プラスアルファ

今の日本はおかしい。
規制緩和して日本を売るつもり?
不安な思いをウダウダ書き散らす日記

見ず知らずの人を思いやること、デキル?

2012年09月20日 12時24分30秒 | 辛辣うだうだ放題

先日、夕方のニュースショーを見てたら
電車の中でベビーカ―はどうあるべきか? みたいなことをやってた。
首都圏の話なんだろうけど。

へぇ、電車の中で折りたたまずに乗れるんだ…
良い世の中になったね。
Mの時なんて……と、自分の若かりし頃のことを思い出すと、
文句しか出てこないけどさ…。

ただ、バスはそんなワケにいかない。
折りたたまないとまず乗れないし。

で、今日のウダウダは、めっちゃんこウダるつもりなので長くなる。
しかも、いつも通り問題はひとつじゃないんで、
ホント、毎度のことながら混乱するんだけどさ。
ウダウダ日記なもんで悪しからず。
最後まで読んでくれる人って、かなり辛抱強いお方ですわぁ。
敬服いたします。
と、前置きが既に長い。

先日、病院帰りにバスに乗った時、
疲れてたMは空席を見つけ、しっかり座ってうっかり爆睡してた……

ふと気付くと、斜め前にお爺ちゃんと思しき男性がヨボ…ってカンジで立ってた。
おぉ、これはいかん! と、寝ぼけアタマで思って
つい口から出た言葉が「ここ座ります?」だった。
するとそのお爺さんは、Mの顔を見て「…いや、…いいです」と言った。
Mは「? いいの?」と言うと、「いいです」と。

てか、そのやりとりをしてる間に、Mのアタマがやっと動きだし、
あ……、こりゃダメじゃん。
人に席を譲るのに、自分が座ったまま「座ります?」って聞いたって、
「はいはい、座ります」なんて言わないよ。
ありゃ……、やっちまった……。

そう思って、前方を見ると
沢山の荷物を持った、1歳くらいの子供を抱っこしてるお母さんがいた。
うぅぅ……、座らせてあげたい。

でもさ、ついさっき爺ちゃんに断られて(←断らせたのか…)
その若いお母さんに声をかけにいったとき、
そのお爺さんが、席が開いたと思って座ったら困る……

しかも、その若いお母さんにまで断られたら、
また? ってカンジでかなり恥ずかしいよ?
Mの目的地はまだまだ先なのに、バスに乗っていられずに降りなきゃならない。
もう、葛藤しましたですよぉ。
そう思って、声をかけるのは断念した。

難しいね。
言葉と行動はピッタリ一致してないと、相手にわかっちゃうんだ。
頭の中では、座らせてあげたい。
でも、自分は疲れてたから座っていたいってのが
潜在的にあって、立てなかったんだと思う。
それがそのお爺さんに伝わったのね。
だったら、声かけなきゃいいんだろうけど、
それでも体が辛い人は「いいんですか?」って言って座るはずだから、
声をかけたほうがいいとは思ってるんだけど……。

だけどさ、断られたら気まずいよね。

席を譲るってケッコー勇気がいるのよ。Mでさえも。

てかね、
Mは葛藤するけど、他の人はどうなんだろう? って思った。
お爺さんの前には、若い男が座ってた。
若い男は音楽を聞いて自分の世界だった。
子供を抱っこしてる前には、60過ぎくらいのおばちゃんが座ってた。
ジロジロ見るだけ見て、当たり前の顔で座ってた。

そんなもんかい?

ま、その年代の女性はMと同じで、
「あの頃」は、もっと切なかったからね。
アンタも我慢しなさいって思ってたのかもしれない。
女同士って、ケッコー残酷だし。
嫁、姑みたいな感じ??
当たり前って思ってたら、席は譲ってくれないやね。

でも、トシをとったら足腰が弱くなって立っていられないってのは、
経験しないと分らない。
Mは、リウマチになったとき、自分の足で立てなくなったことがあって、
その辛さはトシをとる前に経験しちゃったからワカル話であって、
若い人には殆ど分らない……と思う。

分る人は、思いやりの気持ちを持ってる人とか、
想像力のある人だね。
Mは、自分がそうなる前までわからなかったから、
鈍感だったし、想像力もしなかったし、思いやりもなかったのよね。

そう言う意味では、
リウマチになったのはMを少しだけ成長させてくれたのねと、
なんて自分本位に前向きなのかちらん……。

で、ベビーカ―の話に戻るんだけど、
赤ちゃんを連れて歩くのは大変だったですよ。
Mのバヤイは、子供らが10歳近く離れてたから
それぞれが一人っ子みたいで、違う意味で大変だったけど、
年の近い子どもがいるお母さんは大変。

