奥州亭三景の言いたい放題

あたくし、奥州亭三景が好き勝手な事を話すブログです。
暇と興味のある方は是非、ご覧ください。

ストーブリーグ、いやになる。

2006年11月22日 23時35分38秒 | Weblog
プロ野球もすっかりストーブリーグだ。
松坂はレッドソックスと交渉を開始した様で、良い結果になってくれる事を期待したい。
しかし問題も残った、ポスティングシステムだ。
選手と契約交渉を行う為の権利の入札金に日本円で約60億、西武球団の3年間の経営が出来る額だそうだ。今回の松坂の様な例は異例であるが、今後も交渉に成功した暁に手に入れられる入札金目当てで放出なんて可能性がどんどん増えてくるだろう。これが健全な球団経営なのか?
北海道日本ハムから小笠原がFAを宣言して今日巨人への移籍を決めた。日ハムファンは日ハムの主力選手が抜けてしまう事を惜しみながらも、快く送り出した。だが一部では巨人への移籍を非常に不安視している節もある。
巨人は今月までに小久保を放出する代わりに小笠原とオリックスの谷を手に入れた。もうかつての巨人の強さは見られない。
今の巨人はFA選手の獲得で戦力強化を図ったが、実の所、あまり成功しているとは言えない。巨人が本当に強くなりたいのであれば、即戦力の補強よりも新入団選手の成長を促すのが良い筈だが、どうもその辺を首脳陣は理解していない。日ハムや阪神が良い例なのだが、そうなっていないのが巨人なのである。
この辺は金をかければ何とかなると思っている首脳部の無能さを露呈している。また、金があるからそういう発送にしかならないのかもしれない。個人的にはNFLで行っているサラリーキャップ制を導入し、1球団の総年俸の上限を設けるとやたらなFA選手獲得が難しくなり、保有選手内での育成強化をするのではないかと思う。
もうひとつ問題なのがドラフト制度だ。ドラフトの本来の目的は選手の均等獲得による戦力の均衡化が目的の筈だが、相変わらず意中の球団以外の指名を断る選手が多い。相変わらずブランド志向が強いらしい。でももうそんな時代でもない筈だ。こうした中にはノンプロ球団がある事が選手を強気にしている節もある。でも選手がそんな事をすれば何の為のドラフトか判らない。
いっその事、希望枠みたいなくだらないドラフト制度をやめるべきだ。完全ウェバー制にし、入団拒否をした選手は4年はドラフト指名出来なくする等の事も考えないといけない。こうした部分をもっとしっかりする事で日本のプロ野球はもうひとつ進歩するのではないかと思う。

オリジナルとカヴァー、あなたはどっち その3

2006年11月22日 00時25分03秒 | Weblog
久々にやろう。

最近よくCMで聴く曲だったので、買った訳では無いけど、フルコーラス聴いたので、レヴューだ。

4回戦
「キスしてほしい(トゥー・トゥー・トゥー) 」作詞・作曲:甲本ヒロト
 オリジナル:The Blue Hearts
 カヴァー :此奈
実はあたしはロック自体がそれほど好きでは無かったのだが、不思議と聞き入ったバンドのひとつだ。ついでに言うと、The Blue Heartsをはじめて知ったのかこの曲でもある。とにかく見た感じはライブ等によく見る普通のロックバンドだったが、判り易い歌詞だっただけに響いたのかもしれない。此奈はグラビアアイドルだと言う事だが、これがCDデヴューとの事。
<判定>
此奈はかなり歌唱力はあると思う。しかし、独自の歌い方に持っていけてないのが辛い。倖田來未に近い歌い方に感じるのだけど、幸田ほどの歌唱力は無い。また、この歌は男歌なので、彼女のやや低めでハスキーな感じの声が合うという事での選曲なのかもしれないが、単純な歌だけにやはり女性の声では伝わり難い気がする。
今にして思うと、やはりこの歌は甲本ヒロトのちょっとキレた感じで歌うあの感じの歌い方の方がストレートに感情が伝わってくるのが不思議だ。やはりこれはThe Blue Heartsの曲と言う事だ(オリジナルの勝ち)。

