奥州亭三景の言いたい放題

あたくし、奥州亭三景が好き勝手な事を話すブログです。
暇と興味のある方は是非、ご覧ください。

ΠΛΑΝΗΤΕΣ、NHK・・・侮れない。

2005年07月31日 18時51分08秒 | Weblog
前回SFアニメも侮れないという所で終わりになった、で続き。
あ、その前にちょっと追加、前回の「星界」シリーズの「断章」が一部まとめられて「星界の断章Ⅰ」として7月に刊行されていた(昨日慌てて買いに行った次第・・笑・・)

じゃ、ホントに続き・・・
「ΠΛΑΝΗΤΕΣ(プラネテス)」というアニメがある。
宇宙のゴミ(デブリ)問題をネタに、そのデブリ回収業務に従事する職業宇宙飛行士の物語だ。元々は漫画(幸村誠:講談社)が原作である、職業ネタの漫画であるが、あたしは原作は読んでいなくて、友人の口コミでたまたま見たのだが、これが面白かった。現実より約70年先の話という設定だけど、この宇宙のゴミ問題というのは現代でも早くから警鐘が鳴らされている話である。カッコイイ、ロボットなんか出てこない。しかも、このデブリ回収業務というのは宇宙事業の中でもおよそ花形とは言えない部類の仕事に位置されている。でもこのデブリ回収が無ければ、安全に宇宙を行き来できないという、なんかどこぞの仕事でもありそうな話で、職業倫理モノとして見るのも面白いと思う。このアニメの製作にあたってはNASDA(宇宙開発事業団)の協力もあって、実は物凄く現実視のされたSFアニメであり、あたしもこれを見て、「子供だけに見せるのでは勿体無い」と思う程の出来の良さだった。実際原作は青年誌であるから、子供よりも大人に見せる為のアニメかもしれない。今年、この「ΠΛΑΝΗΤΕΣ」は星雲賞のメディア部門を受賞した。押井守の「イノセンス」、ピーター・ジャクソンの「ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還」などの協力なノミネート作を押さえての受賞だ。ヒーローが居る訳では無い、敵と戦う訳ではない、そんなアニメではあるが、SFファンには是非見てほしいアニメではある。

しかし、NHKはアニメで面白いものを放送する事に恵まれている。
宮崎駿が全編監督した最初で最後の連続テレビアニメ「未来少年コナン」や、庵野秀明が「海底二万哩」を題材に作ったSFアニメ「不思議の海のナディア」、今でも子供たちに大人気の「忍たま乱太郎」、NHK地上波では恐らく始めての女の子向き(実際には”大きなおともだち”にも大人気だった)アニメ「カードキャプターさくら」、BSでは池田理代子原作のちょっとアブナイ内容の「おにいさまへ・・」など、民放ほどでは無いにしても結構な人気のアニメが多い。やっぱり金が余ってるのかなぁ。そう思いたくなるぐらい面白いものが多い、現在にしても少年誌で人気の野球漫画のアニメ化「メジャー」やCLAMPの人気作「ツバサ クロニクル」、個人的に原作の小説「今日からマの付く自由業」を読んで、面白いなと思ったらアニメ化した、「今日からマ王!」なんてのもやってる。
よく考えると、昔から面白い子供番組をやってるよなぁ。人形劇で「ひょっこりひょうたん島」、「三国志」、「真田十勇士」、「プリンプリン物語」。どれもこれも出来はもの凄く良くて、特に「三国志」、「真田十勇士」は大人が見ても楽しめる感覚があった。ETVを持っている強みもあるかもしれないけど、子供達の興味を引く要素のある番組を作るのはうまい。今、日本のアニメに関しては質もさることながら、量も多い。その中でどういうものが人気を得られるかなんてのはやってみないと分からない部分も多いと思う。その中で、NHKが選択したアニメは”アタリ”ではないだろうか。
でもNHK自体は相変わらず多くの問題を抱えてる。本当に民営化しなくちゃいけないのは、郵政では無くて情報通信って気がしなくも無い。

