比良探検隊閑話

琵琶湖をのぞむ比良山系の主峰 武奈ヶ岳を中心とした山行記録「比良探検隊」番外編。

サンタのプレゼント: 足腰ボロボロでも1点取れたぜ!

2006-12-25 | よもやま話
今日は、足腰ボロボロ。歩くのがやっとで会社まで行った。

昨日(12/24)、少年の参加するサッカークラブで、親子で参加するクリスマスの企画があり、それに行ったからだ。

最近、山にも行けず、日頃から走っていないので、めちゃくちゃ不安であった。


最初は調子よかったが、ものの30分もしないうちに、足があがらず、顎が上がる。

4チームに分かれ、ドリブルやリフティング。そのうえ、ダッシュあり。

おいおい、ここ数年、走ったこともないのにいきなりダッシュかよ。

だが、4チームの競争ともなると、ついつい一生懸命走ってしまう。少年の手前もあるし。


最後は、5チームに別れ、ミニゲームだ。

親子が組んで行う練習の際、一番とろかったので、罰ゲームまでやらされてしまった。
ここは何とか、挽回せねばと気合が入いる。

運良く、ゴール正面での豪快な(?)シュートが決まり、1点ゲット。
他にも惜しい場面もあったが、とりあえず、1点入れられたのでよしとしよう。

これで何とか、面目を保つことができたぜ・・・(たぶん!)



帰りの車の中、少年は何を想っていたのか・・・

もう、君の相手にはなれそうにないな。以前は俺が教えていたのに。
今では「一緒に、やらせてもらっている」といったほうがよいくらいだ。

一緒にやるのもこれが最後かな・・・

今日の1点は、少年との思い出をつくるために、サンタがくれたプレゼントに違いない。

見沼くらしっく館主催 「お米物語2006」最終章【餅つき】編

2006-12-16 | お米物語
天気はイマイチ。
今日は見沼くらしっく館主催「お米物語」の最後を飾る「餅つき」だ。

といっても「お米物語」は春頃申し込みを受け付け、「田植え」から「脱穀」まで体験できる"定員制"だが、「餅つき」は申し込みなしで、誰でも参加できる。その上、つきたての餅が振る舞われるのであるから、いう事なし!

昨年同様、入り口でつきたてお餅の引換券をもらう。

全部で4個、もらえるが「きなこ餅」と「からみ餅」の組み合わせは自由だ。
4つも食べると、結構お腹にたまる。

10時30分ごろ到着したが、すでに餅つきは始まっていた。
旧坂東家(解説は「注連縄(しめ縄)作り、体験! 見沼くらしっく館2006」 参照)の「かまど」はフル回転。何段にも重ねられた「せいろ」にもち米が蒸しあがっている。

臼は2つ。大人がついて、ほぼ完成したら小さい杵で子供たちに搗(つ)かせてくれる。

庭の隅ではどこかの「おはやし」が太鼓や笛を吹いて盛り上げる。

今年も終わるな~という感じ。見沼くらしっく館には去年に引き続きお世話になった。ありがとう。


・・・来週はクリスマスか~



【旧坂東家の「かまど」は大活躍!】


【餅をつく子供。楽しそう】



【お供え用を作らねば・・・】



【お供え用完成!】(注)お供え餅は一般の参加者がもらうことはできません。



【ぴーひゃら、ぴーひゃら。】



【きなこ餅とからみ餅。つきたてはうまいよ!】(注)写真は8個+8個。4人分です。



【親子そろって、旧坂東家の中でお餅を食す】



【旧坂東家の北側にそびえる屋敷林。防風林としての役割か!】

大宮氷川神社:大湯祭 十日市(とおかまち)に行く!

2006-12-10 | よもやま話
昨日は冷たい雨であったが、今日は朝から晴れている。

12月10日は、旧大宮市のビッグイベント、氷川神社の大湯祭、十日市(とおかまち)の日だ。私が子供のころは学校も半休になるくらいの大宮の重要行事。
子供ながらに、年の瀬を感じる楽しいイベントであった。

日曜ということもあり、久しぶりに昼からチャリと電車で出かけることにした。
生まれ育った実家からは歩いて行けたのに。。。

相変らず、氷川参道には屋台が立ち並び人でいっぱいである。


【氷川神社について】
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氷川神社は、社記によると代五代孝昭天皇の三年四月未の日の創立と伝えられる。

当神社は、古くから歴朝や武将の尊崇をあつめた由緒ある大社としてその歴史を誇っており、「大宮」の地名もこの氷川神社に由来することは衆知のとおりである。

古くは景行天皇のとき、日本武尊が東征のおり当地に足をとめて祈願され、また成務天皇のとき、武蔵国造となった兄多毛比命が出雲族を引きつれてこの地に移住、氷川神社を奉崇したと伝えられる。その後、聖武天皇(七二四~四九年)のとき「武蔵国一の宮」と定められ、ついで称徳天皇の天平神護二年(七六六)には、朝廷から武蔵国では当社だけに封戸(三戸)が寄進された。さらに醍醐天皇の延長五年(九二七)の「延喜式神明帳」には、名神大社として破格の月次新嘗の社格が与えられている。

 このほか、鎌倉時代には、治承四年(一一八〇)に源頼朝によって社殿の再建と社領三千貫が寄進されたといわれ、足利、北条氏も相次いで尊仰した。その後、江戸時代の慶長九年(一六〇四)には、徳川氏より社領三百石が寄進され、また、文禄五年(一五九六)と寛文七年(一六六七)には社頭の整備と社殿の造営が行われている。

