比良探検隊閑話

琵琶湖をのぞむ比良山系の主峰 武奈ヶ岳を中心とした山行記録「比良探検隊」番外編。

何故、単独行か? ・・・「クライマーズ・ハイ」の中に!

2007-06-21 | よもやま話
以前、「何故、単独行か?」というタイトルで、想いを述べましたが、それ以後も、ずっと、言葉にできない「何故」を考え続けてきました。


最近、読んだ本や、Webの記事の中に、近いものを感じました。「そう、そんな感じ」というものを。

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『クライマーズ・ハイ』  横山秀夫:著

「ただ、山を歩いているだけだった。次第に足が重くなり、なのに心はほぐれていく。

・・・無心。それこそが霧を晴らす瞬間なのだと気づいていた。」



【主人公の悠木が山にのめり込んでいく。】
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横山秀夫氏は「半落ち」、「動機」、「出口のない海」など多数の著作があるが、なかでも、著者が上毛新聞で記者をしていたときに起こった御巣鷹山の日航機墜落事故を題材に書かれた『クライマーズ・ハイ』は、最高の一冊といえる。NHKでもドラマ化され、佐藤浩市、大森南朋が好演している。このとき、大森南朋という役者がとても気になっていたが、やはり、NHKで放映された「ハゲタカ」でも話題になった。

この台詞を読んだ時、「これだっ!」と思い、何度も前後を読み返した。


また、梶谷洋一氏がNIKKEI NETの「山を歩く喜び」で、

「そして、何より、単独で歩いているときの至福感。それはどういう状態かと言いますと、体が自在に動いてしまうのです。その代わり頭はからっぽ。何にも考えていません。」

と書いている。私の場合、「体が自在」には動かないが、「頭は、からっぽ。何もかんがえていません。」が心に留まった。まさに「無心」ということではないか!

キーワードは、「無心」、「頭はからっぽ」、「心はほぐれ」、「霧を晴らす」。
ということだろうか。

私も「クライマーズ・ハイ」の悠木同様、「霧を晴らす瞬間なのだと気づいていた」のかも知れない。

・・・果たしてこれが「何故」の答えなのか!


『北壁に舞う』(長谷川恒男:著)、『艶歌』(星野哲郎:詩)

2007-06-13 | よもやま話
『北壁に舞う』(長谷川恒男:著)

・山は何もしない。登れないというのは、人間が自分に負けたことに過ぎない。

・山との勝負に勝つには、自分の技術を磨かなければならない。そう思うと私は絶対にトップで登れる技術、精神力、体力を身につけなければならないと思った。

・勇気とは自分の中にある可能性を引き出し、困難に打ち勝とうとする自分自身の戦いであり、客観的に自然と自分とを見きわめ、その中で徹底的に努力していこうとする姿勢である。危険を察知し、その中に自己の持っている可能性を見いだし、危険から身を守ろうとする努力が勇気ではあるまいか。

・人生とは何だろう。より多くの困難や危険をのりこえて、生きぬく勇気のつみ重ねかもしれない。ひとつひとつの奮い立つ勇気は、弱い自分が肉体と精神と技術と愛情を限界まで高めた時、はじめて生まれるものだと思う。

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『艶歌』(星野哲郎:詩)

・泣いてたまるか、泣くのはシャクだ。
 泣けば喜ぶヤツばかり。