先週末からわかばさんとkoshiさんがこの記事について意見を述べられていたので、便乗という訳では無いがあたしも書き込みたいと思う。
基本的にあの議員の言っている事は非常にナンセンスな話だと思う。これはわかばさんも述べているが、まずモノの規制よりも先に販売規制が第一であると思う。日本はその辺がかなりゆるゆるで、未成年が結構平気で酒もタバコも買える。アダルトゲームも実は結構簡単に買えるというのが実情だ。いきなり媒体を規制しても販路の規制がされていなければあらたなる媒体が出てくるモノに対応出来ないのではないか?
書店の本の並びにあたしは違和感を感じる事がある。昨今ライトノベルと呼ばれるジャンルの小説に一緒に置かれている本にボーイズ・ラブ小説やエロ小説が置かれている事があるのだ。これらに対しては現在の所、全く規制が無く、堂々と女の子が買っていく姿をあたしは何度も目撃している。
ついでに言うと、いまや文壇会の重鎮となっている渡辺淳一の小説「失楽園」「愛の流刑地」などは堂々と小説棚に置かれ、映画化もテレビ放送化もされている。
正直言うが、あれは下手なエロゲーや漫画なども及ばないほどの過激な内容である。しかし、これらには"文芸作品"と名が付くだけで、児童でも買えてしまうのである。
あたしから見れば渡辺淳一こそ、アブナイ親父であるし、こういう本こそ、規制されてしかるべきものだと思うが、事実はそうでない。
ついでに言うと、性的な表現こそ少ないが、野島伸司脚本の「高校教師」「人間失格-たとえば僕が死んだら-」「聖者の後進」等もかなり内容は過激であったがこういうのは問題が無いのだろうか?(あれには、近親相姦、いじめ、同性愛、体罰、自殺、障害者への暴行等が描かれている)
是非、この辺は円議員に聞いてみたい所ではある。(本当に質問状送っちゃおうかな?)
別にカミングアウトでも無いけど、実はあたしもエロゲーはやった事がある。
もっとも、あたしがやっていた頃は今のモノとは比べ物にならない程出来が悪い。PC9801で16色しか使えない中で、いかに綺麗な画が描けているかが鍵だった。なんだかんだ言って友人達と120本ぐらいやったと思う。もっともあたしが興味が合ったのはいかに最短でゲームをクリア出来るかとか、いかに全てのイベントを通過出来るかばかりに興味があって、あまり画像そのものには関心が無かったが・・・
最近のエロゲーに関してはほぼ100%がWindows向けで、あたしはMac使いと言う事もあって、やった事が無い。別にやりたいとも思わないのだが、最近のこの手のゲームは声優の音声データなんかも含まれてたりしていて、そっちにちょっと興味があるというのが正直な所。
何か話がずれてきたので戻そう。
わかばさんはご自身のブログで、今の大人の子供の頃と今の子供では環境が違うのでは無いかとおっしゃっているのだが、あたしはそれもちょっと違うんじゃないかな、と言う気がしている。いまが過去と違っているのは確かだ。しかしながら、子供達の状況が変わっても子供達が影でこそこそとやってきた事は変わらないんじゃないだろうか?
これはマイケル・ムーアの「ボウリング・フォー・コロンバイン」で取り上げられている話の例だが、アメリカとカナダは個人所有の銃の保有数は大差ない。しかしながら射殺事件の数は70倍近い差がある。アメリカとカナダで青少年が見ている暴力映画のはほぼ同じ、暴力的なゲームも同様である。ネットの普及にしたって大して変わりはない。
この映画が示唆するのは過剰なマスコミ報道と集団による自然的な操作である、ということである。
近年、日本で猟奇的な殺人事件が増えたような印象を受けるが、実際はそれほど変化は無いそうだ。多く見えるのはひとえにマスコミの捉え方に過ぎない。
ワイドショー等で犯罪を扱う場合、その異常性や猟奇性、残忍な殺害事件が多く取り扱われる事が多い。これもひとえに視聴率をどれだけ稼げるかが勝負になるテレビ局側の思惑である。
今がまさにいい例なのだが、中国で大地震が起きた時にそれまで大騒ぎしていたチベット問題を殆ど聞かなくなった。そのウラでは地震の発生直後におよそ2万人の中国武装警官が四川に災害救助用具を持たずに移動しているのにである。不確かな事件性よりも確実な災害の惨状をマスコミが取ったとしかあたしには思えないのだ。
また話がずれてきているので戻す事にしよう。
