奥州亭三景の言いたい放題

あたくし、奥州亭三景が好き勝手な事を話すブログです。
暇と興味のある方は是非、ご覧ください。

豆知識

2006年01月30日 01時13分38秒 | Weblog
昨日、久々にスキーなんてものやってきた。
体力を考えると、フルは無理だろうと思ってお昼前に家を出発、自宅から車で1時間半もあればいけるので、丁度午後の2・3時間滑れりゃいいか、ってな具合。言った先は尾瀬岩倉スキー場。今年は冬期国体の開催があるので、一部が利用禁止なんだけど、(たしか、回転競技だったと思う)あたしが滑るのはそんな上級者のコースでは無いから良いか。
いやー、昨シーズンは全然滑れなかったから、ちょっと心配だったのだけど、なんとかなるもんですねぇ。今シーズン始めてと言う事もあって、初心者コースを中心に滑っていたのだけど、前より転ばなくなった(笑)。いや、脇でスキー教室なんか丁寧にやられているので思わず参加したくなるのだけど、こちとらアルペンではなくてテレマークだから、教えてもらう訳にもいかない(ちなみに滑り方は独学、あえて指導者といえそうなのはテレマークスキー教程(本)です)。でも結構あの姿勢って言うのは膝や腿にくるので不安はあったのだけど、3時間でリフトに20回以上乗ったから、十分に元もとれた(爆)。今度は友人と行こうか・・・あ、いや、奴らはスキーの上手い奴ら(青森、岩手、秋田、山形、宮城の出身ばかり)で、横倉の壁(蔵王の最大斜度43度のコース)を軽々こなす奴までいるからそれは厳しいか。

さて、タイトルの豆知識とは、スキーの道具を片付けている時に見つけたコミケで買った同人誌で、「豆知識予備校666」というものなのだけど、これはTBSラジオの人気番組のひとつ「伊集院光 深夜のバカ力」の中で1999年の1月からおよそ2年の間放送されていたコーナーに紹介された豆知識を載せた本だ。実はこの辺の基礎知識が伊集院光の蘊蓄王になる要因にもなっている。これが結構おもしろい。

飯島 豆知識
飯島直子の母親の名前は飯島愛子。惜しい。

アンパンマン 豆知識
アンパンマンの頭の中に入っているあんこは粒あん。

鉄道 豆知識
電車の無い佐渡島にも「みどりの窓口」はある

ムカデ 豆知識
百の足と書いて百足。中でも一番足の多いのはジムカデで360本

こんなネタが666個も入っている。基本的に普通に生活する人にとってはどうでも良い事だけど、これが結構面白い。でも読んでいたら、ちょっと気になったものがあった。

ポキポキ 豆知識
よく漫画に出てくる不良が喧嘩の前に指の関節を鳴らしているが、あのポキポキの音の出るメカニズムはいまだに解明されていない。

これは嘘。指を急激に深く曲げた時に指関節部にできる隙間に減圧が生じて関節中にある体液に気泡が発生する時に出る音(キャビテーション・ノイズ)である。

それから、温泉の定義について書いてある豆知識があるのだが、それには「日本では25度以上の湧き水」とあるがそれはかなり昔の話で、温泉成分が規定含有量含まれていれば低温でも日本では温泉と言われている。

まぁ、この豆知識というのは蘊蓄と同じで、説得力がなんとなくあって、いかにも知識らしければ良いという、ネタなのでOKなんだけどね。
こんな事しか、あたしは覚えないなぁ・・・

