なんか書きたいと思いつつ、全然暇が無くて、気がついたら10日以上空けている。
某局のパクリ企画も実の所、着々と準備を進めているのであるが、今日はちょっと番外編だ。
アニソン(アニメや特撮等の主題歌や挿入歌)について、最近はあまり面白みを感じていないのだが(いや、曲の中には素晴らしい音楽性のものもあるが)、久々に良いな~と思った曲があった。「交響詩篇エウレカセブン」の第1期エンディング曲の「秘密基地」という曲だ。曲も良いのだがあたしが良いと思ったのはその歌詞だ。
あたしは、音楽好きだが、元々が活字マニアなので、音楽の良さ以上に歌詞の良さや面白さというのを追求していた時期がある。だから、何となく聞いていた音楽であたしの琴線に触れるという事がそりゃもう、しょっちゅうって具合だ。
このアニメの詳細は何れ書かせていただくが、歌詞を聞いた時にこのアニメの主人公に併せて作られたのかと錯覚したほどだ。
物語の主人公は退屈な街と平凡な生活に嫌気がさした少年で、突然自分の目の前に現れた少女に一目惚れし、一人前の技術者になる為に街を飛び出し、彼女を守る事を心に誓うの訳だが、彼女や彼女と同行する大人達から、自分の無力さ無知さを痛感せざるをえなくなる事ばかりを体験する。その時の少年の苦しみを代弁するかのような歌詞
どうして背が伸びない それ悔しかった
とリンクするのだ。
身長は言わば、自分の成長の証しであり、背がが伸びない=自分が未熟者(アニメの中の言葉を借りれば"ガキンチョ")であることの自覚であるのは言うまでも無い。悔しいのは自分の成長の未熟さを実感し、その事が必然的に自分のしたいこと、目的、想いをかなえていないという事に直結する。されに言えば、身長の低さは少女との差にもなる。
実際、アニメ登場当時の主人公は少女よりも若干背が低い。
少年の身長の低さが実は少女との絶対的な距離感でもあり、その距離感は必然的に大人との距離感にも通じる。
そして、物語の中で少年の少女や周りの人を見る純粋さと以下の歌詞が繋がる。
いくら手を伸ばしたって 届くはずのない 大きな大きな空
でも僕は何にも疑うこともなく キレイな未来を信じてた
このフレーズは自分が明らかに子供の頃からの思い出である。空に向かって手を伸ばして掴もうとする動作は子供であれば一度は経験する事だ。その経験の中にある「空」は純粋な気持ちの中にある「未来」では無かったかと思う。手を伸ばしても届かない大きな空というのは自分の持つ大きな夢であり、思いである訳だ。故に自身がその夢に向かった時、疑う理由など無く、キレイな未来=その夢が叶う想像が出来た。
悔しいことがあると こらえきれなかった 大きな大きな涙
でもあのときの僕の目は何より輝いていたと思う
これは子供全体の経験というより、個人で経験する事で、実は前のフレーズの純粋な思いに対する苦い経験なんだろう。
この歌詞が過去の思い出をつむいでいるのは文体で判る。若い頃の何も出来なかった自身を歯がゆく、そして懐かしんでいるように感じる。
実はこのアニメの結末で主人公は大きく成長を遂げる。そしてそれを裏付けるように、彼の背は少女を若干追い越しているのだ。実際は歌詞との融合性は考えてなかったらしいが、ちょっとはまり過ぎてるのが不思議なほど悔しい。
エンディングアニメーションも上手い。カメラが物語の登場人物をなめるように撮っていくが、目線を合わせる者は居なく、最後に主人公だけが目線を合わせる。つまりこのエンディングは彼が中心に働いていて、曲自身も彼の曲である。こんな思惑たっぷりの出来がとても面白く見えるのだ。
こんだけ御託を並べてはいるが、これは完全な三景の思い込みである。
でも、こういうヘンな見方もあって良いんじゃないだろうか。