アメリカでは犯罪が起きると浮んでくる容疑者は殆ど"黒人男性"になるそうだ。差別意識も甚だしい話であるが、これも事実である。同様に日本で幼女を狙った犯罪が発生したときに昨今必ず容疑者候補にあがるのが"オタク"である。これは宮崎勤事件による影響が大きいのは間違いないところで幼女誘拐殺人犯がオタクであった→幼女を狙う奴はオタク、みたいな流れを受けてしまった結果である。宮崎事件の後、年2回開かれる同人誌即売会「コミックマーケット」に訪れる人たちを撮影しながら「ご覧下さい、ここに第二の宮崎達が居ます」と放送されたそうだが、やはり周囲の目はそういった所で差別を計るのだろう。
円議員のエロゲーに対する規制というのはまさにこれだと考える。円議員が注目することになったきっかけは、昨年テレビアニメ化されたPCゲーム「School Days」やテレビアニメ化された漫画「こどものじかん」の影響を色濃く受けたと推察している。前者は最終回直前に京都で父親を子供が惨殺するという事件が起きた結果、地上波では最終回が放送中止となり、後者は放送中に小学校教諭による児童売春事件のあおりをくらったのである。特に「School Days」については表現的に過激であるとの事から、血の色を黒に変えてケーブルテレビ等で放送をされている。この「School Days」等、幾つかのゲームでヒロインが精神的に病んだ状態で他のキャラを偏愛する状態を「ヤンデレ」と言い、結末も決して明るいものではない。円議員が今回ターゲットにしたのはこれらの「ヤンデレ」を含むアダルトゲーム全般をターゲットにしたものだろう。
わかばさんが「ここ10年で世の中が劇的に変わったように見える」と仰っているが、あたしはそれほど変わったとは思っていない。世の中がどんどんと情報化の波に押し流されているのも事実であるが、過去も対して変わっているとは思えないのである。
あたしも男であるから憶えがあるが、未成年の頃にありとあらゆる手段を講じてポルノ雑誌やアダルトビデオを見ていたし、その中には少女性愛もの(いわゆるロリータもの)もあったし、ハードSMものなんてのもあった。エロアニメ「くりぃむレモン」なんてのが出ていて、このシリーズは、かなり過激なものが多かった。でも、そういうのを見ていた人が全部が全部心を破壊された訳でも無いだろう。ゲームが過激である事だけが理由にはならない。
確かに児童虐待や児童わいせつ事件が増えているのは間違いないところだ。しかしながら、ゲームやアダルト雑誌が関係しているという事実は今のところ見つかっていないのだ。他の要因だって考えられないだろうか?
先に述べたように、本当に規制をすべきは売り手であると思う。本当にまっとうな青少年を作りたいと思うのであれば。
スイマセン、自分で何を書いてるか判らなくなってきました。
どうも、こういう話になると反骨の血が疼いて、まともな文が書けなくなります(笑)。
基本的にあの議員の言っている事は非常にナンセンスな話だと思う。これはわかばさんも述べているが、まずモノの規制よりも先に販売規制が第一であると思う。日本はその辺がかなりゆるゆるで、未成年が結構平気で酒もタバコも買える。アダルトゲームも実は結構簡単に買えるというのが実情だ。いきなり媒体を規制しても販路の規制がされていなければあらたなる媒体が出てくるモノに対応出来ないのではないか?
書店の本の並びにあたしは違和感を感じる事がある。昨今ライトノベルと呼ばれるジャンルの小説に一緒に置かれている本にボーイズ・ラブ小説やエロ小説が置かれている事があるのだ。これらに対しては現在の所、全く規制が無く、堂々と女の子が買っていく姿をあたしは何度も目撃している。
ついでに言うと、いまや文壇会の重鎮となっている渡辺淳一の小説「失楽園」「愛の流刑地」などは堂々と小説棚に置かれ、映画化もテレビ放送化もされている。
正直言うが、あれは下手なエロゲーや漫画なども及ばないほどの過激な内容である。しかし、これらには"文芸作品"と名が付くだけで、児童でも買えてしまうのである。
あたしから見れば渡辺淳一こそ、アブナイ親父であるし、こういう本こそ、規制されてしかるべきものだと思うが、事実はそうでない。
ついでに言うと、性的な表現こそ少ないが、野島伸司脚本の「高校教師」「人間失格-たとえば僕が死んだら-」「聖者の後進」等もかなり内容は過激であったがこういうのは問題が無いのだろうか?(あれには、近親相姦、いじめ、同性愛、体罰、自殺、障害者への暴行等が描かれている)
是非、この辺は円議員に聞いてみたい所ではある。(本当に質問状送っちゃおうかな?)
