大倉山ジャンプ競技場です。
ジャンプ台の下のに方に彫刻があります。
ぐるっと見たけど銘板なし。
レリーフがあります。
大倉喜七郎男爵顕彰碑
大倉喜七郎男爵は、数多くの会社経営にあたった実業家でありましたが、大倉山シャンツェの生みの親でもあります。
昭和3年、世界的なシャンツェの建設について秩父宮雍仁親王殿下からお口添えをいただいた大倉喜七郎男爵は、これを快諾され、シャンツェ構築の世界的権威者であったノルウェーのオラフ・ヘルセット中尉の設計に基づき、昭和6年大倉土木株式会社(現在の大成建設株式会社)に工事を行わせ、この地に60メートル級シャンツェを建設し、札幌市に寄贈されました。
このシャンツェは、寄贈者の厚意に報いるということで昭和7年1月の開場式にて大倉シャンツェと命名され、その後の日本ジャンプ競技会の発展に多大なる貢献をしました。
ここに大倉喜七郎男爵の顕彰碑を建立し、そのご功績をたたえます。
大倉喜七郎
明治15年6月16日~昭和38年2月2日
雪ミクマンホール蓋を見に来ただけだったので、思いがけず彫刻を見つけてうれしくなったのでした。
せっかくなので、他に彫刻がないか探索しました。
見るからに國松明日香とわかる彫刻がありました。
しかもNIKEっぽい。
詩碑「虹の雪のバラード」に捧げる勝利の女神「NIKE」
2005
國松明日香
やっぱりNIKEだった。
虹と雪のバラードの歌碑の前にあります。
虹と雪のバラード
大倉山ジャンプ競技場はブログネタが盛りだくさんだったのでうれしくなった。
最後の1個が見つからず、オリンピックミュージアムアネックスのスタッフに聞く。
画像はオリンピックミュージアムアネックスの裏手です。
うっそうと茂った木の中にあり、これは人に聞かないと場所がわからないです。
これも顕彰碑ですね。
レリーフがあります。
大野精七博士顕彰碑
大野精七博士は 大正10年北海道帝国大学に招かれてより今日まで60有余年 本道医学界の先達として 医学教育の充実ならびに医療の発展に多大の貢献をされました
一方 わが国スキー界草創以来の指導者として故秩父宮雍仁親王殿下のお励ましにこたえて本道スキー界の発展に大きく寄与され 特に宮様スキー大会国際競技会の生みの親としてまた 昭和47年第11回冬季オリンピック札幌大会成功の推進力としてご活躍されました
ここに 博士ゆかりの大倉山ジャンプ競技場に顕彰碑を建立し そのご功績をたたえます
大野精七博士顕彰碑建立期成会
大野精七 97歳
出身地 茨城県
生年月日 明治18年8月17日
題字 北海道知事 堂垣内尚弘
彫刻 彫刻家 佐藤忠良
大倉山ジャンプ競技場 オリンピックミュージアムアネックス内
札幌市中央区宮の森1274