でも、この歌も何のかんの言って20年くらい前の歌なんだよなぁ。
こういう歌が再び日の目を浴びるのは素直に嬉しいね。


亀田父、大いに吼える。それを見て三景も吼える。

2006年11月21日 01時03分16秒 | Weblog
 昨日、録画しておいたサンデージャポンという番組でボクシングの亀田兄弟の父がいじめについて熱く語っていた。彼の持論は簡単に書くと「いじめ問題は学校に頼るのではなく、親が子供をもっと見てやるべきだ」と言う事。この骨子はあたしは正しいと思う。基本的に子供に学校教育を教えるのが学校であって、子供の内面を事細かに指導するのは親であり、生活している社会全てであると思うからだ。まぁ、核家族化が進み、住民同士のつながりが少なくなった昨今の社会ではその点を指導する人が殆どいないから、その分を親が教えないといけないのだが。
 亀田興毅は小さい頃、いじめにあっていたらしく、それに気付いた亀田父はいじめている相手とあらためて喧嘩させたそうだ。これで興毅はいじめを克服したそうだ。ちょっとやり方に問題があるが、まぁ、結果としては良かったのかもしれない。
亀田父が興毅のいじめ対処に問題があるあたしが言ったのは、喧嘩をさせることに対してもそうだが、それよりも、仮にそこで興毅が余計に負の感情を持った時の事が怖いと言う事だ。

 あたしも実はいじめにあっていたクチだが、あたしのガキの頃というのはいじめられている子をちゃんと見守る環境があった。それはガキ大将であったり、年長のお兄さん達だったり、近所の人たちだった。いじめられている子供はそうした人をあるときは盾にし、あるいは、言い方は悪いが、いじめの捌け口として利用できたのだ。ところが最近はそういうものが本当に少ない。あたしの住んでいる所は、多少、少なくなったとは感じているが、まだまだ田舎の気質が残っていて、地域ぐるみで子供達を見守る体制が残っている。さすがにガキ大将という感じの子供はいなくなってるのが残念だが。
また、近所に必ずいたカミナリ親父や頑固ジジイ、ごうつくババァの存在というのは、今となっては物凄く重要な事の様に思っている。何処かで子供をしかってくれる人、うるさいことをいう年寄りの存在というのは社会経験として重要だったとおもう。今となっては絶滅の危機にあると言っても過言ではないだろう。
過日通過してしまった、教育基本法の改定問題なんかで、愛国心なんぞを植え付ける教育というのは、あたしから見るとあまりのくだらなさに呆れてしまうほどだった。今、いじめを受けている子供たちは愛国教育なんて必要としていない。毎日生死を賭けて学校に行っているという実態が理解できていないのか?彼らに必要なのは法律の改定ではない。「すがりつける何か」なのだ。

ちょっと話が膨らんだので元に戻そう。
あれだけ良い事を言っていたのに、亀田父は最期に残念な事を行ってしまった。
「いじめられる子にも原因はある」
ふざけるんじゃねぇ!!
いじめられる子に原因があるはず無い。いじめる子はいじめられる子に対して何らかのいじめの原因となるものを見出しているだけじゃないか。いじめられる子に何かの要因があると考えるのは自分がいじめられた事の無い人が良く言う事だ。いじめてる側は自分が気に入らないからこそ、その気に入らない点を掘り起こしていじめるのだ。自分よりも頭が良い、性格的におとなしい、大人に気に入られる。体力的に弱い、体に障害を持つ、人の嫌がる様な事も平気でする、なんてのが良い例だろう。本来ならば、これは個性として十分に認められるもので、なんら、問題の無い事ではないか。それを原因と言って良いのか?言うほうが間違っている。

