっさい子供の目は輝いているなどと誰もが口を揃える。

輝かしい無敵の人生を生き生きと謳歌することのできるその器官は、時にこの世のものとは信じられぬ絶望をも語る。




今まで見た最も衝撃的な写真の一つ。

半分死んでる  (心臓の弱い人は見ないでね)

こんな目をした人に出くわしたら、夜中だったら間違いなくのけぞってしまうだろう。昼間でさえ限界ギリギリなのに。

ご冥福を・・・

神戸

2006年08月05日 23時53分25秒 | Diary
5時に起きて23時に帰る。人間というものはよくもまぁ、ときにこんな無賃労働を何も考えずにやるものだ。

本選の今日は花火と重なる。熱気と人の波。
浴衣。カップル。浴衣。カップル。浴衣。カップル。

神戸という街は素敵な街だ。だが、神戸という街には素敵な記憶はない。
神戸という街は僕が甘くすらもない恋をした街であり、仲間の時間を限りまで注いだ総力戦に惨敗した街だ。

それでもやはり神戸は人を惹きつける街だ。それは神戸が日本人にとって、日本そのものに匹敵するほどの復興の象徴だからかもしれない。・・・というのはしかし、多分嘘だろう。僕はレスキューそのものにそれほど興味が沸かない。神戸の魅力はきっと一言では語れないものがあるのだろうが、僕がスタッフとしてこの街を訪れるのは、そこに駆け出しのエンジニアが集い、クラフトマンシップの芽を闘わせるからだろう。

レスキューに勝ち負けはなく、従ってこの試合に勝敗はないが、僕はこの勝者の街に確かに敗者として存在する。勝者は敗者を育て、敗者が勝者を生み続ける。そこに確かに、絶望と歓喜が発生する。審判団として僕はそれを目前にする。今日も、明日も。

今日も、明日も、僕は敗者として勝者を支える。

逃げるヒト

2006年08月04日 21時43分23秒 | Diary
文学の九割は逃避であり、旅の九割は逃避である。

しかし、あらゆるものの九割は―――



スタージョンかく言い放つ。(嘘






そう、僕は逃げる。
休暇を無為に過ごさぬためという大義のもと、逃避行という当初の目的は充分に果たされる。
親を退け、文明を避け、戦いを忘れ、閑静なる自然の中でフィールドワークに勤しむ。
田舎と呼ぼうが何と呼ぼうが、そこに雄大に広がる別世界は日常とは縁遠い、一つの閉じた系である。
しかしやはり、最後に日常は我々の足を引っぱる。
足掻いて足掻く度、我々は日常という地獄に再び堕ちてゆく。
僕のような弱い人間に、日常の重力に抗う術はない。
それは最初からわかっていたことだ。
では旅には一体全体何の実りがあるのか。
日常に対する耐性でも得たか。否、発つ前と後で何か変わったとは思えない。
ただ親しき友との思い出を重ねただけか。
果たして旅は癒しなのか。
それともこれを旅と呼ぶこと自体がナンセンスなのか。







ってか京都暑い






阿蘇紀書きます。暇なときに。
明日、明後日はレスコン本選の仕事が一日中あるっぽいです。負けてから全然興味がなくなってしまったし正直なところかなりしんどいですが、やらないとも言えないので神戸までいってきます・・・

単位合宿

2006年08月01日 11時01分07秒 | Diary
とかいうものが世の中にある。必要なものは交通費のみ。ただ、青春18切符を念頭においてなかったのはちょっと失敗だったか?

31日
久々のクラスコンパ。出町で夕方からバーべキューをして飲む。かなり(14人)集まったのですごく楽しかった。2次会はカラオケオールでこれも久々だったがちょとキツかった。

4日まで専門の集中講義で阿蘇までいってきます。