奥州亭三景の言いたい放題

あたくし、奥州亭三景が好き勝手な事を話すブログです。
暇と興味のある方は是非、ご覧ください。

音楽と映像の融合性

2006年04月27日 23時51分52秒 | Weblog
なんか書きたいと思いつつ、全然暇が無くて、気がついたら10日以上空けている。
某局のパクリ企画も実の所、着々と準備を進めているのであるが、今日はちょっと番外編だ。
アニソン(アニメや特撮等の主題歌や挿入歌)について、最近はあまり面白みを感じていないのだが(いや、曲の中には素晴らしい音楽性のものもあるが)、久々に良いな~と思った曲があった。「交響詩篇エウレカセブン」の第1期エンディング曲の「秘密基地」という曲だ。曲も良いのだがあたしが良いと思ったのはその歌詞だ。
あたしは、音楽好きだが、元々が活字マニアなので、音楽の良さ以上に歌詞の良さや面白さというのを追求していた時期がある。だから、何となく聞いていた音楽であたしの琴線に触れるという事がそりゃもう、しょっちゅうって具合だ。
このアニメの詳細は何れ書かせていただくが、歌詞を聞いた時にこのアニメの主人公に併せて作られたのかと錯覚したほどだ。

物語の主人公は退屈な街と平凡な生活に嫌気がさした少年で、突然自分の目の前に現れた少女に一目惚れし、一人前の技術者になる為に街を飛び出し、彼女を守る事を心に誓うの訳だが、彼女や彼女と同行する大人達から、自分の無力さ無知さを痛感せざるをえなくなる事ばかりを体験する。その時の少年の苦しみを代弁するかのような歌詞

 どうして背が伸びない それ悔しかった

とリンクするのだ。
身長は言わば、自分の成長の証しであり、背がが伸びない=自分が未熟者(アニメの中の言葉を借りれば"ガキンチョ")であることの自覚であるのは言うまでも無い。悔しいのは自分の成長の未熟さを実感し、その事が必然的に自分のしたいこと、目的、想いをかなえていないという事に直結する。されに言えば、身長の低さは少女との差にもなる。
実際、アニメ登場当時の主人公は少女よりも若干背が低い。
少年の身長の低さが実は少女との絶対的な距離感でもあり、その距離感は必然的に大人との距離感にも通じる。
そして、物語の中で少年の少女や周りの人を見る純粋さと以下の歌詞が繋がる。

 いくら手を伸ばしたって 届くはずのない 大きな大きな空
 でも僕は何にも疑うこともなく キレイな未来を信じてた

このフレーズは自分が明らかに子供の頃からの思い出である。空に向かって手を伸ばして掴もうとする動作は子供であれば一度は経験する事だ。その経験の中にある「空」は純粋な気持ちの中にある「未来」では無かったかと思う。手を伸ばしても届かない大きな空というのは自分の持つ大きな夢であり、思いである訳だ。故に自身がその夢に向かった時、疑う理由など無く、キレイな未来=その夢が叶う想像が出来た。


 悔しいことがあると こらえきれなかった 大きな大きな涙
 でもあのときの僕の目は何より輝いていたと思う

これは子供全体の経験というより、個人で経験する事で、実は前のフレーズの純粋な思いに対する苦い経験なんだろう。


この歌詞が過去の思い出をつむいでいるのは文体で判る。若い頃の何も出来なかった自身を歯がゆく、そして懐かしんでいるように感じる。

実はこのアニメの結末で主人公は大きく成長を遂げる。そしてそれを裏付けるように、彼の背は少女を若干追い越しているのだ。実際は歌詞との融合性は考えてなかったらしいが、ちょっとはまり過ぎてるのが不思議なほど悔しい。
エンディングアニメーションも上手い。カメラが物語の登場人物をなめるように撮っていくが、目線を合わせる者は居なく、最後に主人公だけが目線を合わせる。つまりこのエンディングは彼が中心に働いていて、曲自身も彼の曲である。こんな思惑たっぷりの出来がとても面白く見えるのだ。


こんだけ御託を並べてはいるが、これは完全な三景の思い込みである。
でも、こういうヘンな見方もあって良いんじゃないだろうか。


秘密基地 作詞/作曲:高田梢枝 >


こちとら自腹じゃ!「蒼穹のファフナー」編

2006年04月16日 14時22分55秒 | Weblog
前回書かせて頂いた「宇宙のステルヴィア」と同じ製作会社で作られたこの作品、実はレンタルビデオに「店長のオススメ・・ハマリます・・」とあったので、物凄く期待をしていたのだけど、うーん、これがあたしには全然駄目。
以下はそのストーリー