星達の眷族

2005年07月28日 13時03分25秒 | Weblog
最近になって漸く「星界の戦旗Ⅲ」のDVD発売の話を聞いた(遅すぎ!!)。
ハヤカワJA文庫で出されている、森岡浩之の人気スペースオペラだ。まぁ、DVDはアニメなので、映画好きでもなかなか見ないとは思うけど。今までが10話から13話構成のドラマだったのに、今度のは2話(1時間)しかないのが残念だが、まぁいいか。
物語は、とある惑星の首相の息子である主人公が紆余曲折を経て自分の住む惑星を統合した巨大帝国の王女と出会い、冒険を重ねるというものなんだけど、これがまた最近になかった壮大な物語で面白い。現在「星界の紋章」として3冊、「星界の戦旗」として4冊、オフィシャル本数冊に「星界の断章」という短編を出している。
日本のスペオペとしての小説からのヒット作は、田中芳樹の「銀河英雄伝説」(徳間書店)、吉岡平(ひとし)の書いた「無責任艦長タイラー」(富士見書房)というのがあるが、この「星界」シリーズはそれに続くヒット作になっている。
あたしが一番にこの作品で注目したのは言語だ。主人公の住む惑星を統合する帝国「アーヴによる人類帝国」の言葉「アース」が、文中の随所に使われているのだ。ちゃんと表記も存在するし、文中には細かく書かれないが、文法も存在する。森岡氏の言い方によれば、時間が経過すれば、言葉だって変わってくるというのを示しているのだそうだが、この凝り様が意外に人気を拡大させたのかもしれない。そして、同じ様な考え方で作られた物語をあたしはどうしても思い出さずにはいられなかった。「指輪物語」(J.R.R.トールキン、評論社)だ。トールキンはこの”中つ国”での物語は地球とは違う世界だから言語が違うという考え方を持っていたらしい。彼の場合、それが顕著にでているのがエルフの言葉で彼自身、本にサインをする際に自分の名前をエルフ文字で書いたりしていたという。他にもホビットの言葉やドワーフ、オークの言葉も残している。
森岡氏がそこまで意識しているのかは定かではないが、この”星達の眷族”の言葉というのは実に魅力的だ。別に洗練されているとか、そういった意味では無い。英語等が外来語として日本で定着するのと同じでこの小説を読むときに限って良く使われる言葉が無意識のうちに「アース」に変換される感覚があるのだ(基本的に単語にはルビがふってある、でもそれを読んでる感覚が無い)。その上で、森岡の文章の書き方も個人的に気に入っている。主人公が偶然に出くわした初めてのアーヴが帝国の王女で将来の皇帝候補、しかも美形とくれば、これはもうロマンスを感じずには居られないのが読者であるが、そんなものを感じる場面なんぞ殆ど無く、ちょっとした言葉にかかる表現で、仄めかす(笑)。多分、この辺が海外のSFとの大きな違いなんだろうな。凄く日本的な表現方法だと思う。でもこういう日本的な文学表現をSFで読めるのも嬉しい話だ。
国内で、もうちょっとSFに対しての認知がされると良いのだけど、いかんせん漫画やアニメの形態でしか人気が上がらないのが実情で、そういう意味では非常に悲しくなってくる。いや、漫画やアニメも決して捨てたもんじゃないよ。その辺の話はまた次回にしよう。