長い長いさんぽ

2006年01月24日 22時50分35秒 | Weblog
久々に東京へ出張だった。
で、帰りに列車の中で時間を持て余しそう(大体、2時間半かかる)だったので、駅の構内の本屋に寄って本を物色した(待ち時間も1時間程あった)。行きに1冊読んでしまっていたので、ちょっと厚さのある本にしようと思ったら面白そうなのが全然無い。田中芳樹の「隋唐伝」にしようかと思ったけど、よく考えたら家にハードカバーで全巻持ってるし、東野圭吾は読むに及ばず、菊池秀行の本が面白そうだったけど、途中の巻しか無く、同じ思いで獏さん(勿論、夢枕獏)の本も諦めた。で、考えた挙句、もっと気軽に読めるという点で良いかと思い、漫画を数冊物色する事になった。まぁ、2、3冊読めば眠気に誘われて、気が付いたら目的地って事になるかな、と
で、
「交響詩篇エウレカセブン 3」(片岡 人生+近藤 一馬:漫画、BONES:作、角川書店 )
「ブラック・ジャックNEO 1」(手塚治虫:原作、田口雅之:漫画、秋田書店 )
の2冊を見つけて買って帰ろうと思ってみたら、もう一冊見つけてしまった。
「長い長いさんぽ」(須藤真澄、エンターブレイン)
あたしが須藤真澄の漫画を読むようになったのは今から10年くらい前か、「おさんぽ大王」(エンターブレイン)の内容が面白くて読み始めた。そのうちにインディーズの映画「アクアリウム」の原作として名前を見つけ、須藤真澄の漫画にはまったのだが、幾つかの漫画を読んでいたときに家の猫がコマの片隅にかかれている虎縞の猫を見つけた。その猫の名前は、ゆず。これがこの漫画家の愛猫の名前だった。
須藤のゆずへの愛情はエッセー漫画「ゆず」(秋田書店)、「ゆずとまま」(竹書房)をご覧になると判る。オス猫なのに少々小柄で、少々やんちゃなゆずを、須藤が愛情を持って接するすがたというのは多くの愛猫家から絶賛されたらしい。そのゆずが亡くなったのは昨年の1月のことである。実はゆず君が亡くなった事は昨年の3月頃だったか、須藤のホームページの報告で知り、その愛猫家の程を漫画を通じて知っていたあたしは、もうゆずの漫画が読めないのか、と落胆していた。恐らく、彼女にゆずの亡くなった時の事を書く事は出来ないんじゃないかと思っていたから。
そうしたら、昨年の夏頃にはゆずの最後と須藤の行動を漫画化していたそうだ。それがこの「長い長いさんぽ」である。(他にも何本かの”ゆずの記録”が描かれている)あたしは本のタイトルを見た瞬間に全てを察した。
漫画は、ゆずのが亡くなって2日目の、焼き場までの最後の"さんぽ"から始まる。その途中で、ゆずの亡くなる数ヶ月前に気付いた異変と亡くなる数日前までの須藤の行動、そして死に目に会えなかった須藤の悲嘆が淡々と語られる。判っちゃいた筈なんだけど、泣けてきた。ゆず君は猫齢16歳、人間に換算すれは、かなりの高齢であったから。でも泣けた。それは長年漫画を通してゆず君を見ていた為か、はたまた、須藤の”死に目に会えなかった”という後悔に共感したからか。号泣とまではいかなかったが、端で見たら、いい歳のオヤジが、臆面もなく、漫画を読んで泣いているという姿は滑稽に見えたかもしれない。幸いにも列車は特急の指定席で、たまたま隣が空席だったので、気付いた人はいなかったが。
あたしの住まいは田舎なので、多くの動物を飼う経験をしてきた。生命の誕生も目の当たりにしたし、その死を看取った(間引き、も含めて)。その経験も泣けてきた一因かもしれない。
漫画はゆずを火葬にし、骨を持ち帰り、思い出の整理までを豊かに、細かく綴っている。ゆずの事を最後まで描ききる事がゆずにとっての供養のひとつになると須藤は考えたのかもしれない(漫画では須藤自身が”生きる”事が供養と表現している)。
ゆずの物語はこの漫画で終わりとなる。漫画を通してゆずを見てきた者としては少々悲しいが、もうひとつの希望が見えてきた。須藤はゆずの死後、2匹の子猫を飼い始めたからだ。この2匹がゆずの後継となってくれる事を願いたい。