「あなたはそこにいますか・・・」
日本の片隅に浮かぶ平和で穏やかな島。見渡す限り蒼い空。見渡す限り広がる碧い海・・・
少年、少女たちにとっては今日もいつもと変わらぬ一日がはじまるはずだった。
「あなたはそこにいますか・・・」
少年、少女たちはある日突然、このメッセージを受け取った。
「YES」と応えたその瞬間、一筋の光が蒼穹をよぎった。
光はあまりに美しく、だがあまりに過酷な現実へと誘う戦光でもあった。
突如として現れる敵。突然すぎる現実。
その大きな波に翻弄されることになる。
人は生きるために如何に応えるべきだったのか・・・
そして少年・真壁一騎は、「生きるため」そして「今から逃げるため」にファフナーに乗り込むことを決意する。
蒼穹のファフナー公式ホームページより

 物凄く内容的には壮大な物語である。
 アニメには珍しく文芸統括が付いている。文芸統括ちは簡単に言ってしまえばストーリー全体の設定や基本コンセプトを提示する役割を担っているらしい。担当するのはジュニア小説の分野で人気のSF作家の沖方丁だ。見る前は期待半分、不安半分である。と、いうのはジュニア小説に書いている作家に多いのだが、設定に凝るばかりで、読者の視線を無視する方がいるからだ。で、もってこのアニメの1話を見た瞬間に思った。
「こりゃ、おじさんにはついていけない」
 まぁ、放送時間帯も深夜という事で、ターゲットは10代後半とオタクなんだろう。ついていけないと書いた背景には、やたらと純文学みたいな展開をしている点だ。
 過去にも似たようなアニメは結構ある。その典型は「新世紀エヴァンゲリオン」(以下、エヴァと呼ぶ)だが、このエヴァは世間が難解と言っていたがあたしには判り易かった。不透明な部分が沢山ありながらも、話の展開をしていく中で、世界背景をきちんと描写に含んでいる点だ。その中で主人公の位置を少しづつ示しながら、物語のテーマ性を展開している。不透明な個所は最後まで説明していない所もあるが、話が進むと、その不透明な個所が気にならなくなる。主人公の位置的に不透明な個所はそれ程必要とされないからだ。

 で、このアニメはどうなのか?これが全く世界観が最初につかめない。話が主人公の住む島から始まるのは判る。ところが、島の外の世界については全く情報が無い。物語の展開上、この島が孤立している理由がわかるのは、漠然としてと言う意味では2話以降、具体的な話が展開されるのは中盤以降だ。しかも、肝心の話の所で、伏せられてる、または説明が曖昧な個所があるのだ。これが話の展開として切り取っても問題が無いというのが判るのは話の後半になってからで、それもあの話の進行ではわかりにくい。一つ間違えれば最後まで話の世界観をつかめない人がいると思う。この手のやり方は川端康成が好んでしていて、ジュニア小説で最近良く見かける手法ではあるのだが、こうしたやり方はジュニア小説の読者には判り易いが、それ以外だと理解できないという危険も孕んでいる。余程、文芸小説に造詣の深い者でも理解をするのは難しい(事実、アニメ、文芸小説、SFに精造詣の深い友人が音をあげた程である)。
 オマケに、ハナから「この物語は泣かせますよ」というサインが出っ放しだ。こういうやり方があるのも事実ではあるが、これで2クール話を展開するのでは疲れるし飽きる。
こういう物語には必ずどこかしらで息抜きをさせる個所が出てくるのが普通だが、そういった話自体が重過ぎて息抜きにならない。それだけ製作の力が入っているという事なのだが、これでは一般視聴者には絶対辛くなる。

 更に細かい所を言えば、この物語が何に重点を置かれているのかが、16話ぐらいまで見ないと判らない。最初、あたしはこのアニメが群像劇を書こうとしているのか、謀略劇を描こうとしているのか全く判らなかった。いや、正確にはこの手のアニメで謀略劇を期待する視聴者は居ない筈だが、謀略劇に凝り過ぎた感が否めないのだ。また、この謀略劇に出てくる新国連という存在自体が狂言回しに使われているのは登場の最初からわかるのだが、その割には無駄に思える個所がシナリオに出てくる、しかも、その無駄な部分に対してのフォローは一切無い。これが物語の膨らみを抑えてしまった感が強いのだ。
 また、これはあたしの印象として強く感じたのはエヴァから脱却しきれていないという事だ。それだけエヴァは物語として良く出来ているという事なんだろうが、未知の敵の存在、そこに織り成す主人公の人物像、見えてこない世界観など、どうしても二番煎じの印象が強いのだ。オマケに失敗している個所が随所に見られる。

 そして、声優が物凄く下手(ファンには本当に申し訳ないが、そう感じてしまった)だ。概ねの声優は全く問題無いのだが、一部のキャラが完全に浮いて聞こえるのだ。音響監督は一体何を考えてるんだろう、と疑うくらいだ。声の抑揚を抑えた演技と言ってしまえば、そう聞こえなくも無いが、キャラクター的に抑えてはいけない筈のキャラで、更に言えば、絶叫する所では下手だけどちゃんと表情をつけているのだ。おまけに日本語としてのイントネーションが完璧に違う個所を何箇所もみつけてしまった。こういう失敗は養成所ではかなり注意されると聞くが、同時に音響監督が指摘しなくてはいけない事だろう。音声に表現するメディアではこの表現が意図的であるにしても、やってはいけない事だとあたしは思う。実際、このイントネーションに引っ掛ってあたしは話に乗り切れないという所も多かった。

