気持ちの整理がつかないと書いたのは、日々が行き詰って思考停止し、頭の中身がだんだん固定してきたということでもある。しかしながら、日記とは時間軸に刻んだ足跡だ。数年後にふと自分の軌跡を振り返りたくなったときに何もないというのは寂しい。多少支離滅裂だろうとも、眼球の酷使による疲労が癒えなくとも、コンスタントに書き続ければそれなりに得るものはあるかもしれない。というわけで、何が言いたいのかよくわからなくてもあまり深く突っ込まないであげてください。
絶望が去って無気力が来る。いつもならあまりの虚しさに全身の力が抜けてしまうような状況でも淡々スルー。帰宅するのにいちいち重低音ドラッグの助けもいらなくなった。耐性がついたというよりも寧ろ、マイナス思考を始めそうな回路にロックがかかるようになった感じだ。この超客観的な心理状態はなんだろう。人間にとって大事な何かが飛んで行ってしまったようにも思える。これは要するに去勢ではないのか?人は忙しすぎても廃人になるのか?師走の迫り来るに連れて芯まで冷え切ったか?まぁそれでもいいか。心が澄み渡るというのはこういうことをいうのだろうか。
mixi開発サイドでも「100回読んだ」と吹聴されている『ウェブ進化論』。タイトルからはちょっと外れるGoogle万歳な本だが、ビジネスなどという小さな観点からではなく、東インド会社やフォードなどと並べて人類史の上にGoogleという会社を位置づけるというような壮大なスタンスが読める(いや僕にはね)。Googleが自らに課している使命は「世界中のありとあらゆる情報をオンラインに載せる」「仮に世界政府というものがあったとして、そこで必要なプログラムを全て開発する」ことだという。奴らがどれだけ革命的なチームかということについて少し認識が甘かったことに気づかされた。著者のいるシリコンバレーの活気も伝わってくるし、Web2.0のよい解説書にもなっていて他の本は読む必要はほとんどないのではないかと思うくらいの読み応えだ。実際100回読む価値はあるんじゃないか。
相変わらずやるべきことはたくさんある。この状況を打開しようと、GTDなる新しい玩具をライフサイクルに組み込みつつある。脳味噌はハードディスクではない。頭の中にひっかかっている些事を全て吐き出すというのは確かに精神衛生に極めてよい。しかしツールを間違えると効果は半減する。乾坤一擲、Googleの戦略に乗って効率的な情報管理を試みようとGmailやCalendar、あるいはcheck*padを使い始めたのはいい。しかし自宅か大学の数箇所でしかネットに接続できないのに《あちら(サーバー)側》にスケジュールやタスクリストを置いてしまうと実に馬鹿馬鹿しい事態になる。GTDを本当に体得するには自分の周囲が情報ユビキタスでなければならない。さて如何せん。重いノートパソコンを持ち歩くのは正直御免蒙りたい。携帯用の極薄ノートを買う手もあるが、3台目ともなるとそろそろ「何をやっているのか?」と自問したくなる。かといってケータイは機能的にまだまだ頼りないし、操作性も劣る。中間をとると近頃レトロ化しつつあるスマートフォンやPDAの類が残る。いずれにしてもこの点を近いうちに解決しないと、宿題は全く片付かない。
結局、Google Calendarは使ってみると便利だが環境が揃うまでは使い込むのは検討ものだ。下手にツールを増やすのはダブルブッキングの危険があるしそもそも面倒だ。カレンダーはカレンダーで一本化しなければならない。とりあえず手帳を買うことにはなるだろうが、何を買おうか迷っている。面倒だから今年と同じものでもいいのだが、日曜始まりというのは何かと混乱しやすいし、スケジューラが9時から21時までと限定されている。7時からバイトが入ったりする自分には少し使いづらい。平日も土日も均一に24時間管理できる手帳というのはなかなかない。来年度はバーティカルスケジューラが流行るという話もあるが、バーティカルとホリゾンタルは一体どちらが使いやすいのだろう。試してみる価値はあるか。
あまりの気持ちよさに、思いついたことを何もかもメモしないと逆に不安になるという禁断症状が早くも現れる。ケータイを携帯するようになる。まだ試用期間は始まったばかり。しかしそれよりも困ったことに、GTDが自分に見せてくれるのは細切れにブレイクダウンされた無数のタスクだ。目標が明確になればやる気になるという必然はない。片っ端から根気強く潰していく訓練をしていない人間は逃げたくなる。自分などはそう。目の前に宿題が積まれたとたん目をそらす、これが本来の現実逃避。自分の生徒と同じレベル。なんという屈辱。でも今の自分には屈辱をバネにする元気はない。時間管理とかいう以前の問題だなこりゃ。
24時間で対応しきれないプロジェクトを抱え込んでいるのか、それともたまりゆくタスクをこなしていくだけの精神力がないだけなのか?前者なら無理をしていることになるし、後者なら言い訳をしていることになる。寧ろ両方なのかもしれない。だが、若いうちは自分に限界を設定するなという先人の言葉もある。その意見には大賛成だ。時間はいくらでも作れる、その挑発的な助言にも百歩譲ろう。分不相応という言葉はあまりいい響きではない。だから後者だということにしておく。
そうだ。自分には体力がないのだ。人によってガッツとか気合とか根性とかよばわるそれである。毎日6時間は寝ているはずなのに、朝起きても疲れがとれていない。ドリンク剤を朝食に加えてもよいくらいだ。パソコンに向かう時間が半端ないから、眼精疲労や肩こり、腱鞘炎などの不調が重なっているのもあるだろう。視力もまた一段と落ちた気がする。最近1限に出ていないが、試験が近づいてくる前に体勢を立て直さないととり返しがつかなくなる。どうしたものか?もう限界だ。ってかブログとか書いてる場合じゃねぇ。
