Une petite esquisse

日々の雑事の中で考えたこと、感じたことを徒然に書き綴ります。

あなたの知らないベトナム(5)

2021年12月13日 | 旅の情報
ホイアンー木造家屋が郷愁を誘う街


夕暮れ時のトゥボン川

 ダナンから南東へ約30㎞、ホイアンの街はトゥボン川河口に出来た港街で、かつては
ベトナム最大の交易港として、チャンパ王国時代、中国やインド、イスラム圏を結ぶ中継
貿易都市として栄えた。
世界各地から人や交易船が集まり、国際色豊かな近代的な街であった。
 ホイアンは他のベトナムの街と比べ少し雰囲気が異なっている。古い町並みは中国南部
の建築の色合いが濃い、そして何よりもフランスの匂いがしない。
木造の家が連なる素朴な街の佇まいはホイアンだけの独特な雰囲気を醸し出している。 






木造家屋の街並

 琉球王朝との交易の記録が残されているが1570年を最後に途絶え、その後、豊臣秀吉
が御朱印船制度でアジア貿易に乗り出し、中国との中継貿易港として中国の生糸や絹織物が
日本に運ばれた。
日本人町が形成されるが、徳川幕府の鎖国令で衰退し日本人が激減する。
その後、中国人が移り住み、日本人町の面影は次第に消えていく。
現在残っている古い町並みは、その後移り住んだ中国人によって形成された。


日本橋(来遠橋)


橋の内部


橋内 祠




橋の両入り口に鎮座する犬と猿

 日本橋(来遠橋)は1593年、木造屋根付きの橋として建造され、橋の上には船の安全
を祈願する祠も造られている。日本人が設計して中国人が造ったとの説が残されているが、
屋根付きで橋の中に祠のある橋は日本人の発想からは程遠く、日本人町があって、その入り
口に架けられた橋だったという理由が日本橋と名付けられたという説が有力である。
1719年に明王の阮福調が「来遠橋」と命名し、遠くからやって来た人と言う意味で日本
人を意識していたと思われる。


夜のホイアンの街


色鮮やかなランタン


灯篭を売る女の子


アイホイ橋

 近世になって交易船が大型化するにしたがい、河口を利用したホイアンの港は大型船が
入港できなくなり、ホイアンの外港として利用されていた北のダナンに移っていく。
ホイアンの街は寂れていく。中世の街は開発されることもなく、戦争の被害にあうこともな
く、そのまま現代に残されていく。

データ:ホイアン~ダナン循環バス
    18000ドン(約90円)(車体に明記されているが外国人と見ると3万~5万ドンと吹掛けて来るので要注意)
    フエ~ホイアン 5ドル
    ダナン空港~ホイアン 空港シャトルバス 15万ドン(約750円)

アドバイス:
    観光スポットの入場は、町なかに13カ所のチケット売り場があり、5枚綴りの総合チケットを購入し入場する。
    チケットは実質2日間有効で12万ドン(現地要確認)