なんだろね

2005年07月26日 21時09分47秒 | Weblog
こんなものが出ている。面白いんだけど、高いなぁ。成型は佐藤サンプルという、有名食品サンプルメーカーがやってるのだけど、やはり値段の高さがたまにきずという所か。
パソコンの関係では結構こういう遊び心のあるパーツが出るけど、実用を考えると、少々悩んでしまう。iMacが出始めた頃にサードパーティで大量に出た「i」シリーズ、個人的にはUSB接続の照明「iLight」、iMac用の強制空冷装置「iFan」なんてのは、物凄く実用的であったが、電磁波を軽減する、iMac型のファッション眼帯「iPatch」とか、完全なる便乗型のマスコット人形「iDoll」なんて訳の分からないものもあった。実際、ここまでやられてしまうと、面白すぎてあきれてしまう。もちろんこういうファッション性を重視する人がいるのは確かだ。Macがここまで残っている背景にはその外観のファッション性に魅了された人が少なからずいるからだ。残念ながらあたしは違うけど(笑)
勿論、こういうものをあたしは否定するつもりは無い。これだってひとつの考え方だし、ファッションだし、趣味なのだから。あたしだって読書と模型趣味を否定されたら、悲しいもんね。
いや、むしろ値段がもうちょっと安ければ、あたしも欲しい所だが、置き場がねぇなぁ。姉妹品のUSBメモリも面白そうなんだけど、あの値段じゃもっと高性能のメモリが買えてしまう。やはりいまのあたしには実用性の方が良いなぁ。


CLAMPの肖像

2005年07月26日 01時12分44秒 | Weblog
日曜日に教育テレビで「トップランナー」という番組をやっていた。
司会が国内を中心として活躍する人を迎えて対談するものなのだが、これが結構教育テレビらしく(どこが!)、ちょっと変わった人を選んでくる。先週はたしか福井晴敏(作家)で、過去にはドリアン助川(叫ぶ詩人の会、現 明川哲也)とか、吉岡稔真(競輪選手)、アンドリュー・マコーミック(ラグビー選手)、東儀秀樹(雅楽師)、松本 隆(作詞家)、明和電機(総合芸術家)、富野由悠季(アニメーション作家)なんて人が出ていて、結構面白い。
今回登場したのはCLAMP、女性4人の漫画家集団だ。CLAMPはデビューからずっと表に顔を出さず、謎めいた存在の漫画家ではあったが彼女達が始めてメディアに顔を出すと聞いて興味があった。あたしがCLAMPの漫画を読み始めたのは「カードキャプターさくら」からで、それまで、名前は知っていたが、女性漫画集団という事で、少女漫画指向だと認識して読んではいなかった。以前に書いている、「東京BABYLON」、「X」、「魔法騎士レイアース」などを見ると、ちょっとあたしには読みにくかった。ところが「カードキャプターさくら」を読んでみると、子供向けではあるが少女漫画の文法というよりは少年誌の漫画の文法に近くて読みやすかったし(むしろ、子供向けだったのが功を奏したのかも・・笑・・)、シナリオの構成が物凄く上手かった。今、週間連載している「ツバサ」がまた、凄い人気で、そんな彼女達がどんな話をするのか楽しみなのだ。
さて、ご本人達が登場、あれ?こんな老けてるんだ(失礼)。でもそうだよな。同人誌で知った時は学生時代だし、プロになってから15年経っているもんな。所見でリーダー格で原作担当の大川緋芭(あげは)氏は一条ゆかりに風貌や発言が似てる。ネーム・作画担当のもこな氏は服装もそうだけど、落ち着き方が萩尾望都みたい。いや、萩尾さんの方がもうちょっとお喋りか(これも失礼)。作画のいがらし寒月(さつき)氏と猫井椿氏は何処にでもいるオネエチャンって感じの方だった。もうちょっとオタが入っているかと思ったが、女性漫画家はあまりそういうことは少ない。まぁ、女性の方が男性に比べて現実視出来る力を持っているから、当然といえば当然であるけども。現在、週間1本、月間1本(ああ、いや、もう一本あったような気がするけど、憶えて無い・・・)の連載を彼女達は持っているが、彼女達はアシスタントを使わずに4人で書いている。もっとも大川は原作なので、3人で作画を行っているという事になる。あたしが良く聞く漫画家の話だと書き込みの量にもよるかもしれないが、週間連載だけでもアシスタントが4人~6人いるのが普通で、漫画家を入れて4人~7人の体制が一般的なようだ。過去には「北斗の拳」(原作:武論尊、画:原哲夫)で噂になった話だが、週間連載に使うアシスタントが10人とも15人ともいわれた、とんでもないものもある。CLAMPの場合、完全分業制(原作、ネーム、作画(キャラクター、背景)、仕上げ)であることが実はアシスタント要らずになっている要因であろうが、これで15年続けてきたというのだからたいしたものだ。その昔のトキワ荘の住人達は仲間意識を持ちながらも、個々の漫画というものを書いていた。ところがCLAMPは4人で1個の作家として存在する事になってもあまり個々の自我がでてこない。あの藤子不二雄ですらも、共同のペンネームを持ちながら、独立したものを書いていたのに。ちょっと違うかもしれないけど、CLAMPの漫画の書き方はアメコミの様相を呈しているのかもしれない。但し、アメコミの様に個々に報酬が払われる訳では無く、この辺がやはり日本の漫画文化を育んできた土壌なのかもしれない。
CLAMPの様な漫画家の集団でのプロ作家が居なかった訳ではない。あたしらには懐かしい、「嗚呼!!花の応援団」のどおくまん(独立大阪漫人集団)がその典型であるが、彼らは実の所、個々でも活動をしているらしい。前述した藤子不二雄は名前こそ共同だが、実の所、協作は少ないそうだ。「キン肉マン」で有名になった、ゆでたまごが唯一、原作と作画に完全に分業して成功している少年誌の漫画家かもしれない。しかし、これらの漫画家集団はかなり稀有な例かもしれない。日本ではオリジナルの漫画を出すことを漫画家とその卵たちは求める傾向が強い為だ。漫画家=芸術家の意識が強く、それはそれで今の日本の漫画文化を広げる結果になったのだが、CLAMPの様な成功例を見てしまうとシステマチックな集団でも芸術を生み出せるのではないかと思う。実際、独立した漫画家だってアシスタントを使うのだから、そういう意味では、全く同じかもしれない。

