比良探検隊閑話

琵琶湖をのぞむ比良山系の主峰 武奈ヶ岳を中心とした山行記録「比良探検隊」番外編。

冬の伊吹山 絶景 雪景色  スノーシューはどうした!

2005-12-21 | その他の関西の山
2004年2月28日
冬の伊吹山の山行記録「冬の伊吹山 絶景 雪景色」を「比良探検隊」にUPしました。

あまりの美しさに写真をたくさん載せたので、重いかもしれませんが、絶景です。

ところで、今年の年頭に活躍したMSRのスノーシューは、いまは物置の中。
このところ、日本海側は大雪とのこと。履きたい、履いて歩きたい。そう、もちろん、比良を。八雲が原あたり、あるいは、武奈ヶ岳・西南稜を!

あぁ~、スノーシューを履いて、雪山を闊歩している人がうらやましい・・・

「お米物語」最終章 見沼くらしっく館で餅つき!

2005-12-17 | よもやま話
今日もよい天気。
田植えから始まった「お米物語」も今日の”餅つき”で最後となった。
入り口で整理券を渡され、それと引き換えで、つき立てもお餅(きな粉餅・からみ餅)がもらえる。しかも、一人4つなので、食べごたえがある。

先週(10日)もこの見沼くらしっく館で”注連縄(しめ縄)作り”を体験した。
いつも、楽しい企画をありがとう。

今年も暮れるな~


大根は先週にくらべ、だいぶ、しなっとなりました。


注連縄(しめ縄)作り、体験! 見沼くらしっく館。

2005-12-10 | よもやま話
今日はよい天気。12月10日といえば、武蔵一の宮「氷川神社」の大湯祭、通称”十日市(とおかまち) ”だ。私が子供のころは学校が半日授業となったくらいで、大宮ではかなり、メジャーな行事である。もっとも、子供のころは”夜店”に行くのがうれしかっただけだが。
今と違って、子供の楽しみは少なかったので、12月になるとワクワクしたものだ。

ところで、大宮という地名の由来となる”氷川神社”であるが、埼玉には特に多く、この大宮の氷川神社が本社になる。


氷川神社について(この説明に、興味がなければ、スキップしてください)
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氷川神社は、社記によると代五代孝昭天皇の三年四月未の日の創立と伝えられる。

当神社は、古くから歴朝や武将の尊崇をあつめた由緒ある大社としてその歴史を誇っており、「大宮」の地名もこの氷川神社に由来することは衆知のとおりである。

古くは景行天皇のとき、日本武尊が東征のおり当地に足をとめて祈願され、また成務天皇のとき、武蔵国造となった兄多毛比命が出雲族を引きつれてこの地に移住、氷川神社を奉崇したと伝えられる。その後、聖武天皇(七二四~四九年)のとき「武蔵国一の宮」と定められ、ついで称徳天皇の天平神護二年(七六六)には、朝廷から武蔵国では当社だけに封戸(三戸)が寄進された。さらに醍醐天皇の延長五年(九二七)の「延喜式神明帳」には、名神大社として破格の月次新嘗の社格が与えられている。

 このほか、鎌倉時代には、治承四年(一一八〇)に源頼朝によって社殿の再建と社領三千貫が寄進されたといわれ、足利、北条氏も相次いで尊仰した。その後、江戸時代の慶長九年(一六〇四)には、徳川氏より社領三百石が寄進され、また、文禄五年(一五九六)と寛文七年(一六六七)には社頭の整備と社殿の造営が行われている。

 その後、明治元年(一八六八)東京遷都に際し、当社を武蔵国の総鎮守「勅祭の社」と定められ、明治天皇みずから親拝になった。同四年官幣大社となり、同十五年に本殿・拝殿などを改造し、さらに昭和十五年に本殿・拝殿・回廊などを造り変え、現在の景観となっている。

 祭神は須佐之男命・稲田姫命・大己貴命。
 例大祭は八月一日。そのほか神事の中で特に有名なのが十二月十日の大湯祭である。
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前置きが長くなったが、本題に入る。

今日は、見沼区にある「見沼くらしっく館」で正月のしめ縄作りの体験をした。

ここは「お米物語」(田植えから稲刈り、餅つきまで体験)でお世話になっている。受付で「いつも、参加されてありがとうございます」といわれ、何となく照れくさい。

我が家にはもちろん神棚はないが、何事も経験。息子と二人で参加した。地元のケーブルテレビ(J.COM)も撮影に来ており、インタビューされてしまった。ラッキー!



「お米物語」同様、地元の農家の方が講師となって、しめ縄作りが行われていった。田植えの時から、しめ縄用にと、わらを作っているとな。一年の各季節の行事がすべて密接に関わり、日々の生活が営まれている。まさに、この季節感を感じるために参加しているのだ~、と一人思いにふけっている暇はなく、作業は続く。

もらった、わらの束を3等分し、根元より15CMくらいのところで、1.2本の濡らしたわらでしばる。縛り目を中にしてその3束をきつく、一つにしばる。そして、3等分したそれぞれのわらを左方向に寄っていく、それをしながら、同時にその3束を三つ編みしていく感じだ。なかなか難しい。講師の方に教わりながら何とか、できあがった。

最後に紙垂(しで)を作って完成。(紙で作ったヒラヒラだ)


作って、どうするの? といわれてしまえば、それまでだが・・・・・


参加者が完成するころには、「八つ頭のこども」がふかされ、テーブルに並んだ。自家製の味噌をつけて食べるとおいしいそうな。

栗か、大人の親指くらいの大きさだが、皮をむき、味噌をつけ、ツルっと口に入れると、確かに「やばいかもしれない!」くらい、うまかった。

来週は「お米物語」最終回、餅つきだ。 今から楽しみである。










<六甲> 鷹尾山(城山)から荒地山を経て弁天岩 そして、セレッソ大阪の応援!

2005-12-07 | 六甲/有馬
2004年4月17日
<六甲> 鷹尾山(城山)から荒地山を経て弁天岩 そして、セレッソ大阪の応援!

地元では通称”城山”という。一度、登ってみたかった。六甲は早めに切り上げ、セレッソの応援に長居競技場へ。
詳しくは「比良探検隊へ


2005年今シーズン、惜しくも最終戦で引き分け、前節首位から、5位へ。年間優勝を逃した。

最近、西沢は絶好調だったのに、残念だ。
森島! まだ、引退は早いぞ! がんばれ!