晴れて暑そうですネぇ~! 部屋に居ると、ソヨソヨ~っとイイ風が入って来るのです。が~、
昼から一っ走り して来なくちゃァイケマセン
もう、今から気後れしていますが 週末の金曜日+3連休ですから、ガンバって行って来ますョ。
モカを乗せてアチコチへ~ 中に入ると、クーラーで涼しい けれど、また次へ~
3軒ほど廻って、夕方は孫のお迎えがありますからネ 車に乗り替えて帰って来ました。
あ~! 暑い 汗ビッショリです
シャワーを浴びて、遅い昼を済ませると~ ヤットコサ、手仕事を始めますョ
着物地に玉結び刺繍が施してある布端をホドイテいきます。
これはナカナカ良いモノです この刺繍を生かした小物を作ろうと ヒラメキましたヮン。
裏地は勿論、コレの内側に使いますョ
ケッコウ広めの布が折り込んであったので、大きいモノが出来ますネ。
ホドクだけで時間になりました! 今夜の一品を作って、ギリギリセーフで末娘を迎えに行き
孫を迎えに行くと、元気に出て来ました
今日一日元気に過ごした様子を先生に聞きながら、靴下を穿かせ 靴を履かせて 帰りの挨拶です。
一刻も早く帰りたい孫は適当に? 後ろ向きで手を振りますと~、「チャンと挨拶しましょう!」と
先生の言葉に、幼い孫は敏感に反応して キチッと前を向いてお辞儀をします。
こうした礼儀をチャンと教えてもらえるコトは、とても貴重です
親だとナァナァになりがちですが、先生に言われるとピリッと聴けるのです。
こうして日々賢い子になって行くのでしょうね?
最近、保育園に着くと暫し涙がチョチョギレルようで、園長先生曰く「保育園に着くと、親と離れる」ことが
判ってきたのだと~。
迎えの車中で「楽しかった?」と訊くと、「うん!」と返事をするので安心しています。
今日も一日、無事に過ぎました 感謝ですネ
正岡子規像です。
慶應3(1867年~1902年)9月17日(新暦10月14日)松山藩士正岡常尚の子として生誕。
本名常規、幼名升(のぼる)
明治16年上京、東大予備門・帝国大文科大学へ進学するも、肺を病んで明治22年喀血。
その頃から本格的に文学を志して大学を中退、25才で日本新聞社に入社。
紙上で俳論・文章論などを次々発表、明治28年日清戦争の従軍記者として中国に渡るが病を悪化
させ松山に帰省。
『愚陀佛庵』で夏目漱石と52日間の共同生活を送りました。
晩年は病床での生活を余儀なくされましたが、東京・根岸の子規庵には日々多くの仲間が集います。
病苦の中で隨筆された「病状六尺」は死の2日前まで日本新聞社「日本」に掲載され続けました。
明治35年9月19日34才11ヵ月で亡。
学生時代にベースボールに熱中し、幼名升(のぼる)に因んで野球(ノボール)というペンネームを
用いています。
またベースボールを題材にした俳句や短歌を詠んだほか、ベースボールのルールを紹介し、「投者」
「走者」「打者」「直球」などの用語の訳語を作っています。
このような野球普及への貢献が高く評価され、子規没後100年の平成14年1月に野球殿堂入りを
果たしました。
やっぱり、よ~~く観廻して 正解だったと思います!!
次回は9月になりますネ。
あの畳縁がま口財布が残っていれば良いのですが・・・。
楽しみです ^^v