もっと判りやすくしてみようか。
例えばこれをいじめではなく、人種差別に置き換えてみよう。
白色人種が有色人種を迫害する、これに有色人種が迫害を受ける原因は何処にあるのか?答えは簡単。肌の色の違いだけなのだ。
それは有色人種が身体的能力に優れていたり、有色人種が特殊な技術を持っていても関係無い。「肌の色が違う」それだけで迫害をする訳だ。肌の色はもって生まれたものであるから、これを変えることは出来ない。他の人と同じ様な能力を持っていても肌の色の違いひとつで迫害を受ける。いくら人種差別を無くそうと思っている人が世間にアピールしても「有色人種にも原因がある」と言ったら、それは既に迫害してる事になるのかもしれない。

折角あの親父が久々にマトモな事言ったと思って感心してたのになぁ。
でも、こんなもんかなぁ。

ある芸人の死

2006年11月13日 22時32分02秒 | Weblog
ちょっとここの所、忙しいので、走り書きになるがご容赦願いたい。

村田渚が死んだ。
この名前を聞いてもすぐに判る人はいないと思う。もしかしたら、説明をしても知らない人も多いと思う。
彼はお笑い芸人だ。
「フォークダンスDE成子坂」というコンビで、会話をわざとはずすような、シュールな芸風のコンビで人気を集めた。どこかスタイルが洗練されていて、あたしは芸風がダウンタウンに似ているような気がして好きだった。村田はこのコンビのツッコミ担当だった。
当時、若い人に人気があり、テレビ番組のメインパーソナリティとして出ていた事もあり、バカルディ(現さまぁ~ず)と並び、プロダクションの看板芸人だった。
ところが、99年に突然の解散。その後、ピン芸人として出ていたが、2005年に「鼻エンジン」としてM-1グランプリで準決勝に進出した姿を見て、あたしは喜んでいたのだ。
年齢的にあたしに近いせいもあったかも知れないが、笑いに対する感性が合ったので好きな芸人だった。
それがくも膜下出血で自宅で亡くなったそうだ。
「鼻エンジン」としての再出発が順調だっただけに彼の死が惜しまれる。

心よりご冥福を祈りたい。

オススメの漫画「よつばと!」

2006年11月03日 00時18分50秒 | Weblog
体調を崩して会社を休んだ。
と言っても、医者で薬を貰って飲んだらかなり調子が良かったので、布団で寝ていても非常に退屈だ。
で、布団の中にいては何もする事が出来なくて、ひたすら読書、と言っても漫画ばかりだが(笑)
今日読んだのは
「漫画に愛を叫んだ男たち」(長谷邦夫)
「マンガ学への挑戦」(夏目房之介)
「マンガは今どうなっておるのか?」(夏目房之介)
「サイバラ茸」(西原理恵子)
「帝立第13軍学校歩兵科異常あり!? 1~2巻」(石田あきら)
「よつばと! 1~5巻」(あずまきよひこ)

で、今日のオススメとして紹介したいのが「よつばと!」だったりする。

主人公は、”よつば”という、緑の髪と瞳を持つ女の子(6歳)。とにかく行動力があって何にでも興味を持つ、それでいて訳が分からない(笑)。とっても不思議な感覚がある。なんと言うのかな、牧歌的であり、どこか懐かしさを感じる、勿論あたしの少年期の様な古さは無いのだけど。よつば以外の主要な登場人物と言えば、何の仕事をしているのか良くわからない(実は翻訳家)とーちゃん、とーちゃんの友達のジャンボ、となりに住む、あさぎ、風香、恵那の3姉妹と、そのとーちゃんと、かーちゃん。つまり、これがよつばにとっての世界であると言う事なのだろう、小さな世界ではあるが、これが子供にとっての最大限の世界なのかもしれない、そんな世界の中でよつばが様々な体験をしていく漫画である。よつばの行動は、とにかく面白い。なんと言っていいのか・・・ああ、あたしもこんな事やってたなぁ、って言う感じ。自分が迷子になった時の不安感、始めて魚釣りをした時の興奮、人の家の冷蔵庫を勝手に開ける行動、矛盾だらけなのに矛盾を全く感じていない頭の中(笑)、そうそう、こんな感じだったよ、と懐かしむ自分が居る事に驚き。作者の観察眼の良さなんだろうな、それとも感性が子供と同じなのか?作者のあずまきよひこは、いわゆる「萌え系」の絵を描く漫画家だ。彼の前作の「あずまんが大王」というのはその要素が高かった。あたしはむしろ、シュールなギャグに喰い付いたクチなので、あまり萌えとは関係無いけど。
この「よつばと!」もどちらかと言えば萌え系なのかもしれない。でもあたしみたいなオッサンではこのよつばを通して、自分の餓鬼の時代を思いだしている感覚が強い。