 あまり悪い事ばかり書くのもなんだから、いい事も書こう。音楽演奏は見事なものだ。パフォーマーはワルシャワ・フィルハーモニーで、斉藤恒芳の曲を膨らませている。この辺はアニメの世界観を広げるには良い結果を出していると思う。

 結果的にはレンタルビデオの店長オススメにはなっているが、あたしはススメない。これを見るくらいなら、同じ路線にある「交響詩篇エウレカセブン」の方をオススメする。

評価(5点満点)て
やりたい事:4「気持ちは良く判る・・・」
  SF度:2「何処かで見たような世界観、もっと何とかならんのか」
   構成:2「ターゲットを限定してます、とか宣言してくれれば、+1」
キャスティング
     :1「声優の問題では無い。スタッフの責任だ」


こちとら自腹じゃ「宇宙のスティルヴィア」編

2006年04月10日 23時54分07秒 | Weblog
ここんとこ、ずっと忙しいのだけど、ストレス解消にビデオをレンタルしまくっている。2週で20本というのはちょっと異常なペース。そうそう長く時間が取れる訳ではないので、簡単に見られて区切りの付けやすい連続アニメばかり。見ているのはSF系のものばかりだ。
その中でも、ちょっと面白いな、と思ったのが今回紹介の「宇宙のスティルヴィア」というアニメ。パッケージの絵を見ると、いかにも最近の若者受けを狙った萌え系の画であったので、敬遠していたのだが、その内容に興味を引かれて見てしまった。
超新星爆発の衝撃波「ファースト・ウェーブ」で大打撃を受けた百数十年後の地球から物語は始まる。超新星爆発の第二波「セカンド・ウェーブ」の太陽系到達を目前に控えた時に、主人公の少女がセカンドウェーブの宇宙対抗拠点であるファウンデーションのひとつ、「スティルヴィア」の宇宙校に入学し、多くの出会いと体験をするという学園ものなんだけど、久々にSF設定が物凄くしっかりしたものを見たという気がした。こういったSF物の多くは必ず敵がつきものだが、このアニメでは敵はいない。敵とは言いがたい。世界は戦争というものを知らない時代に到達していて、その中で「外的」という得体の知れないものとの遭遇で戦争や死を見つめなおすという展開はなかなか今のSFではお目にかかれない。
勿論ベースはSFと言っても学園物のスタイルだから、少年少女の恋愛はあるし、友情はあるし、上級生とのカラミもあるし、教官までが青春してる(笑)。これはこれで結構面白くはあるが、このアニメはこうした学園の風景を基本にしながら、主人公の成長と、その間に起こった出来事を押さえている所が実は見ていて一番面白いのではないかと思う。SF設定として、宇宙艇の操縦は立ったまま操縦なんて言う、面白いものがある。無重量状態では座位も立位も関係がない為で、これはなんとなく納得できるなぁ、なんて思える。超新星爆発の衝撃波なんていうのも実際問題、太陽系とその近隣の恒星系では確率が低いものではあるが、想定としては非常に良い。小説「さよならジュピター」(小松左京)をちょっと彷彿するような内容であるだけに、これをシリアスなままやっていたら、ちょっと子供にはわかり難いものがあると思うが、そこがこのアニメのバランスの良さだったかのかもしれない。

評価(5点満点)て
SF度:4.3「子供向けとしは、内容がかなり質が高い」


ふっか~つ!!

2006年04月10日 00時31分29秒 | Weblog
えー、ようやくどん底から這い上がってきた三景です。
先月末から今月初め、色々とありましたが、なんとか復活です。
と言っても今日はあまり書き込みは無しです。
実はわかばさんの壮大な書き込みをずーっと見ていなかったので、まとめて見ている所。
気を紛らわす為にiPodを計画的衝動買い(なんじゃそりゃ)。
他にも10日間でネタ仕込みも幾つか出来ましたので、それを小出しにする予定。
と言う事で、よろしゅう。

・・・

2006年04月02日 04時58分04秒 | Weblog
書きたい事・書き留めてある事が沢山あるのだが、
ちょっと、それを公開する気になれない。
気がついたら、エイプリルフールは終わっていた。
ほんと、エイプリルフールであれば良かった。

いやな気分のまま、実は今日もこの後、朝から仕事が待っている。
気分を切り替えねばなぁ。

正直この事を記事にしてしまった方が楽かもしれないが、
何から書いていけば良いのか、
スイマセン、もう少し整理できたら、何か書きます。