また野村監督の著書です。他の著書でも、自身が強かった巨人を手本にし、目標にしてやってきたということはたびたび発言していますが、この著書のタイトルは何の衒いもなくドンズバで巨人論です。
それにしても、先日書いたメタ認知の話(自分自身の考え方などを客観的に見ることが出来ること)で言えば、野村監督はまさにこのメタ認知に非常に長けた人です。もちろん、才能もなく600本以上のホームランは打てないと思いますが、本人が言うように無名高校からテスト入団し、努力だけでは2割5分、20本が限界であった能力を、頭を使って考えることで、3割、40本まで伸ばしたというのもあながち大袈裟な話ではないと思います(それだけ自分自身を客観的に見て、分析して、自分の地位を築いてきたということです)。
それに対して、長嶋監督はまったくメタ認知はないと思います。自分自身を顧みることなく、ただ本能の赴くまま行動する動物的勘の人でした。天才と言われる所以です。王さんは長嶋さんと対照的ですから、自分を客観的に見られるかと思いきや、王さんは自分の道をひたすら猛進
し、それが本人にとっては普通で、他の人からみたらどれだけすごいことなのか気づいていなかった節があります(野村監督は王さんの練習を見てこれは敵わないと思ったそうです)。従って、自分に出来ることが他の人も同じように出来るわけではないという単純なことに気づくまでに(監督として成功するまでに)長い時間を要したのだと思います。
組織とは
しかし、この二人の野球の能力は日本のプロ野球史の中でも突出しており、その二人が長くコンビを組んだという奇跡に加え、川上監督の下、それまでの日本にはなかった「考える」野球を導入したことが巨人の強さであり、その巨人の野球が野村監督の野球のお手本であったといいます。今では常識の様々なサインプレーもそうですし、チーム編成にしても、ここ数年の巨人のようにやたらと四番ばかりを集めるのではなく、王・長嶋の前には出塁率が高く、犠打・進塁打が出来る柴田・土井、王・長嶋の後には勝負強い末次や、黒江・高田と再度つないでいく選手を配するなど、「チーム力」を最大限に発揮する「打線」が野村監督のチーム作りの原点になっているそうです。そして、組織には中心となる四番とエースがいなければいけないとの野村監督の信念も巨人の中にあります。そして、四番や、エースは、単に一番打つ人、一番勝つ人ではなく、チームの鑑になる選手でなければいけないということです。一番打つ人、一番勝つ人が、模範となるような行動をしてこそチームが引き締まるのです。
人間とは
そして、そういう四番、エースに育てるために必要なのが、「人間教育」だとして、野村監督はそれを行った川上監督に敬意を表しています。プロ野球選手が見て上がってしまうほどの存在だったONですから、普通は好きにさせてしまうところですが、川上監督はONといえども特別扱いはせず、ONもそれに応えて誰よりも練習し、誰よりもファンを大切にし、誰に対しても礼儀正しく接したのです。こういうチームが強くならないわけがありません。私も同感ですが、清原選手はこうした人間教育がなされず甘やかされてしまった典型で、あれだけの才能を使いきれなかったと言っています。こうしたことから、野村監督はプロ野球選手である前に、人間としての礼儀やマナーに非常に厳しく、たとえ能力があっても、こうした常識を欠いた選手は評価しないですね。
そして、伝統
こういうことがチームの強さを生み、勝ち続けることが伝統を作ると言います。何だかんだ言っても勝てない弱いチームでは、どんなに歴史があっても伝統にならないと。巨人は長いこと、こうした指導者育成も含めた組織づくり、人間教育、伝統が培われてきたのに、ここのところそれが失われているのではないかと懸念を表明しています。一方でそれは、日本の野球をリードし、伝統を築いた巨人が圧倒的な人気で巨人偏重の歪んだ構造になっていた球界の均一化したというプラス面ももたらしたと評価もしています。
大切なのは、巨人がどうかということではなく、これまで巨人が担ってきたような組織づくり、人間づくり、伝統づくりが、いろんなチームで行われることでしょう。ただし、残念ながら、球団の方針のなさ、指導者育成の仕組みのなさなどいろんな問題がありますが、こうしたかつての「巨人の強さ」を受け継ぐ指導者が少ないのが気がかりです。落合監督くらいではないかと思います。また、本家巨人がようやく育成回帰しているので、原監督にも期待したいですね。