硯水亭歳時記

千年前の日本 千年後の日本 つなぐのはあなた

     水無月の大祓い

2013年06月28日 | 歳時記

我が家の大書院 戦災時や大震災時は近所からの被災者でいっぱいであった

 

 

          水無月の大祓い

 

 塾生が30人ずつ二手に分かれてアラスカに行っていたが、無事全員帰国して、喜ばしい。シアトル経由で韓国経由にはしなかったが、何と生のキングサーモンが塩漬けのまま届き、解体して家族で食べた。トロリ感は本マグロの大トロ以上で堪らない美味である。1尾66ポンド(約30キロ)もある大物なので、方々へ小分けにして差し上げた。無論イクラ漬けを作り置いた。しばらくは楽しめそう。白夜を初めて体験した子が多かったが、みな睡眠充分で元気いっぱいの様子。自慢げにたくさんの写真を見せてくれた。実はホッとしているのである。全世界偏西風と寒気の変な位置のお陰で、世界中どこでも異常気象。日本では梅雨前線が一定の位置に居座り、九州とは限らず、ゲリラ豪雨の真っ最中。先日のお昼は渋谷は何でもなかったのに、新宿では激しい土砂降りであった。カラ梅雨は逆に危ないもので、一昨年のような真夏の猛暑も当然想定される。インド山間部の大洪水も大変に心配な事態である。

 今年の櫻行脚が終わって帰ると、私の文机に妻が、ナルコユリを活けていてくれ、地味な花だけに心がユルッと解けてくるのを覚えた。十日前、今度は私が妻の文机に、薄紫のホタルブクロを飾っておいたが、何と野の花なのに長持ちするらしく、最後の蕾まで花をつけてくれ、妻は大いに喜んでいた。上の杏には橙色のオールドローズ。下の大風には咲きたてのラヴェンダー。但しこっちは本人たちが喜んだかどうか不明である。

 

鞍馬苔

 

 花の名前と言えば、先月読書会で読んだ中里恒子の「花筐」にやや古風な花の名前が出ていて、調べながら読むことに快感があった。古瀬戸にこの花、信楽に高野箒とか、その場面場面に効果的に使われていて、中里恒子の美意識が顕著に表現されている。ほたるぶくろ、南蛮ぎせる、牡丹、萩の花など身辺近くにある花は無論のこと、酔蝶花、雲雀龍、叡山苔、鞍馬苔、艶麗草、舞鶴草、台湾薄、油貼草とか、普段使いしない花々がたくさん出てくる。中でも最も効果的だったのは貴船菊だったかと思う。九つの短編小説の中で、「終身」には周山周辺のことが詳しく描かれ、貴船菊がまるで主人公であるかのような役目を果たしている。貴船菊とは「シュウメイギク」のことである。更に次のような美しい一文が、「夢の木」に出ているからご紹介しよう。

 「櫻と言っても櫻だけではなく、あの頃は、あとさきに何かあった。心を揺する何かがあった。なにもかも手を触れれば、生温かく、手の届くような場所にあったものが、さういふあとさきが消え失せて、ただ、花だけを見てゐるやうだ。~~~純粋の花だけの、侘びしい脆さ、阿伊の心の底の残影のなかで、ひらひらと花が散ってゐる。」

 この名文の中に、中里恒子の名作「時雨の記」の本質が隠されているような思いがした。花という名の愛欲の表現は全くなく、男女の深淵な愛のあとさきが淡々と描かれていると思ったからである。然も文章は存外スピード感に溢れている。つまりこの短編集の第一、「花筐」に出てくる男女もまた、花のあとさきの表現に違いない。古瀬戸や信楽や備前が道理で小道具として出てくるわけで、その表現は主人公と見紛うばかりのスポットの当たり方であり、美しい表現とは、こうした表現なのであろう。能にも花筐がある。越後へ流人時代に愛した少女、後の照日の前。継体天皇はその後都に帰り即位するが、自分の行列の前に照日の前と言う狂女が現れる。聞けば、その女は確かに自分が渡した花形見を持っていた。継体天皇はその後、その女人を宮中に昇殿させる物語であるが、これは純愛物語などではない。当時天皇は未だ天皇と呼ばれておらず、大君(オオキミ)と呼ばれ、多くの豪族に囲まれていた。そこで、この女人をヒメミコ、つまり祈祷する女として昇殿させたに過ぎないのではなかったか。その距離感が微妙な、でも美しい曲である。中里恒子の「花筐」に、鳥羽とやすという男女が出てくるが、鳥羽が亡くなってからのしみじみとした情感が描かれ、まるで散華か、はたまた能の花筐を観ている風情であったのが印象的で不思議である。

 

中里恒子作 短編集「花筐」

 

円覚寺奥にある中里恒子の墓石 一人娘の圭さん これを建つ

「終身」には お墓探しの場面が濃厚に出てくる

 

 中年女性を対象とした私主宰の読書会に、最高齢80歳を超えられた御夫人がおられる。四月の清川妙さんの時も、五月の澤村貞子さんの時も、六月の中里恒子さんの時も、指示された一冊だけではなく、他の著書も必ず五冊は読んでこられる。まだ寡婦ではない。でも残りの少ない時間のすべてを自分用にしたいと言っておられた。これまで読書を積極的に出来なかった後悔があるらしいが、それでもこの方の感性は充分若々しく、積極的で具体的な目標づくりに心打たれている。彼女の多くの皺は女人の勲章であり、感性の表現か、間違いなく魅力に溢れていることは確かである。私も心して出席せねばなるまい。七月は武田百合子の「富士日記」。彼女はきっと「富士日記」の上中下巻だけではなく、「日々雑感」や「ことばの食卓」は勿論、「犬が星見た~ロシア紀行」を必ずお読みになられて出席されるだろう。

 男性陣へは「古事記」を原文で読む会をしている。こちらも盛況で、私は確かな手ごたえを感じている。本居宣長の「古事記伝」を併せて参照しながらで、結構アナログ的な、こんな会が受けているのだろうか。30日は夏越の大祓いの日。この日、白いヒトガタを貰い受け、家人全員の厄をつけ、神社にお頼みする予定。茅で作った茅の輪くぐりを、子供たちも妻も共にしようと思うが、亡き主人が逝った愛宕神社の男坂にはそろそろ行きたくない。時間が経てば経つほど、特別に恋しくなる御仁だからである。30日の朝茶には手作りの「水無月」(葛使用)を出そう。

 

 厄除けのヒトガタ 夏越の大祓いの日に神社に出してお祓いを受ける

 

今日は和菓子「蛇の目」で 濃茶を一服