お正月を迎えるために年末には大掃除をし、一生懸命におせち料理を作る。
そして、清々しい気持ちで元旦を迎える。
なんだか正しい日本人の気分。
でも、年々この行事が面倒になってきた。子どものためには、この厳かな習慣は残しておいてあげたい… そうは思っても何かが変だ。
そう、昔と今では環境が大幅に変わってしまったから。
Mの子ども時代を思い出してみると、大晦日からお正月の三が日は、外に出ても人がいなかった記憶がある。もちろん、近くの神社やお寺には参拝者がいたが、家の周りは静かだった。
ところが、今では元旦早々デパートやスーパーが営業している!
あのエコロジーを全面に出しているスーパーまでもが…。
(エコロジーを全面に出していながら、普段でも深夜まで営業して電力の無駄遣いしていない? エコだなんて、ただ大衆ウケを狙ってるだけなんだろうな。)
だから、おせち料理?意味ないじゃん!!
…と、作るのが面倒だと思っている私のような人間は、いくらでもスーパーのせいにできるのだ。「1日もお店が開いてるから夕食の材料を買いに行けるよ。」
「朝から営業してるから大丈夫だってば。」「 日付が変わるだけなのに、何日も前から忙しい思いをしておせち料理なんか作る意味ないって!」という屁理屈を並べられる。
え? 年末恒例の大掃除? 毎日掃除しているから必要ないし…。そうでなくても年末は仕事が立て込むんだからやめようよ…。
え? おせち料理? どうせ作ってもすぐ飽きるんだし…。買えば高いくせに食べるものが何もないんだよね…。かまぼこなんかを買っておけばいいんじゃない?
そうして年々、正月という行事が縮小されていく我が家だった。
どっちにしてもM家では去年父が亡くなったので、今年は大手を振ってお正月をする必要はない。こんな時に父へ感謝をする親不孝な娘もいないだろうな……。
しかし、どんなにお正月を縮小しても、お年玉だけは許してもらえそうもない。もちろん子どもらは「くれ」とは言わないが、静かなプレッシャーをヒシヒシと感じる……。
そういえば子どものころに貰ったお年玉。早く使ってみたくてお店に駆けて行ったが、今みたいに元旦から開いているはずもなく、ガッカリして家に帰った記憶がある。お年玉を貰った今の子供の気持ちとしては、元旦から開いてて良かった…といったところだろうか。でも、親なら子どもに教えたい…。「元旦からお金を使うんじゃないよ。」なんて。
大人も元旦からわざわざ大型スーパーに行って、福袋を担いでニコニコしてるけど、まんまと商戦に乗っかっちゃって…。ご苦労様です。
それにしてもデパート関係、スーパー関係にお勤めの皆様…元旦からのご出勤お疲れさまでした。なんだか変な世の中になっちゃいましたね。お正月さえ家族揃ってゆっくりできずに、いつ家族の団欒ができるのだろう。 デパートやスーパーの経営陣は他社に出し抜かれまいとして必死なんだろうけど、社会の歪みを増長させていることに気付くべきじゃないのかな。そりゃ確かに景気には貢献しているんだろうけど…でも、何かが違わないか?
便利の陰に隠した落とし穴。