しかし、色々なジャンルとスタイルを生み出した漫画という存在は本当に侮れない。


お家で音楽・・・曲選び

2005年07月21日 00時45分14秒 | Weblog
さて一通りの道具はそろった。あとは元ネタである。
打ち込みには耳コピーと呼ばれる、楽曲を聞きながら各パートを打ち込む方法と、楽譜などを元ネタに打ち込む方法があるが、今回はソフトウェアの使い勝手もわからないので、楽譜からの打ち込みをする。もっとも、耳コピーはあたしみたいに音感の悪い奴には至難の技ではあるけども。
さて、じゃぁどんな曲を打ち込もうか・・・取り敢えず家にある楽譜を漁ってみる。
「ギター弾き語り さだまさし全曲集」
「ギター弾き語り さだまさし名曲集」
「ギター弾き語り チューリップ全曲集」
「ギター弾き語り H2O全曲集」
「ギター弾き語り ゆず全曲集」
「ギター弾き語り 山崎まさよし全曲集」
「ギター弾き語り 嘉門達夫名曲集」
「ピアノ弾き語り 紅の豚サウンドトラック」
「ピアノ弾き語り 久石譲」
「ピアノ弾き語り みんなのうた名曲集」
「ピアノ弾き語り 山崎まさよし名曲集」
「ピアノ弾き語り スガシカオ名曲集」
えーと(汗)、ピアノピースは難しくは無いけど、面白みが無いし、音色が1音で済んでしまうのではちょっと問題なので除く。ギターは面白いけど、ギター特有のテクニックをとてもすぐには打ち込めないのでこれも駄目。しかし、嘉門達夫って・・・オマケにみんな古い(山崎とスガは人からの預かり物)
「ブラスバンド ルパン三世」
「ブラスバンド クワイ河マーチ」
うわー、ヘンなのでてきたなぁ。興味本位で買った奴ですが、アレンジが酷くていやになった奴です。聞いてて嫌になるような奴は論外。
「楽譜 ワルキューレの騎行」
なんでこんなのあるんだろ?自分でもなんで買ったか憶えて無い。これはある程度上達してからだな。
「バンドスコア 東京少年 もういいかい?」
「バンドスコア エリック・クラプトン」
あー東京少年、これいいかもしれない。でもこのアルバムの曲って結構シンセパートが難しいんだよなぁ。クラプトンはギターが難しすぎるので完全に除外。他にまだあるかな?
「バンドピース タッチ 岩崎良美」
「バンドピース サボテンとバントライン 筋肉少女隊」
「バンドピース ボヨヨンロック 大槻ケンヂ」
うーん、筋少は面白いんだけど、打ち込みたいへんだよなぁ。しかしタッチなんて何時買ったのだろう?もう、買ってから15年以上経ってる筈なのに、新品同様なのは何故?(笑)ちなみに、ボヨヨンロックのバンドピースは市販品では無くて、友人が書いた譜面です。もう15年くらい経ちます(笑)
他にもあった筈だけど、見つからない・・・RCサクセションがあった筈なのに・・・あ、そう言えば、昨年買ったのがあったっけ。面倒だから、あれで良いか?よし、決まり。