 花火大会の夜店に誘われて、とーちゃんと手を離してしまうと、とーちゃんと仲間達はよつばに見つからないように隠れてしまう。よつばがふと、とーちゃんと手を離してしまった事に気付いて、出かけ前に「手を離したら、二度とあえなくなるぞ」というとーちゃんの脅しの言葉を思い出して泣き叫ぶ
「こいわいよつばです!こいわいよつばです!」(「よつばと!」第3巻より)
  
そうそう、こんな感じだったなぁ。あたしも経験あるよ。あたしの場合は泣きながらあちこち走り回って、挙句に車に撥ねられたけど(笑)。あの時の記憶を共感しているようで、どうもあたしはこの場面を見てると泣けてくる。
子供の特性ってのは本当に面白い。あたしにとってはかなり酷い体験だったけど、今思い出すとなんか懐かしい。こんな純情な時代もあったんだよなぁ、なんてちょっとほろっとしてしまう自分がいる。大雨にうたれて喜んだり、人の家に入る事だって冒険だった。そんな事を何となく思い出させてくれる漫画として受け止めている。
作者にここまでの意図があったのかはわからないが、あたしぐらいの歳になると、ちょっとこの漫画はピンポイントでツボにハマった感じがある。でもこの漫画、中高生に人気のある雑誌に掲載されてるんだよなぁ。読者はどう思ってるんだろう?

オリジナルとカヴァー、あなたはどっち? その2

2006年11月02日 01時14分34秒 | Weblog
早速二日目だ。
ちょっと今回のは問題があるかもしれないが、ネタとしては面白いと思う。
と言う事で、3回戦からスタート!

3回戦
「デイドリーム・ビリーバー」作詞・作曲:ジョン・スチュワート カヴァー作詞:ゼリー
 オリジナル:モンキーズ
 カヴァー :タイマーズ
モンキーズというのは今の人じゃあまり知らないと思うけど、今で言うテレビ企画モノで登場したロック・グループで、その人気は凄かったらしい(あたしも知っているのは80年代のリバイバル・ブームの時だ)。
タイマーズはゼリー(忌野清志郎に良く似たボーカル)が率いたロックバンドで、痛烈な社会批判の歌詞を歌い上げる事で話題になったバンドだ。もとは清志郎がRCサクセションで起こしたアルバムの発売中止事件がきっかけで出来たバンドと言われている。
<判定>
歌い方については好みの問題ではあるが、あたしはどちらも好みなのでこれは互角、問題は歌詞だが、これは元の歌詞と比べると、ゼリーの作った歌詞の方が非常にわかり易いし、共感し易い。と言う事でタイマーズに軍配を挙げたい。(カヴァーの勝ち)

でもって実は今、忌野清志郎の歌「恩赦」を聴いている。(パフォーマーは小林克也とナンバーワンバンド)あまりあたしはロックは聴かないのだが、清志郎の曲はやはり好きだな。ロックの根本的な精神に満ちてる歌詞を聴くと本当に心地いい。

という事で、また次回。


オリジナルとカヴァー、あなたはどっち?