どう考えたらいいのか・・・

2006年01月18日 02時43分47秒 | Weblog
あの事件が決着を見せようとしている。17年という年月はちょっと長すぎたように思う。被害にあった子供たちは本来であればもう大人社会の一員として暮らしているほどである。これに対して小泉は「死刑も当然」と話している。大方の見方もそうらしい。確かに4人の命を奪ったという事を考えれば妥当なのかもしれない。でもちょっと考えてしまう。国の首相が「死刑も当然」みたいな端的な発言だけで良いのだろうか。この事件に付いてはこの後に発生した猟奇殺人事件の発生源の様な言われ方もするが、本当にそうなのだろうか?
宮崎被告(まだ刑が確定してないから受刑者ではない)は人格障害を持っているようだが、判決ではこれを”性格的偏り”として、この人格障害を病気と認めていない。医学的にも人権保護の見地からも多重人格は病気と認められているのにも関わらずだ。勿論、日本の医学会でも、人格障害は病気として扱われているのにも関わらずだ。なぜこのような事が起きるかというと、日本では今までこのような事件が発生しなかった事が大きな理由なのだが、それ故に精神障害や人格障害に関する判例や法整備がされていない。それ以前にそういう病気に関するカウンセリング施設が不十分な状態である。アメリカではこのような事件に対して、カウンセリング処置を施す場合がある。ダニエル・キイスの小説として有名になったビリー・ミリガンは向精神薬の投与とカウンセリングから、24人居た人格を統合する方向に進めている。宮崎を殺すのは簡単であるが、医学発展の為にも協力させる道を選ばせても良いのではないかという気もするのだ。当然ながら遺族はそれでは納得しないだろう。でも、今後発生する恐れのある事件の予防策になるかもしれないし、同じ人格障害で苦しんでいる人の役に立つのでは無いかと思う。その為には先ず、法整備が重要になるのだが、この国の首相はそういう事に頭がまわらないらしい。同じ様な事件が再度発生した場合に備えるべきではないだおうか?


時代劇考

2006年01月16日 01時21分26秒 | Weblog
いやー、久々の書き込みだ。なんだか正月早々忙しくて人の書き込みには参加したが、自分の書き込みが全然出来ない。朝は5時に家を出て、夜は23時頃帰るというのを8日も繰り返してたら流石に堪えた。ようやくの休みとなったら、体が動かなくなった、歳だなぁ。