という事で、初めて打ち込む曲は大塚愛の「さくらんぼ(バンドピース)」に決定しました!!
さて、打ち込みに何ヶ月かかる事やら(爆)


お家で音楽・・・音源

2005年07月19日 01時27分33秒 | Weblog
コンピュータとソフトはなんとかなった。後は音源だ。
実はいまのパソコンの殆どはソフトウェア音源というのを持っていて、結構性能も良い。
でも、音自身を調整するのがソフトウェア音源だと難しいし、結構コンピュータに負荷をかけるものなので、同時発音数を多くすると、ちょっと辛いものがあったりする。
と、言う訳で、あたしは外付けの音源を持っている。音源の良い所は同時発音数の多さと音の種類の多い事だ。実際のオーケストラの規模の演奏をしようと思えば最近の音源なら3台もあれば演奏できてしまう。音色も多彩だ、規格上、通常音128種、打楽器音128種があって、これで普通に演奏する音は十分に足りる。さらには音色によってバリエーションまであるから、これで結構色々な事が出来てしまう。
問題はコンピュータとの接続方法だ。電子楽器の規格にMIDIというものがあるが、端子の規格も固有のものなのだ。ところがあたしのMacにそんな端子なんぞ無い。どうしようかな、と思って音源を見たら・・・ありゃ、USB端子が付いてるじゃん。そう、最近の音源はUSBにも対応してる。元々のMIDI端子はデータの転送速度とか転送量が低い。それに比べたらUSBは段違いで早い。
さて、これで音源もなんとかなった。
あーやっと打ち込みだよ。でも出来るかな(笑)。

お家で音楽・・・ソフト探し

2005年07月17日 20時10分31秒 | Weblog
前回の続き、
Macで音楽するのは難しい。
いや、昔からMacは音楽向きと言われているけど、今や性能面でもソフトの面でもWindowsの人気が高い。おかげで本当にソフトを探すのが大変。いや、あるにはあるのだけど、市販品は価格がやたら高い。大体、5万から20万というのが一般的だ。Windowsだと、もうちょっと安いのがある。あたしがやりたいのは、レコーディングとかサンプリングみたいな事では無くて、単純に演奏したいだけ。演奏なんておこがましいいものでは無い、自分で演奏できないから肩代わりしてもらいたいだけなんだけど、そのためのソフトだけ、というのが無かったりする。
で、最近になってようやく見つけた。koki_mさんのVIALというソフトだ。開発途中と言う事で、まだヴァージョンは0.32だけど、あたしの要求には十分な性能だと思う。おまけにフリーソフトだからこちらもお金の心配いらない(笑)。と言う事でこれから試す事になるのだが、ああ、音源が準備できてない!(爆)
ああ、なんかまだ続くのか、この話・・・

