「プチット・マドレーヌ」は越えたので許してほしい

読んだ本の感想を主に書きますが、日記のようでもある。

カーナビによる神社のランダム参拝

2024年01月03日 | 日記
 今日は実家の自動車を借りて、僕は運転ができないので、カーナビでランダムに選んだ神社を巡ってきた。カーナビで出てきた名も場所も知らない神社をランダムに選んでそこに行き、参拝するという遊び?である。

 まずは、滋賀県の「加茂神社」に行った。御神木があり、小さい神社であったが、隅々まで手入れが行き届いていた。






 次に「比都佐神社」に立ち寄る。森の中の静かな場所であった。





 最後に写真に撮ったのは、「矢川神社」である。社務所には巫女さんがおり、お守りを買う。





 実際は四社廻ったのであるが、もう一つの場所は、いわゆる「村の鎮守」のようなかなり小さな神社であったため駐車場が分からず、畦道に駐車し、徒歩で林のほうから横入りして、かつ日が暮れそうだったので急いでおり、写真撮影を忘れてしまった。しかも、鳥居をくぐらず林のほうからお参りをするというイレギュラーな行動をおそらく見咎められたのであろう、車内で次の目的地をカーナビで探していると、村の区長さんがやってきて、〈尋問〉をされてしまった。さすが〈村〉の〈セキュリティ〉だと思ったが、事情を話したら、理解してもらい事なきを得た。カーナビでランダムに参拝していたことと、写真を撮り忘れたこともあって、神社の名前も失念してしまった。

 その後、家族が働いている神社に参拝したが、大きな神社のため、本殿の前には参拝を待つ人々で長蛇の列が出来上がっていた。ここ数年、賽銭箱の前に並ぶ習慣ができているが、なぜ並ぶのか理解できない。僕はこれを、「ラーメン屋神道」と呼んでいる。昔はみんな〈適当〉に参拝していたにもかかわらず、最近は若い人も「二礼二拍手一礼」という保守的かつ根拠のない伝統を守っていて、よろしくない。そしてますます列に並ぶ時間が長くなっている。いつからこんなに賽銭箱の前に人気ラーメン屋の行列のように並ぶようになったのだろうかと不思議に思っていたのだが、Twitterのつぶやきで、どうやら「2000年ごろ」から始まったようで、島村恭則『みんなの民俗学』(平凡社新書)にそのことが書いてあるらしいので、読んでみたいと思う。

 僕はこの賽銭箱の前に行列を作る「ラーメン屋神道」と、国内旅行や大した旅行でもないのに、みんながキャスター付きのキャリーバッグを持ち運ぶようになった、僕が「キャリーバッグ資本主義」と呼ぶ現象は、同じ環境の中で出来上がったものではないかと思っている。どちらも消費者としての〈安心感〉に根差すものである。

 それにしても巡った神社はすべて滋賀県であった。滋賀はやはり良い。