大学教員のPCの使用例を探るために手にとりました。
『超整理法』から時代は変化していることを感じました。
整理するのに部下(スタッフ)がいるかどうかが作業の重要要因と気づきます。
部長以上のレベルは仕事の整理を部下ないし秘書がするので、整理が不要。
こうした発想は知的整理を伴う労働とサラリーマンの労働の混在が原因のようです。
もっとも野口の身分がその両方を背負っているからでしょうか。
整理という作業はその人のスタッフ環境に左右されるとするならば、
『超整理術』を書いたクリエーターの佐藤可士和はどうだったか。
自分のなかで整理そのものを消化する必要のある人は整理を人に頼ることができない。
この点佐藤の本は斬新に自分の個性の一部として整理する人でした。
野口の本にトヨタとグーグルを比較して、日本に危機感が足りないという一節があります。
日本の経済学において日米のベンチャーの成功比較とはこのような調子なのか?
野口の読み手が彼が言う「プロレタリア知的労働者」の枠にあるように見えます。
能力あるサラリーマンがその枠から抜け出せずに読むサラリーマン向けの週刊誌の枠。
日本の学者にアメリカの翻訳を自分の研究成果としている人が多いという記述に納得。
すべてではないけれど、野口の言及もアメリカに拠り、欧米的であることに気がつきます。
そしてグーグルに代表される企業思考とアメリカ的な考えをまぜこぜにしています。
この点について梅田望夫や飯塚哲哉の著作が日本の状況を俯瞰させてくれると思います。
パソコンは何が必要かの思考まではしてくれないので、考え抜く必要があります。
これは野口悠紀雄自身の言葉で、この本の知的生産力の方法とは別次元にあるように見えます。
超「超」整理法 知的能力を飛躍的に拡大させるセオリー 野口 悠紀雄
佐藤可士和の超整理術 佐藤 可士和 日本経済新聞出版社
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