お家で音楽・・・その前ふり

2005年07月17日 04時14分46秒 | Weblog
今、自宅で使用しているパソコンはMacなんだけど、かれこれ4代目になる。今まで使用していたMacがことごとく壊れ、修理を試みては居るのだけど、いかんせん部品の調達が悪かったり、修理するよりは買いなおした方が早いという感じになってる。(なんとかせんとなぁ)で、巷ではMacのOSはTiger(10.4)なんだけど、あたしが使用しているのはPanther(10.3)だったりする。Tigerに乗り換えようかとも思うのだけど、家ではインターネットやメールしか使わないので、このままでも当分は良いかな、なんて思ってる。Macにした理由は単純明快、Windows OSが嫌いだからだ。そりゃ仕事では使うけど、ビル・ゲイツが何より好きになれない事が大きい。確かに彼は成功者であるけど、彼は基本的に技術者であった筈が完全な商売人になってしまった。技術的に優れたものを出してはくるが、その度に無駄なメモリ消費するソフトが増えるし、何よりもマイクロソフトのソフトウェアアップデートがやたらと多い。そしてそのほとんどがソフトウェアの脆弱性に関するものだ。勿論、Macだって同じような事は多分にしてあると思うけど、とにかく多い、多すぎる。Macも同じ様にセキュリティ問題が見つかっているみたいだけど、解決してからは安定している。Mac特有のウイルスも少ないから、ウイルス対策ソフトを入れてあるけど、ここ2年はウイルスに全然お目にかかった事も無い。
但し、Macにも問題が無い訳では無い。ソフトウェアが絶対的に少ないという事だ。
やはり、ユーザーが少ないから、メーカーは力を入れてMac OS向けのソフトを作らない。フリーウェアもシェアウェアもWindowsに比べたら圧倒的に少ない。今、一番困っているのがDTM(DeskTop Music)だったりする。
最近のパソコンは非常に性能があがったので、家でデジタルレコーディングが簡単に出来たりする。でも、あたしみたいに楽器の演奏が苦手な人にとってデジタルレコーディングなんか必要無くて、それよりもシーケンスソフトが欲しいのだけど、そういうソフトを探すと市販のものは結構高かったりする。良く出来てるけどそういうソフトに限って使いこなすのが難しい。
もー本当にどうしようか・・・と、いう所でまた次回。


「失踪日誌」

2005年07月14日 12時40分29秒 | Weblog
吾妻ひでおをご存知だろうか?
1970年代に独特の可愛いロリ系キャラを書く漫画家としてデビューした。
80年代には彼の漫画「オリンポスのポロン」と「ななこSOS」がアニメ化しさらには漫画がドラマ化されたものもある。
90年代に数度の休筆期間を経て、現在に至る。彼の大きな功績としては、漫画に”不条理”というジャンルを確立した事だろう(一般的には吉田戦車がメジャーである為、彼がジャンルを確立したとおもわれがちですがそれは間違い)。 その吾妻が彼自身の休筆期間を記録した漫画がこの「失踪日誌」(イーストプレス刊)なのだ。
タイトルの通り、休筆期間というのは実は彼が漫画を書くのを止め、失踪していた時であり、その事を、描いた漫画なのだ。彼自身、ホテルや安宿に泊るでなく、浮浪者として生活をはじめるの。内容自体は明るいタッチで描かれているが、その実かかれている内容は物凄い。都合2回の失踪とアルコール依存症による入院加療の事が描かれている。鬱病による自殺未遂から始り、突然の失踪、浮浪者生活、酒に溺れる毎日からの幻覚症状、そして入院して病院での生活を送る。タッチが明るいだけにその深刻な状況が読んでいて怖くなる。
勿論、書かれているのは、ほんの一部なのだが読んでいてその生活が鷹揚に理解できるもので、これがかなり辛い。作者も今になって漸く当時の事を振り返る勇気が出て書いたと他誌でコメントしているが、殆どカミングアウトに近いものがある。あずまが浮浪者生活をしていた事については、業界の人(編集者と漫画家)の多くは知っていたが、通常の読者にはあまり知らされていなかった。あたし自身知ったのは、2000年になってからだ。どのような生活を送っていたか、その状況については色々と噂はされていた。でも実際の所は当人も一部の人に明かしただけで、それも全容ではなかったらしい。それを公に自分のキャラで漫画にしたてたのには恐れ入る。恐らく内容は全体の半分程しか書かれていないと思うが、それでもかなりハードな内容である。2度目の浮浪者生活ではガス管工事の仕事を始めてしまったりと、とにかく凄まじいのだ。

