こまちのさすけね亭

ひだまりを 拾って歩く お年寄り

明日で一年

2012-03-10 | 東日本大震災(2011.5~)
今日はOL友達と恒例の近況報告会でした。

東日本震災から一年……

私たちは、昨年3/12に近況報告会を開く予定でした。




しかし、連絡もとれないまま会は流れました。

街中でランチできる環境が整った四月になってから会いました。

私は部屋はガスの復旧に一ヶ月以上かかり、彼女の家は水道の復旧に十日かかりました。

お互い大変な思いをしました。


先程妹から電話がかかってきました。

「今家にいる?

ゆずが黎明(私たち姉妹の出身高校)の体育館で歌ってるからBSプレミアム見て!」

体育館でなぜ母校とわかるのか?

壁に掛かっていた「恕」という字です。

その後の映像で建て替えを余儀なくされた校舎を初めて見ました。

壁が崩れ落ちて向こうが見えちゃってるよ!!

母校の惨状に言葉もありませんでした。

震災前の映像でしょうけれど、ちらっと映った音楽室が懐かしかったです。

選択芸術(音楽・美術・書道)で私が選んだのは音楽でした。

映画『アマデウス』を真似て先生が椅子に逆さに座って(?)ピアノを弾いてくれたことが思い出されます。


明日は様々なイベントがあるので、母と妹は街に出掛けるそうです。

「ノーベル賞作家の太田光が来るんだよ」

母さん、それは爆笑問題です。

大江健三郎と言いたかったらしいです。


震災から一年、そろそろ綺麗事はやめませんか?

メディアには真実をしっかり報道してほしいです。

被災地の子供たちの笑顔ばかり見せず、福島県の第一次産業に携わる中高年男性の涙を見せてやって下さい。

自殺者の書き残したメッセージをゴールデンタイムに全国放送で流して下さい。

昨夜22時からNHKで放送していた南相馬のドキュメンタリー、胸が痛かったです。

方言が全部理解できるからどういう気持ちで言っているのかニュアンスがよく伝わってきて、泣きました。

両親くらいの年齢の人々が、語りながら涙を流すのです。

こういう現実をもっとメディアで全国に届けてほしい。

大人の男性が冠婚葬祭以外で泣くことは少ないと思います。

一生消えない心の傷を負った人々の姿を見せれば、絆絆と連呼するだけして、震災がれきを福島県で受け入れるべきだとふざけやがる愚か者たちも少しは黙ってくれるかもしれません。

『3.11映像記録~語り継ぐ震災の記憶~』

2012-03-07 | 東日本大震災(2011.5~)
19時からTBC東北放送のルポ番組を見ました。

これは、今すぐ全国民に見せるべき番組です。

特に沿岸部。




はじめはひたひたと、徐々に勢いを増し濁流となって迫り来る津波の恐怖がリアルに記録されています。

タクシーを捨てて近くの建物に逃げ込む映像は何度も流れたので有名ですよね。

S○NYに逃げようとか言ってるあの映像です、階段を上っているうちに濁流が押し寄せてくるあの映像。

津波の来ない街中での避難の際もそうですが、津波から逃げるのに車はダメですね。

車で津波から離れるのではなく、近くの高い建物に逃げなければならないそうです。

「まさかここまで来るとは思わなかった」

みんな口を揃えて言うことば。

勾配のない市街地や住宅が密集している地域では津波が迫っているのが見えづらいので、津波が迫っているという情報をどう伝えるのかが課題です。


津波は「襲いかかる恐怖」ですが、放射能汚染は「じわじわと蝕まれる目に見えない恐怖」。

放射線は解けない雪。

ただ、ただ降り積もります。

あの日の記録

2012-02-21 | 東日本大震災(2011.5~)



「3.11キヲクのキロク」市民が撮った3.11大震災 記憶の記録



3月1日、NPO法人20世紀アーカイブ仙台から発行されます。

市民が撮った写真なので生活感に溢れています。

HPで公開されている写真を見て、あの日の生々しい記憶がよみがえってきました。

3.11当日に関しては、私は写真を一枚も撮りませんでした。

デジカメがなかったため手元には携帯だけ。

いつ充電できるかわからなかったので、安否確認・連絡以外の操作は極力控えていました。

初めて撮影したのは、電力の復旧を確認し避難所から帰還した13日でした。

デジカメは、震災のまさに翌日買いに行く予定でした。


あの日を体験した方も、しなかった方も、ぜひお手に取ってみてはいかがでしょうか。



http://www.sendai-city.org/311.htm/

これが東北の現実

2011-09-07 | 東日本大震災(2011.5~)
某大学教授がテレビ番組で東北の野菜はすべて捨てろとか言ったとか何とか。




東北人のことをぜーんぜん考えていませんね。

東北人は今も東北のものを食べまくりでーす。

だって食べなきゃ生きていけないもーん。

他の地方で食べてくれないんだもん、私たちが食べるしかないじゃない。

東北の食べ物が危ないと言うのなら、東北に東北以外の食べ物が行き渡るように今すぐして下さい。

東北産以外を選べば良いって?

それは現実的ではないですね。

そんなことを言う人は普段から食料の買い物をしていないのでしょう。

スーパーでキュウリを買うとします。

そこに複数の産地のキュウリは並んでいません。

普通は一種類でしょう。

私は今日も宮城県産のキュウリを買いました。

東北以外のものですべて揃えるには、スーパーをはしごするかネットで買うか、相当の根気と時間とお金がかかると思います。

そんなことはしていられません。

これが東北の現実です。

東北人を見捨てないでほしいものです。

私のお墓の前で

2011-08-28 | 東日本大震災(2011.5~)
今の福島県の佐藤知事ってなんか嫌いだなー。




てゆーか、福島県は交付金もらって原発を誘致したんだから文句言うなとかいう人、非道だなと思います。

どうせ福島県のことなんかぜーんぜん知らない都会人なんでしょ?

原発を作るんだったらどこかは犠牲になるのが当たり前。

都会に作ったんじゃ危ないから、万が一のときに被害を少なくするために人口の少ない田舎とかに作るんでしょ。

恩恵なんて一部の役人だけの話だよ!

一般人はなーんにも良い思いしてないよ?

もし私が不慮の事故等で突然人生を終えてしまったら、福島県の墓地には入れられたくないです。

福島県の土を踏むのを嫌がり、誰もお墓参りをしてくれなさそうだから……。

いわきの海に散骨してもらいたいです。

お墓参りをする代わりに太平洋を眺めて下さい。

さて、次回の帰省は9月です。

あまり知らないアーティストのイベントに妹に連れて行かれます。

犬にも会えるから喜んで帰りますよ。

家庭菜園のトマトを食べさせられるのがちょっと嫌ですが。

線量も気になるし、皮が硬すぎて非常に食べづらいです。