2006年11月01日 01時12分09秒 | Weblog
最近、やたらとカヴァー曲が増えている。
原因は最近の音楽の消費の早さがあると思う。90年代くらいまでは1曲ヒットすれば半年から一年はヒットチャートに載り続けていたが、現在では15週も載っていれば大ヒットといわれる。こうなると作詞家、作曲家、アーティストが次の曲をすぐに準備しなくてはいけなくなるが、そうした部分で準備の期間が少なくなる。そうなると、いよいよ昔の曲をカヴァーする事で場つなぎせざるを得ない事も出てくるだろう。
またカヴァーにはメリットもある。基本的にカヴァーされる曲は名曲が多く、ヒットの可能性は新曲よりも高い。勿論、カヴァー曲の正当な権利も発生するのでカヴァー曲の作詞家や作曲家にも嬉しい出来事となる。
ここで、あたしに良く起きる問題がある。カヴァーとオリジナルでどちらが良いかと言う事だ。これは聴いていた年代や時代背景もあるので一概に言う事は難しい。オリジナルが必ずしもヒットしていたという訳でも無かったり、カヴァーになっても泣かず飛ばずというモノもあった。
そこで、あたしの個人的な評価を対決みたいな形で今後何回か紹介しようと思う。

一番勝負
「まちぶせ」作詞・作曲 荒井由美
オリジナル:三木聖子
カヴァー :石川ひとみ
      国府田マリ子
      松任谷由美

おそらく、多くの人の人の知っているのは石川ひとみだろう。でもこれよりも前に三木聖子というアイドルが出しているのでこちらがオリジナルだ。この二人、どちらも上手いのだが、歌った感じが結構違いがある。
国府田マリ子は声優さんだが、あたしはこの人デビュー当時から知っていて(でも、ラジオタレントだと思ってた)、結構声質が面白いので歌ったらどうかな、なんて思ってたら、声優ブームにのって歌手デビュー。ちょっと高音がヘタる癖があるので、あまり上手くならねぇかなぁ、なんて思ってたら、曲を出す程に上手くなってくるので期待していた中でのこのカヴァー。
最後の松任谷由実は当然ながら作詞・作曲家のセルフカヴァーと言う事になる。実は荒井由美時代にも出してるらしいが、あたしは石川ひとみの振り付けのままでPVを作った時のあれが印象が強すぎるのでこちらで勝負だ。
<判定>
曲のイメージを定着させた石川ひとみの勝ち!!(カヴァーの勝ち)
但し、國府田マリ子と松任谷由実は国府田は歌い方にヘンな感情をのせてしまった影響で上手く聞こえない、松任谷由実は曲のイメージと声質が全然合わないのでオリジナルの勝ち。

二番勝負
「セーラー服と機関銃」作詞:来杉えつ子 作曲:来杉たかお
オリジナル:薬師丸ひろ子
カヴァー :星 泉(長澤まさみ)

今、まさにテレビでドラマをやっているアレである。新旧役者対決で、実はどちらも演技派であって、好きではあるのだが、テレビドラマ版はちょっとテイストが映画の様にスマートでないのが残念、これなら、原田知世がやったテレビドラマ版の方が面白いんじゃなかろうか?(まだ、3話までの段階でこんな事言うのもなんだが・・・)
ちなみに来杉たかおのセルフカヴァーである「夢の途中」も入れようかと思ったが、歌詞の違いがあるので厳密な比較は止めようと思うので今回は加えていない。
<判定>
役者としての素養はどちらも甲乙付けがたいが、歌の上手さとしては断然、薬師丸に軍配が上がる。(オリジナルの勝ち!!)
長澤は爆笑問題の田中が高評価してるが、役者としての素養程はない。頑張っているのは歌を聴けばわかるが、やはり歌手としてのトレーニングが十分では無いようだ。音の延ばし方、ヴィブラートのかけ方など、まだまだという感じが強い。
薬師丸は当時の角川映画のアイドル女優としては抜群に声質がクリアで伸びもあり、ヴィブラートがナチュラルにかかる。それが返って聴いていて心地よくなるのだ・・・ちょっと褒め過ぎかな(笑)・・・

と、言う事で今日は2番、次回はどんな対決になるか・・・全く考えてないから、考えなくては・・・