実は漫画家の中には、このように業界から忽然と姿を消してしまう人は意外に多い。特にギャグ漫画家は命を削って仕事している、なんていう人も居るくらいだ。「消えた漫画家(講談社刊)」という本でその一例として、ちばあきお、ねこじる等が挙げられているが、彼らとある意味、同じ位置で、また、彼らとは違う意味で壮絶な生活を送っているのだ。

発売当初より、多くの著名人が絶賛し、発行部数も少なかった為、あたしが購入できたのは発売から1週間たってからで、既にその時第二刷。今店頭に置かれてるのは第九刷~十一刷という、物凄い売れ行きになっている。この「失踪日誌」の内容はまだ未完となっている。というのもアルコール依存症の闘病記が未完の状態である為だ。今後刊行される予定だそうだが、早く読んでみたいものだ。(現在、吾妻ひでおは「COMIC新現実」で「うつうつひでお日誌」を掲載中)
漫画を読まない人、漫画が苦手な人にも是非読んで欲しい。下手な小説読むより絶対に(言い方が悪いが)面白い筈だ。同時に、それは同じ悩みを持つ人への励ましのメッセージにも読める。

うーん・・・

2005年07月11日 19時42分33秒 | Weblog
大相撲名古屋場所が始まった。相変わらず朝青龍は強いようだ。多分、今場所も優勝するんじゃないかな?
で、今日話したいのは同じ相撲でも花田家のお家騒動だ。
簡単に言ってしまえば親の遺産相続問題でしかない。
ざっと、多くのニュース記事、報道、バラエティを見ていて判ったことはただひとつ、
「勝(若)はいい面の皮だよな。」
花田勝氏は今回の件で良い思いをした事は一度も無い。儀礼で考えれば喪主を務めるのは長男として当然だし、遺産の相続権がある限りは部屋、別荘、親方株、預金など保持していても何の問題も無い。たとえ、親方株を隠し持ったとしても、相続が確定すれば保持する側に権利がなくなれば不法所持となるので罪になっても利益を得る事は無い。
これに対して弟である貴乃花親方はマスコミを通して不快をコメントする。しかも”直接話し合いを持ちたい”だって。
○△じゃねぇの?
そんな事はマスコミを通して言う事ではないだろ。それこそ、自分で話し合いを持つように努力しろ、と言いたい。
実際の所はわからないが、欲望を剥き出しにしているのは貴乃花親方で、親の金をあてにしなくても十分に生活を営める花田勝氏は遺産相続を退いたという感じがあたしには強い。
この辺は二人が角界に入ったときもあたしは感じた。とにかく貪欲でお世辞にも自制心があるとは言いがたかった貴花田、常に弟の栄光の陰に隠れながらも堅実に道を切り開いた若花田、結局、角界で成功を収めたのは弟であるが、引退後、廃業してタレント活動を始めた花田勝氏は持ち前の愛嬌と人柄の良さから着実に人気を得つつ、相撲の面白さを相撲協会を離れた視点で伝えた功績はあたしは大きいと思っている。そんな彼を弟はどう見ているのか?確かに部屋を守っていくのは親方にとって大変な事であるが、親方の事を常に庇っていたのは兄の勝氏だったのも事実である。まぁ、勝氏だってマスコミには見せない一面もあるだろうけど、こればっかりは花田家の問題なのであたしらは傍観するしかない。
個人的にはあたしも長男って事があり、マスコミで見る限り、勝氏の性格に裏表を感じられないので、彼が芸能活動を休止する事が非常に残念ではある。逆に最近幕内の力士を排出出来ない貴乃花部屋には何の魅力も感じられない。かつての”名門”は見る影も無くなってしまった。

