
研究会の方々から、マンショについて色々なお話を伺いました。
少しご紹介いたします。
都於郡城が落城し、豊後大分の親戚すじの城主・大友宗麟を頼って逃れた一族。
ここでキリスト教と出会い、後に宗麟の名代としてローマに渡ります。
当時の船旅のこと、13才で出航して戻るまで、かかった年月は8年5カ月…
船酔い、伝染病にも罹ったとか。
本当に気の遠くなるような月日ですね。
京都で秀吉に謁見する22歳のマンショ。


人々の失笑を買い、見かねた法王が豪華な服を作ってくれたそうです。
それほどに大歓迎を受けたということ。
写真は記録から復元した衣裳です。
これは、帰国して豊臣秀吉に報告した時に着たもの。(出発時は信長の時代でした)
首に巻いてあるのは、肌の露出をカバーする為のものだそうです。


胸元のタックの緑色は、平和のしるしのオリーブの色。
ボタンは純金で出来ており、前の刺繍は魚骨型の装飾。
デザインはオリーブの葉を表しているとのこと。
復元も純金で…とはいかなかったようですが。


復元するため、調査・研究に長崎まで出かけたり苦労されたようです。


秀吉はアンコールしたそうです。(飫肥小村記念館・蔵)
マンショは、司祭となり43才で長崎の教会にて病死しました。(1612年11月13日)
生前、母親がいた飫肥城には帰郷したけれど、西都に来ることはなかったようです。

この展示会は、明後日25日(日)までです。
































12月28日(水)、29日(木)、30日(金)、1月1日(日)、2日(月)は
「西都のおみやげ展」を開催致します。
帰省したおみやげに、ご進物にご利用下さいませ。



※なお、1月7日(土)はこの会場で、18:30から「ぞろ目ライブ」を行います。
詳しい内容は先日のブログをご覧ください。チケット好評発売中です。