さて、koshiさんが正月に連荘で正月時代劇について書かれている。うーん、いつも思っては居たのだが、koshiさんは史実忠実派なんだろうな。たしかに「里見八犬伝」里見氏は清和源氏の流れなので引き両ですね。でも多分二つ両じゃなかったかな?一つ引きは確かに新田氏なんだけど、里見氏は足利氏と同じだったと思う。ま、そんな事はどうでも良くて、その辺の家紋についての考証がされていないのは確かにおかしい。いや、正直な事を言うと、かなり「里見八犬伝」は無茶苦茶だった。まぁ、馬琴のSFと考えれば許せるものも多いが、考証の間違いというのは実はかなり多い。
 時代劇についてはいつも思っている事がある。時代考証がされているのにも関わらず、おかしな点が多い事だ。一番分かりやすい話は、身長差ではないだろうか。例えば、一昨年の大河ドラマ「新撰組!」の主人公、近藤勇を演じた香取慎吾は身長が180cm以上(推定)あるが、実際の近藤勇は当時の文献等からの推測では168cmぐらいになる。単純に身長差で12cm以上あるわけだが、当時の平均身長(大体155cmらしい)を考えると大男だ。同じ様に、沖田総司、斉藤一といった新撰組でも、その腕が確かな隊士のは170cm前後あったと言われている、坂本龍馬は色々な説があるが、写真や現存する羽織等の寸法から推定すると171cmほどあったと思われる。では、ドラマもその身長に併せるべきなのか? 実はこれだけ長く前フリをしてるけど、ここで問題なのは身長差ではない。そもそも、今の平均身長から考えれば、香取慎吾は当時の大男だった近藤勇と同様に今の平均身長よりは大男になるからだ。あたしが問題にしたいのはセットや小道具だ。かつらや衣装は身長に併せて作るから良いがセットはそうはいかない。セットは基本的に実在の建物から計算して設計されるので大きさが大きく変わる事が無いのだ。実際、現代の平均身長から逆算すれば実際の建物より6~8%ぐらいは大きく作らなくてはいけない。当然ながら、刀も同様の筈だ、例えば近藤勇の愛用していたという、虎徹も刃渡で3~6cmぐらい、長く無くてはおかしい(近藤勇愛用の長曽根虎徹は全長で三尺五寸、刃渡が二尺三寸五分と言われている)。馬にしたって、江戸時代頃迄の馬は体高が130cm前後の在来種(道産子や木曽馬を思い出していただくと丁度良い)の筈だが、時代劇に出てくる殆どはサラブレッドやアラブなどの軽種である。人間の身長差から考えると、丁度良い大きさであるが、馬形が全然違ってくる。平安から江戸時代まで戦で使われた馬は、もっとずんぐりむっくりした感じの筈だ。「鵯越の逆落とし」で有名な一ノ谷の戦いは在来種であったから出来たのではないかと言われてもいる。(軽種の名誉の為に言うが、足場がしっかりしていれば軽種でも40度くらいの坂はおりられるそうだ。ちなみに在来種の岬馬(御崎馬)は50度くらいまでは余裕で下るらしい)
あと、相変わらず足軽の姿が間違ってる。足軽の意味は半足(わらじのかかとまで無い形の履物)を履いて飛び跳ねる様な歩き方をする事から来ている。見てたらみんな普通の草蛙だったりするけど、本来の足軽では裸足か半足で、足軽組頭や足軽大将になってはじめて草鞋がゆるされた筈だ。足軽まで草蛙が許される様になるのは江戸時代になってからだと言われている。
また、戦国時代の戦い方について、いつも言いたくなる事がある。「里見八犬伝」で、犬塚信乃扮する滝沢秀明が二刀流で華麗に殺陣を演じるが、戦国武将の中心武器は槍、長刀、棍、熊手等の長柄物の武器であり、刀は敵の首を切り落とす、相手のとどめをさす、または武器を無くした場合のセカンドウェポンであり、自決する為の道具である。つまり、戦場であれほど刀を振ると言う事は余程危ないときである。ちなみに信長は槍が上手かったと言われ、秀吉は長槍(足軽が持つ、2間程長さの槍)を好んで使ったそうな。他の武将も鎌槍、十文字槍、卍鎌などと呼ばれる槍の名手が多い。柴田勝家と羽柴秀吉の戦った、「静ヶ岳の合戦」で名を馳せた加藤清正ら7人の武将が「静ヶ岳の七本槍」と言われたのを考えると納得できるのではないだろうか。ちなみに「功名が辻」で蜂須賀小六(高山)がモルゲンステンの様なものを持っているが、日本で柄付きの分銅武具は鎖鎌と暗器(暗殺武器)以外に存在しない。但し、フレイルの様な武器は存在するが、これは籾殻を穀物から叩いて外す農具の発展した武具で両手で振るう道具で、モルゲンステンとは似ても似つかない、どちらかと言うと長めのヌンチャク(双節棍)といった印象だ。あえてモルゲンステンに似た武具というなら、鎖鎌か分銅鎖であるが、その末端の分銅の形状は筒型、ないし球形の分銅が使われ、分銅を当てる事よりも相手の行動を不自由にする事を前提としている。刀が主力の武器となったのは江戸時代になってからで、本格的に刀が主力兵器として使われたのは新撰組が登場する幕末まで待つ事になる。また、刀で人を切れるのは普通の侍で5人程度、達人でも15人が限度と言われる。人間の脂肪が刃に付いて切れなくなるからだ。映画「七人の侍」で雨の中の決戦を前に菊千代が無数の刀を土塁に刺して準備するが、本当に刀で戦おうとすると、あれが現実なのだ。幾つかの新撰組の記録の中で刀の研ぎと目釘の確認は毎日行ったというものがある。それだけ斬り合いが多いという事だ