「ラスト・プレゼント」リメイク

2005年07月03日 23時15分00秒 | Weblog
先日、韓国映画「ラスト・プレゼント」のリメイクドラマが放送された。
これが、なんというか・・・物凄くボロボロだった。(ファンには悪いけど)
元の映画も他の韓流ドラマとほぼ同じソープドラマで、面白くはあるけど大絶賛するほどではなかったのだが、リメイクは更に酷い。配役は基本的にオリジナルと同じ、脚本も日本に合わせた形で多少変更があるが、ほぼ同じ、役者も堂本剛、菅野美穂を主役に充てて、まぁこれなら問題なさそうと思ったのだが、うーん、なんか変、オリジナルの良さが伝わらない。
そもそも、お笑いを求める上で、韓国と日本の質が違う事、日本のスタッフが本当にこの物語の内容を理解できていたのか疑問が残る。
韓国は基本的にアメリカと同じスタンダップ・コメディが主で、二人以上の場合はコントになる。日本の場合、コント以外に漫才という手法がある訳だが、実はその辺がお笑いを演技の中で吸収し切れてないように思った。オリジナルを見たときにコントが笑えなかったのは韓国の笑いのスタイルを自分があまり知らないからなんだけど、リメイクは日本のお笑いを知っているのにも関わらず、全く笑えなかった。
脚本が下手というのが大きいが、役者も理解が浅い。堂本剛は笑いの本場で個人で話せばかなり面白いのだけど、演技の中では中途半端な感じが異常に強かった。完全に”役の上でのお笑い芸人”なのだ。だから情熱が伝わってこない。感動が出来ない。菅野にしてもそうだった。彼女は演技が結構上手い役者だと思っている。でもその彼女がどうしても子供を育てた女性には見えなかった。なにか浮ついてる感じが否めない。
ラストは一番盛り上がる筈なのにあたしはそうならなかった。オリジナルでは夫が必死な姿を見せ、その姿を見て妻は幸福感を得る。リメイクも全く同じ演出なんだけどオリジナルのような感動が得られない。やっぱりこのドラマの本質的な部分を役者・スタッフともに理解できていないんじゃないかな、とそう思う。韓国でウケたから日本に持ってきてリメイク、そんな感覚があるんじゃないか?この辺があたしには思えてならない。
海外(アメリカ)のリメイクの場合、絶対にそういう事はしない。良くも悪くもマーケィングがしっかりしているから国民の気質、感情、人種、年齢、時間などといった、多くの用件に考慮してシナリオ、キャスティング、演出、撮影方法などを考える。例に挙げれば「Shall We ダンス?」がそうだ。基本的なシナリオは周防正行の脚本のままであるが、日本的な感情や考え方、家族感はすっかり除去されていた。しかし結果としてこの映画はオリジナルよりも確実にアメリカではウケたとおもう(オリジナルはディレクターズカット(本当に大幅カット)され公開されている)。マーケィングは決して良い事ばかりでは無い。監督や脚本の表現を大きくねじ曲げられることがあるし、役者の迫真の演技が否定される事もある。でも日本で、日本人に受け入れやすいようにするには「ラスト・プレゼント」は、もっとマーケィングをするべきだったと思う。相変わらずこの辺は日本の監督の下手な所だと思う。真似するのは本当に上手いのだけど、真似だけに終わってしまう。これをもっと発展させていかないと日本のリメイクドラマは失敗する確率が高いように思う。
なんかまた愚痴っぽくなっちゃたなぁ(笑)。