ハッキリしない空ですね~! 本来なら、和小物教室のハズですが・・・ 先月の内に、
休みに決めました。
早いもので、あの感動の結婚式から1週間が経ちました!
二次会で、末娘の親友Yちゃんが”サプライズ”で「母の手紙」を読んでくれました。
明け方、ビックリした とメールが来ました。
その手紙をメモのツモリで書き留めておきます。
「娘へ~
思い返してみると アッという間の28年でした。
長男が中学生になって心機一転、これからは仕事を頑張る!と思った矢先の妊娠でした。
「じゃァ、行って来るね!」と上の子たち同様に3・4時間で生まれるョと気楽に病院へ行ったのに~
27時間の陣痛に耐え、やっと! 生まれてくれました。
今更?の子育てに、何度も悩んで「生もう!」と決心したものの イザ生まれてみると~
黄疸がひどく 保育器の中で目隠しされ オシメ1枚で眠る姿にオロオロと涙がこぼれました。
退院日に顔を見てビックリ! 目ヤニがヒドイのです。
スグに帰宅途中の眼科に飛び込んで行くと、涙腺が無いことが判り 両手両足を4人の看護婦に
抑えられ、先生が馬乗りになって、長い針を眼頭に刺し 穴を開けて やっと!涙が出てきました。
ヤレヤレと家に着き、乳を飲ませるとピュ~!っと噴水のように吐くのです。
今度は近くの耳鼻咽喉科へ~
それからは毎日の病院通いが始まりました。
哺乳瓶を変えてみたり、ドイツ製の乳首にしてみたり・・・。
どうやってもダメで、結局、ストローで乳をためて鳥にエサをやるように1回30cc飲むのがやっと
でした。
寝るのもままならず・・・、身体を横にすると泣きわめくので 毎晩抱いたまま眠っていました。
生後3ヵ月くらいから早目の離乳食にして、何とか過ぎていきましたが~
3ねんくらいは「生むんじゃなかった!」と、何度も後悔したものです。
周りは若いお母さんばかり・・・ 誰にも相談できず、このままではノイローゼになりそうでした。
何かハキが無い子でドコかオカシイと感じてはいましたが、それが何かは判りませんでした。
このままでは悔いが残る、母としてやれることはないかしら?とコーラス部に入れたり、プールに
通わせたり ピアノを習わせたり・・・。
小学4年生の時、原因が判りました。
日赤で説明を受け、夏休みに手術をするとスッカリ元気になり それからは今までの分も一生懸命
ガンバル娘になりました。
ネバーギブアップ!
今度はそれが心配でしたが、見守るしかありません。
子供より仕事が好きな母は神様にシッカリ子育てしなさい!と言われているような年月でした。
振り返ってみれば・・・
子育ての中、色んなことに気付かされ 勉強させてもらった気がします。
生まれてきてくれたお蔭で、思いもかけなかった人生を経験でき 今では感謝しています。
生涯の友だちにも恵まれ、好きなことをして楽しんでいます。
その方たちから娘のために心のこもったお祝いをいただいてシアワセ冥利に尽きます。
あなたの喜びに輝いている顔を見ていると、今までの色んなことが走馬灯のように巡り、報われた
気がします。
親として悦び、胸をなでおろしています。
まだまだ、これからも親なりに楽しみにしていますが、くれぐれもムリをしないよう
やさしい旦那様を大切にして 仲良く過ごしてください。
今まで支えてもらった友だちに感謝を忘れないでね。
私の娘に生まれて来てくれてありがとう! これからも応援していますょ
母より
2014,2月吉日 」
こうして、シアワセな母になり やっと!人生捨てたモンじゃないね~と ジワジワ シミジミと
感じています。