はっきり言ってしまうけど、ここまで文句を言っているのはは完全にあたしの言いがかりである(爆)。あたしは時代劇は嫌いでない。だが、それ故に「時代を忠実に再現」とか、「完璧な時代考証」と詠う時代劇が嫌なのだ。たしかに「里見八犬伝」で犬士が刀を振るうのは馬琴の「南総里見八犬伝」に書かれている通りであるから仕方が無い。元々がファンタジーなのだから、幻術や妖術があったってそれは構わない。しかし、現代の流行りとは言え、見栄えだけの殺陣や海外の様なアクションは不要だと思う。わかばさんのブログの書き込みで馬琴が「水滸伝」をイメージされたと話されてるが、それが故に海外風のアクションというのがあたしには納得できないのだ。小文吾がヘンな合体式の棍棒を持っていたり(戦場であんな使い分けするくらいなら最初から一本で振るっていた方が確実に相手を仕留められる)、二刀流の刀の振い方が軽すぎたりするのもどうかと思う(タッキーの様な振り方だと、5分も戦闘に参加すると刀を振れなくなる)。確かに、ビジュアル的には良いのかもしれないけど、本格的な日本のファンタジー小説を映像化するなら、もっと違う見せ方も出来ると思う。どうせ壊すなら、角川映画の「里見八犬伝」くらい無茶苦茶にするべきだろう。

最後に「里見八犬伝」で脚本家の演出を疑ったシーンがある。小文吾が「ここは、ネズミ一匹通さねぇ」と言ったすぐ後に女郎蜘蛛(妙椿)がすんなりと門を通って行くシーン、こんなのギャグにしかならんよ。脚本として書くなら、この小文吾のシーンと蜘蛛のシーンの間を空けるべきだろう。演出も良くこんな本をすんなり受け入れたと思う。


新撰組!スペシャル

2006年01月02日 21時05分54秒 | Weblog
あけましておめでとうございます。

新年早々寝正月。
だって大晦日まで仕事だったんですよ。朝五時半に家を出て・・・
いや、それは構わないのですけどね。

さて、群馬は元旦はニューイヤー駅伝で国道17号と50号が交通規制を喰らうので、タイミングを間違えると偉い事になるので家を出ないのが無難な線ではある。
で、今日はテレビ三昧。正月番組をちらっと見て、あとは昨年から録りだめしているテレビ番組やDVDを見ていた。
晩になって隠し芸を見る訳でもなく、ハイビジョンで放送した「新撰組!土方歳三最後の1日」を見た。
大河ドラマの「新撰組!」は脚本が三谷幸喜と言う事でそれまでの大河ドラマのファンの一部には嫌われていた節がある。三谷幸喜の脚本は基本的にファルスの要素が強いから、民放のテレビドラマでそれを知っている人、東京サンシャインボーイズや、東京ヴォードヴィルショーの舞台等を見てる人にはそのイメージが強いのかもしれない。
また、正直な事を言うとあたしが新撰組のドラマや映画を真剣にみたのは他に無い。新撰組と言う存在を一時期否定していた時があるからだ。あたしが新撰組を偏った見方をしていた事に気付かせられたのは黒鉄ヒロシと、みなもと太郎のマンガだったのだが、実はこのあとに見た新撰組のドラマにはあまり共感が出来無かった。新撰組の格好良さだけが目立って、実像的な部分が見えないものが多かったからだ。ところが、三谷の脚本は違った。誇張も無くは無いが、かなり実像に近づけたんじゃないかと思う。今までのドラマで、近藤勇の口の大きさを見せるエピソードを描いたものは無かった。土方歳三の和歌好きを表に大きく出したものも無かった。また、今まで謎とされてきた、山南総長の切腹劇を三谷らしい解釈で描いた。三谷は、実像以上の個性を出してきたのではないかと思っている。
今回の正月ドラマはタイトルの通り、函館戦争での土方の亡くなる最後の1日を描く。細かい事は3日の総合での放送があるから書かないが、非常に面白かった。やはりそこには三谷の個性的な描き方がされている。基本的に三谷幸喜の良さは登場人物の
生き生きとした姿にある。今回も土方は勿論、総裁の榎本武揚、陸軍奉行の大鳥圭介、函館奉行の永井尚志、新撰組隊士の島田魁、尾関雅次郎、山野八十八など、実像が伝えられているものと違いが若干あるものの、ドラマに出てくる姿は、こんな人だったかもしれないと思わせる様に生き生きとしているのだ。
時代劇については実のところ書きたい事は沢山ある。敢えて今、時代劇をやろうとするならば、三谷の様な生き生きした人物像を描く事の方がより視聴者を楽しませてくれる様な気がする。