<秘密基地 作詞/作曲:高田梢枝 >
某局のパクリ企画も実の所、着々と準備を進めているのであるが、今日はちょっと番外編だ。
アニソン(アニメや特撮等の主題歌や挿入歌)について、最近はあまり面白みを感じていないのだが(いや、曲の中には素晴らしい音楽性のものもあるが)、久々に良いな~と思った曲があった。「交響詩篇エウレカセブン」の第1期エンディング曲の「秘密基地」という曲だ。曲も良いのだがあたしが良いと思ったのはその歌詞だ。
あたしは、音楽好きだが、元々が活字マニアなので、音楽の良さ以上に歌詞の良さや面白さというのを追求していた時期がある。だから、何となく聞いていた音楽であたしの琴線に触れるという事がそりゃもう、しょっちゅうって具合だ。
このアニメの詳細は何れ書かせていただくが、歌詞を聞いた時にこのアニメの主人公に併せて作られたのかと錯覚したほどだ。
物語の主人公は退屈な街と平凡な生活に嫌気がさした少年で、突然自分の目の前に現れた少女に一目惚れし、一人前の技術者になる為に街を飛び出し、彼女を守る事を心に誓うの訳だが、彼女や彼女と同行する大人達から、自分の無力さ無知さを痛感せざるをえなくなる事ばかりを体験する。その時の少年の苦しみを代弁するかのような歌詞
どうして背が伸びない それ悔しかった
とリンクするのだ。
身長は言わば、自分の成長の証しであり、背がが伸びない=自分が未熟者(アニメの中の言葉を借りれば"ガキンチョ")であることの自覚であるのは言うまでも無い。悔しいのは自分の成長の未熟さを実感し、その事が必然的に自分のしたいこと、目的、想いをかなえていないという事に直結する。されに言えば、身長の低さは少女との差にもなる。
実際、アニメ登場当時の主人公は少女よりも若干背が低い。
少年の身長の低さが実は少女との絶対的な距離感でもあり、その距離感は必然的に大人との距離感にも通じる。
そして、物語の中で少年の少女や周りの人を見る純粋さと以下の歌詞が繋がる。
いくら手を伸ばしたって 届くはずのない 大きな大きな空
でも僕は何にも疑うこともなく キレイな未来を信じてた
このフレーズは自分が明らかに子供の頃からの思い出である。空に向かって手を伸ばして掴もうとする動作は子供であれば一度は経験する事だ。その経験の中にある「空」は純粋な気持ちの中にある「未来」では無かったかと思う。手を伸ばしても届かない大きな空というのは自分の持つ大きな夢であり、思いである訳だ。故に自身がその夢に向かった時、疑う理由など無く、キレイな未来=その夢が叶う想像が出来た。
悔しいことがあると こらえきれなかった 大きな大きな涙
でもあのときの僕の目は何より輝いていたと思う
これは子供全体の経験というより、個人で経験する事で、実は前のフレーズの純粋な思いに対する苦い経験なんだろう。
この歌詞が過去の思い出をつむいでいるのは文体で判る。若い頃の何も出来なかった自身を歯がゆく、そして懐かしんでいるように感じる。
実はこのアニメの結末で主人公は大きく成長を遂げる。そしてそれを裏付けるように、彼の背は少女を若干追い越しているのだ。実際は歌詞との融合性は考えてなかったらしいが、ちょっとはまり過ぎてるのが不思議なほど悔しい。
エンディングアニメーションも上手い。カメラが物語の登場人物をなめるように撮っていくが、目線を合わせる者は居なく、最後に主人公だけが目線を合わせる。つまりこのエンディングは彼が中心に働いていて、曲自身も彼の曲である。こんな思惑たっぷりの出来がとても面白く見えるのだ。
こんだけ御託を並べてはいるが、これは完全な三景の思い込みである。
でも、こういうヘンな見方もあって良いんじゃないだろうか。
<秘密基地 作詞/作曲:高田梢枝 >