2人分の子ども用荷物がハンパない。
その重量もすごい。
母は強くならざるをえないよね。

「ワタシ、弱いの」なんてメソメソしていられないし。

ただ、ベビーカ―を盾にして歩くヤンキーみたいな母親は
めっちゃムカつく。
まるで白い杖みたいな感覚でベビーカ―を利用してない?
歩道の切れ目なんて、ものすごくコワい。
駐車場から車が出て来ても、平気でベビーカ―を突き出すの。
ビックリだよ。
何かあったとき赤ちゃんが危険なのに、そこを考えてない。
……いや、考えてやってたらスゴイことだ。

混んでいる歩道でも、ベビーカ―で人を蹴散らす。
そんな場面も、最近はよく見る光景。
……ムカつく。

そんな輩がいるから、ホント……困る。

この時点で、子どもを育ててるという意識がないんじゃないかなぁ。

ま、そんな人間ばかりじゃないけど、
そういう人がいるから、他の人が迷惑するんだよね。

で、また話は戻るけど、ニュースショーの話。
ベビーカ―ごと電車に乗れるっていうことに賛否両論だとか。

で、コメンテーターが言うことには
「混んでいる時は避けたほうがいいですね」と。

そりゃそうだ。
誰も好き好んで、赤ちゃん連れて混んでいる場所に行きたいとは思わない。
やむにやまれぬ事情があるから、その時間そこにいるんだよね。
理由が分れば許すのかな?
てか、そもそも許すってのもへんか。
何の権利があるのよ? ってことだよね。

確かにラッシュになる前とか後とか、
そんな時間帯で移動できれば良いに決まってるのよ。

でも、できない場合は、周囲の理解が必要になる。
そこでベビーカ―のお母さんが
「仕方ないでしょうが!」って、当然のような顔してるとムカつくし、
周りの客が
「邪魔くさい!」って、これまた当然のことを言っちゃうとカナシイ。

難しいね。
……って、思うけど、
これこそが、思いやりとか慮ることが必要なんだよね。

時間に追われて、お金に追われて、心に余裕がなくなっちゃった。

で、思った。

これだけ人を思う余裕がないってことは、
人の考えが読めなくなってるってことだ……と。

そこでロクでもないものを開発。

電言盤。←でんごんばんんんん~~←ドラえもんの声で。

これは、頭に電飾をつけて
「私は今、こんな状態です」ってのを分り易く発信するの。
ホラ、今流行りのスマホで打ちこむ。
まぁ、別にスマホじゃなくてもいいけど。

例えば電車の中で。

『赤ちゃんが重たいので、どなたか、席を譲ってください』
『腰が痛くて立っていられないので、席を譲ってください』
なんてね。

で、座ってるほうも、
すぐ立ち上がって「どうぞ」と。

譲れない人は、
『寝不足なので少し仮眠させてください』
『足が痛くて立っていられないの。ごめんね』
なぁ~~んてね。

あ、夫婦喧嘩の時に使うと面白いかも。
かなりの冷戦になりそう。
いや、違うかな。逆に激こうして、
ひと言も喋らずに、いきなり包丁を持ち出したりしたら……コワい。

今の世の中、電車の中でケータイばかり見てる人が
こういうものを重宝しそう。

それだけコミュニケーションもなくなったし、
まるきり知らない隣に居る人のことを思いやらなくなったし、
慮るっていう言葉自体、どっかにいっちゃった。

こんなものが出てきたら、余計世の中おかしくなるね。
人間である意味がなくなるし。

で、昔ベビーカ―で子どもを移動させるとき、
アチコチの段差ですごく苦労した。
今は少しは改善されたけど、あまり変わってないね。
健常者に都合よくつくられた街づくり。

てか、最近、白い杖の人とか、車いすの人にあわない。

あ、Mがバスで移動してるからかなぁ。
あまりバスには乗らないみたい……だし。

みんなどこにいるんだろう??

老人をいたわりましょう。
困ってる人に声をかけましょう。
昔、こんなキャッチフレーズあった気がスルけど……。

こんな当たり前のことが出来なくなったのは、
それにかこつけて、変なことをする輩が増えたってのもあるんだよね。

そうやって、どんどんコミュニケーションが取りにくい世の中になって……
遠くにいる誰かとメールでコミュニケーションをとって、
隣にいる知らない人のことは無関心。

それが普通になっていくのかな。

こうやって書いてるMだって、
余裕のない時は他人にかまってられないもんね。

近くにいる見ず知らずの人を思いやるって、
ものすごいことだと思う。

震災のときのあの流れとは違った、
もっと個人的なことだから、
とっても難しいのよね。

Mは、難しいなぁって思いながらも
余裕のある時は積極的に……って思ってる。
余計なお世話だったりする場合もあるから、
これまた失礼だったりすることもあるだろうけど、
それはそれでもう仕方ない。

自己満足でもいいではないか。
……と、思うしかないのよさ。

だってね、困ってるときに声かけてもらったら……

嬉しいよ。


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