別にカミングアウトでも無いけど、実はあたしもエロゲーはやった事がある。
もっとも、あたしがやっていた頃は今のモノとは比べ物にならない程出来が悪い。PC9801で16色しか使えない中で、いかに綺麗な画が描けているかが鍵だった。なんだかんだ言って友人達と120本ぐらいやったと思う。もっともあたしが興味が合ったのはいかに最短でゲームをクリア出来るかとか、いかに全てのイベントを通過出来るかばかりに興味があって、あまり画像そのものには関心が無かったが・・・
最近のエロゲーに関してはほぼ100%がWindows向けで、あたしはMac使いと言う事もあって、やった事が無い。別にやりたいとも思わないのだが、最近のこの手のゲームは声優の音声データなんかも含まれてたりしていて、そっちにちょっと興味があるというのが正直な所。
何か話がずれてきたので戻そう。
わかばさんはご自身のブログで、今の大人の子供の頃と今の子供では環境が違うのでは無いかとおっしゃっているのだが、あたしはそれもちょっと違うんじゃないかな、と言う気がしている。いまが過去と違っているのは確かだ。しかしながら、子供達の状況が変わっても子供達が影でこそこそとやってきた事は変わらないんじゃないだろうか?
これはマイケル・ムーアの「ボウリング・フォー・コロンバイン」で取り上げられている話の例だが、アメリカとカナダは個人所有の銃の保有数は大差ない。しかしながら射殺事件の数は70倍近い差がある。アメリカとカナダで青少年が見ている暴力映画のはほぼ同じ、暴力的なゲームも同様である。ネットの普及にしたって大して変わりはない。
この映画が示唆するのは過剰なマスコミ報道と集団による自然的な操作である、ということである。
近年、日本で猟奇的な殺人事件が増えたような印象を受けるが、実際はそれほど変化は無いそうだ。多く見えるのはひとえにマスコミの捉え方に過ぎない。
ワイドショー等で犯罪を扱う場合、その異常性や猟奇性、残忍な殺害事件が多く取り扱われる事が多い。これもひとえに視聴率をどれだけ稼げるかが勝負になるテレビ局側の思惑である。
今がまさにいい例なのだが、中国で大地震が起きた時にそれまで大騒ぎしていたチベット問題を殆ど聞かなくなった。そのウラでは地震の発生直後におよそ2万人の中国武装警官が四川に災害救助用具を持たずに移動しているのにである。不確かな事件性よりも確実な災害の惨状をマスコミが取ったとしかあたしには思えないのだ。
また話がずれてきているので戻す事にしよう。
アメリカでは犯罪が起きると浮んでくる容疑者は殆ど"黒人男性"になるそうだ。差別意識も甚だしい話であるが、これも事実である。同様に日本で幼女を狙った犯罪が発生したときに昨今必ず容疑者候補にあがるのが"オタク"である。これは宮崎勤事件による影響が大きいのは間違いないところで幼女誘拐殺人犯がオタクであった→幼女を狙う奴はオタク、みたいな流れを受けてしまった結果である。宮崎事件の後、年2回開かれる同人誌即売会「コミックマーケット」に訪れる人たちを撮影しながら「ご覧下さい、ここに第二の宮崎達が居ます」と放送されたそうだが、やはり周囲の目はそういった所で差別を計るのだろう。
円議員のエロゲーに対する規制というのはまさにこれだと考える。円議員が注目することになったきっかけは、昨年テレビアニメ化されたPCゲーム「School Days」やテレビアニメ化された漫画「こどものじかん」の影響を色濃く受けたと推察している。前者は最終回直前に京都で父親を子供が惨殺するという事件が起きた結果、地上波では最終回が放送中止となり、後者は放送中に小学校教諭による児童売春事件のあおりをくらったのである。特に「School Days」については表現的に過激であるとの事から、血の色を黒に変えてケーブルテレビ等で放送をされている。この「School Days」等、幾つかのゲームでヒロインが精神的に病んだ状態で他のキャラを偏愛する状態を「ヤンデレ」と言い、結末も決して明るいものではない。円議員が今回ターゲットにしたのはこれらの「ヤンデレ」を含むアダルトゲーム全般をターゲットにしたものだろう。
わかばさんが「ここ10年で世の中が劇的に変わったように見える」と仰っているが、あたしはそれほど変わったとは思っていない。世の中がどんどんと情報化の波に押し流されているのも事実であるが、過去も対して変わっているとは思えないのである。
あたしも男であるから憶えがあるが、未成年の頃にありとあらゆる手段を講じてポルノ雑誌やアダルトビデオを見ていたし、その中には少女性愛もの(いわゆるロリータもの)もあったし、ハードSMものなんてのもあった。エロアニメ「くりぃむレモン」なんてのが出ていて、このシリーズは、かなり過激なものが多かった。でも、そういうのを見ていた人が全部が全部心を破壊された訳でも無いだろう。ゲームが過激である事だけが理由にはならない。
確かに児童虐待や児童わいせつ事件が増えているのは間違いないところだ。しかしながら、ゲームやアダルト雑誌が関係しているという事実は今のところ見つかっていないのだ。他の要因だって考えられないだろうか?
先に述べたように、本当に規制をすべきは売り手であると思う。本当にまっとうな青少年を作りたいと思うのであれば。
スイマセン、自分で何を書いてるか判らなくなってきました。
どうも、こういう話になると反骨の血が疼いて、まともな文が書けなくなります(笑)。