奥州亭三景の言いたい放題

あたくし、奥州亭三景が好き勝手な事を話すブログです。
暇と興味のある方は是非、ご覧ください。

久しぶりなのに・・・

2005年02月23日 23時50分11秒 | Weblog
うーん、何も書けない・・・・

いや、ネタはたくさんあるのだけど、記事がまとまってないんですな。
引出しはたくさん持っていても、整理の出来ていない典型ですな。

実のところ、ホームページの更新もおろそかになってます。
で、考えたのが、今まであちこちの映画関連サイトに書き込んでいたコメントに
手を加えてだそうか、という事。

映画ネタなら色々と面白そうなのが書けるかな。
戦争映画ネタでも30回分は余裕で書けるし、
テレビ映画、アニメも含めれば50回くらいは大丈夫かな。
長いのもあるから、数回に分けて(笑)

・・・うん、これならあたしでも書けそう・・・

という事で、暫くは戦争映画ネタで押していこうと思います。

モチロン、閑話休題的に時事ネタも入れますけどね。

さぁて、何を書こうかな!

海老名家の人々

2005年02月03日 20時41分07秒 | Weblog
あたしが良くお伺いするブログで「ブルースブラザース」に出演するレイ・チャールズが出てくるシーンのわらいどころを披露した。
楽器屋の親父役で出てるのですが、楽器を万引きしようとする子供めがけて銃をぶっ放すシーンの事だが、これはレイ・チャールズが全盲である事に対して、銃を撃つナンセンスさが面白いのだが、敢えてそこは解説せずに
「これの何が面白いのかというと・・・林家三平の真似になるから止めときましょう。」
と書いたのだが、”世代の違う全く知らない人”ときりかえされました。

ガーン!

そうだよなぁ。よくよく考えると、林家こん平、林家こぶ平はを知っている人は居るけど、
20代の人だと三平は判らないでしょうね。

という事で、今日は三平の話。

正式には「三代目 林家三平」で父親も名人と言われた、七代目 林家正蔵の子供で、4人の子供(海老名美どり、泰葉、林家こぶ平、林家いっ平)が全て芸能界に出た芸能一家の長だ。
寄席では手を額に当てて「ど~もすいません」のフレーズを流行させ、小話をアレンジして笑いを取ったりお客の年齢層に併せてネタを切替えるなど、多くの実験的な試みを行っている。冒頭であたしが「これはどうして面白いのかというと・・」と言っているのは三平の小話に反応しなかった人へ丁寧に解説するという、それ自体がギャグになっているフレーズなのだ。
とにかく彼が出ると寄席は爆笑に変わる。殆ど前座、二つ目から真打になっても変わらず新しい物を求め、そして寄席の笑いに昇華した。まさに「昭和の爆笑王」である。
林家三平というとどうしても「ど~もすいません」のフレーズや「よ~しこさん~」なんていう歌で憶えている人が多く、創作落語の人というイメージが強い。実際には古典落語も上手くて、特に「源平盛衰記」は見事なもので、彼の十八番でもあった。
そんな彼にも悩みがあった。それはテレビへの出演によるネタの欠乏である。
特に小話や駄洒落で使うネタはどんどんと古くなる、テレビで同じネタをやると「マンネリ」と呼ばれてしまう事から彼は常にネタを考えていたという。この人気者だった頃の三平の姿を知るこぶ平はとても怖かったと言ったのを思い出す。舞台で見る笑顔の反面、ネタを考える姿は鬼気迫る様であったらしい。彼は54歳と言う若さで他界する。彼の最後の日である昭和55年9月20日、完全に衰弱しきっている彼が突然病院のベッドの上に正座をさせて欲しいと要求する。やっとの思いで正座をすると三平は夫人と二人の娘を見て深々と座礼をした。
「おあとがよろしい様で」
これが彼の最後の言葉となり、そのまま絶命したそうだ。
彼は遂に親父の名前、”林家正蔵”は名乗らなかった。実はこの前に当代限りの約束で蝶花楼馬楽が「八代目 林家正蔵」を名乗っていた為だ。だが年齢からして正蔵よりも三平が早く亡くなる事は無いと思われていたが、結果的には三平が先立ってしまった。正蔵は三平の死後「八代目 林家正蔵」を返上し、「林家彦六」を襲名する。どうも、彼自身も早く三平に九代目を名乗って欲しかった様である。
今年、海老名孝泰は3月に「林家こぶ平」から「九代目 林家正蔵」を襲名する。彼は三平の倅という事で実は物凄く苦労をした人であるが、彼自身も三平に負けず、テレビタレント、声優、役者、として活躍している。また彼が当代の人気劇団である「ワハハ本舗」の創設メンバーである事を知る人は少ない。最近、めっきりとテレビ出演の少なくなった彼ではあるが、実は襲名前に多くの落語を憶え直しているそうだ。この姿を知ると、なんとなく三平の姿を思い出す。彼も40を超えて親父に良く似てきた。早く九代目の「源平盛衰記」を聞いてみたいものだ。