 その後、明治元年(一八六八)東京遷都に際し、当社を武蔵国の総鎮守「勅祭の社」と定められ、明治天皇みずから親拝になった。同四年官幣大社となり、同十五年に本殿・拝殿などを改造し、さらに昭和十五年に本殿・拝殿・回廊などを造り変え、現在の景観となっている。

 祭神は須佐之男命・稲田姫命・大己貴命。
 例大祭は八月一日。そのほか神事の中で特に有名なのが十二月十日の大湯祭である。
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【十日市といえば熊手・奥に見えるのが氷川神社 楼門】



【熊手:こんなところでしか見かけなくなってしまった】



【いくらするのか、巨大熊手】



【景気よく、いくつかの熊手には売約済の札も貼られていた】



【氷川神社 楼門:ここまで来ると混雑も緩和される。七五三のお参りをしている家族もいた。】



【もちろん、昔はなかった、二之鳥居近くの大宮アルディージャ:オレンジスクエア】
※昔はこのあたりに「氷川だんご」屋があった。ここの「酒まんじゅう」もうまい!
 今は、二之鳥居と三之鳥居の間に移転している。

注連縄(しめ縄)作り、体験! 見沼くらしっく館2006

2006-12-09 | よもやま話

冷たい雨が降っている。

昨年に続き、いつもの見沼くらしっく館で「注連縄(しめ縄)作り」を体験。
正月、玄関に飾るためだ。

作り方は昨年の記録(2005年12月10日)をご覧下さい。

今年は、綺麗なわらが手に入って、指導された方も驚いていた。

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ここで、見沼くらしっく館について、パンプレットより紹介します。


『旧坂東家 見沼くらしっく館』

旧坂東家住宅見沼くらしっく館は、旧坂東家住宅を中心に、かつての農家のすがたを再現しています。
敷地の北側一帯は屋敷林から続く見沼の斜面林が、東側には加田屋新田が広がり、四季の変化も身近に感じ取る事ができます。


『旧坂東家住宅』

加田屋新田を開発した坂東家の旧宅をほぼ同位置に復元したもので、木造平屋、寄棟、茅葺の建物。床面積87坪(約286m2)を持つ大きな居宅で、建築年代は解体時に発見された墨書銘から、安政4年(1857)に建てられた事が判明しています。

坂東家は、紀州(和歌山県)の出身で江戸に住む商人でした。この地の新田開発は江戸時代の初めから坂東家により行われていましたが、現在の田は享保13年(1728)の見沼代用水の完成にあわせ開かれ、屋号の「加田屋」により加田屋新田と名づけられました。以来坂東家は、長く見沼代用水の見回り役や、この地の名主等をつとめました。

さいたま市指定有形文化財
平成3年10月3日指定
平成8年3月15日復元工事竣工

※式台をもつ格式の高い住宅
 住宅解体後の発掘調査で、土瓶に入った一分銀400枚(百両相当)が「ざしき」押し入れ下の土中から見つかりました。これらは現在、見沼くらしっく館で公開しています。



【雨が降っているため、坂東家の中で、注連縄(しめ縄)作りの指導を受ける】


【制作後、神棚に飾る】


【手作り凧】


【季節感漂うくらしっく館】

観戦:浦和レッズ 2006年 Jリーグ優勝! @ 埼玉スタジアム2002

2006-12-03 | サッカー
夏真っ盛りの暑い7月、大宮アルシェのチケットピアに並ぶ。

12月2日、埼玉スタジアムで行われる、J1リーグ最終戦の浦和レッズ対ガンバ大阪戦のチケットを買うためだ。

思い切ってS席を買いたかったが、私の番が来たときには既に売り切れ。
かろうじて、SA席を購入。バックアッパーの前の方、中央ややホーム寄り。
ホーム寄りといっても、ここではゴール裏の一部がアウェイ側の応援席となり、それ以外はすべて、レッズの応援席になってしまう。

あれから、4ヶ月以上経つ。大事なチケットを握り締め、いざ、埼玉スタジアムへ。

埼玉スタジアムでレッズ戦を何度か見ているが、入場者数 62,241人は初めてだ。
最終戦で優勝が決まる。試合前から応援団のボルテージは上がりっぱなし。

試合は、1点ガンバに先制されたものの、ポンテ、そしてワシントンが2発決め、結局、3対2で浦和レッズが勝ち、2006年のJ1リーグの優勝も決めた。

試合後は、表彰式があり、選手たちもスタンドを一周。もちろん、みんな帰らない。空席は、ガンバの応援席のみ。

しかし、優勝するだけあって、今年の浦和レッズの選手は充実している。

なんせ、田中達也、永井、あの小野伸二も先発できず、控えにまわっている。

監督のブッフバルトは今年で退くらしいが、来年以降もこの勢いは続きそうだ。

もっとも、このチケット。「恒様(ガンバ大阪:宮本選手)」を目の前で見たいということで買わされたものだが。。。


【Jリーグ最多の入場者数とのこと】



【浦和レッズ応援団】



【浦和レッズ:応援団のボルテージも上がる】



【ゴール裏のガンバ大阪応援団(右奥)がんばってました】



【バックスタンド:試合前の巨大エンブレムの下はこんな感じ】



【真っ赤な浦和レッズの応援】



【毎試合こっている浦和レッズの応援】



【2階席の端までレッズファンでビッシリ!】



【メインスタンドも最上部まで浦和レッズファンでいっぱい!】



【試合が終わっても、表彰式に酔いしれる浦和レッズ応援団】



【ファンに応える浦和レッズ選手たち】



【ファンの声援に応える浦和レッズ:ブッフバルト監督】



【ファンの声援に応える浦和レッズ:鈴木選手】


【来年も勢いが続きそうな浦和レッズ】