とりあえずコードギアスが面白い件
絶望が去って無気力が来る。いつもならあまりの虚しさに全身の力が抜けてしまうような状況でも淡々スルー。帰宅するのにいちいち重低音ドラッグの助けもいらなくなった。耐性がついたというよりも寧ろ、マイナス思考を始めそうな回路にロックがかかるようになった感じだ。この超客観的な心理状態はなんだろう。人間にとって大事な何かが飛んで行ってしまったようにも思える。これは要するに去勢ではないのか?人は忙しすぎても廃人になるのか?師走の迫り来るに連れて芯まで冷え切ったか?まぁそれでもいいか。心が澄み渡るというのはこういうことをいうのだろうか。
mixi開発サイドでも「100回読んだ」と吹聴されている『ウェブ進化論』。タイトルからはちょっと外れるGoogle万歳な本だが、ビジネスなどという小さな観点からではなく、東インド会社やフォードなどと並べて人類史の上にGoogleという会社を位置づけるというような壮大なスタンスが読める(いや僕にはね)。Googleが自らに課している使命は「世界中のありとあらゆる情報をオンラインに載せる」「仮に世界政府というものがあったとして、そこで必要なプログラムを全て開発する」ことだという。奴らがどれだけ革命的なチームかということについて少し認識が甘かったことに気づかされた。著者のいるシリコンバレーの活気も伝わってくるし、Web2.0のよい解説書にもなっていて他の本は読む必要はほとんどないのではないかと思うくらいの読み応えだ。実際100回読む価値はあるんじゃないか。
相変わらずやるべきことはたくさんある。この状況を打開しようと、GTDなる新しい玩具をライフサイクルに組み込みつつある。脳味噌はハードディスクではない。頭の中にひっかかっている些事を全て吐き出すというのは確かに精神衛生に極めてよい。しかしツールを間違えると効果は半減する。乾坤一擲、Googleの戦略に乗って効率的な情報管理を試みようとGmailやCalendar、あるいはcheck*padを使い始めたのはいい。しかし自宅か大学の数箇所でしかネットに接続できないのに《あちら(サーバー)側》にスケジュールやタスクリストを置いてしまうと実に馬鹿馬鹿しい事態になる。GTDを本当に体得するには自分の周囲が情報ユビキタスでなければならない。さて如何せん。重いノートパソコンを持ち歩くのは正直御免蒙りたい。携帯用の極薄ノートを買う手もあるが、3台目ともなるとそろそろ「何をやっているのか?」と自問したくなる。かといってケータイは機能的にまだまだ頼りないし、操作性も劣る。中間をとると近頃レトロ化しつつあるスマートフォンやPDAの類が残る。いずれにしてもこの点を近いうちに解決しないと、宿題は全く片付かない。
結局、Google Calendarは使ってみると便利だが環境が揃うまでは使い込むのは検討ものだ。下手にツールを増やすのはダブルブッキングの危険があるしそもそも面倒だ。カレンダーはカレンダーで一本化しなければならない。とりあえず手帳を買うことにはなるだろうが、何を買おうか迷っている。面倒だから今年と同じものでもいいのだが、日曜始まりというのは何かと混乱しやすいし、スケジューラが9時から21時までと限定されている。7時からバイトが入ったりする自分には少し使いづらい。平日も土日も均一に24時間管理できる手帳というのはなかなかない。来年度はバーティカルスケジューラが流行るという話もあるが、バーティカルとホリゾンタルは一体どちらが使いやすいのだろう。試してみる価値はあるか。
あまりの気持ちよさに、思いついたことを何もかもメモしないと逆に不安になるという禁断症状が早くも現れる。ケータイを携帯するようになる。まだ試用期間は始まったばかり。しかしそれよりも困ったことに、GTDが自分に見せてくれるのは細切れにブレイクダウンされた無数のタスクだ。目標が明確になればやる気になるという必然はない。片っ端から根気強く潰していく訓練をしていない人間は逃げたくなる。自分などはそう。目の前に宿題が積まれたとたん目をそらす、これが本来の現実逃避。自分の生徒と同じレベル。なんという屈辱。でも今の自分には屈辱をバネにする元気はない。時間管理とかいう以前の問題だなこりゃ。
24時間で対応しきれないプロジェクトを抱え込んでいるのか、それともたまりゆくタスクをこなしていくだけの精神力がないだけなのか?前者なら無理をしていることになるし、後者なら言い訳をしていることになる。寧ろ両方なのかもしれない。だが、若いうちは自分に限界を設定するなという先人の言葉もある。その意見には大賛成だ。時間はいくらでも作れる、その挑発的な助言にも百歩譲ろう。分不相応という言葉はあまりいい響きではない。だから後者だということにしておく。
そうだ。自分には体力がないのだ。人によってガッツとか気合とか根性とかよばわるそれである。毎日6時間は寝ているはずなのに、朝起きても疲れがとれていない。ドリンク剤を朝食に加えてもよいくらいだ。パソコンに向かう時間が半端ないから、眼精疲労や肩こり、腱鞘炎などの不調が重なっているのもあるだろう。視力もまた一段と落ちた気がする。最近1限に出ていないが、試験が近づいてくる前に体勢を立て直さないととり返しがつかなくなる。どうしたものか?もう限界だ。ってかブログとか書いてる場合じゃねぇ。
とりあえずコードギアスが面白い件