カメブログ

聖蹟桜ヶ丘に住むおじさん(通称カメちゃん)のブログ

志の低さに沈(ちん)した『日本沈没』

2006年07月17日 | 映画
 家族の希望で多摩センターのワーナーマイカルで日本沈没を見てきました。
 実は客の入りが座席の1/4以下かどうか、家族と賭けていました。私は1/4以下。多摩センのワーナーマイカルは客が不入りと聞いていましたし、実際、これまで何回も休日に訪れていましたが、ロビーがガラガラで閑散としていて、ポップコーン担当の店員が手持ち無沙汰にしていたイメージがこびりついていたからです。ところが入場開始時に並んでいる行列を見て、負けの予感がしました。果たして座席に座ってみると明らかに1/2以上4/5くらいは座席が埋まっていました。
 どうして客が入るようになったか不思議です。ならば2005/11/15オープンから数ヶ月で動員が増えてもおかしくないのに(どこかのメディアが動員数の変動を取材していないでしょうか)。不景気より景気がいいのは歓迎ですが、疑問が残っています。

【以下、全編ネタバレです】
 肝心の映画の感想です。ネタバレです。
 結局、志の低い作品ではないかと思い当たりました。
 ストーリーをつないでいるのは刹那的な感情の動きだけで、なぜ?と疑問を持つとあちこちが論理的に破綻しています。小さな破綻であったり、描かれるラブストーリーに純粋さがあったり、不自然さがなければ納得できますが、ちょっと破綻の度合いが厳しいのではないかと。
 プロジェクト責任者が不可能と語った掘削船を世界中から短期間に集めることができたのに(日本全体の運命を懸けている大プロジェクトなので国際協力があったのでしょう)、なぜ潜水艇やスタッフの協力が各国から得られなかったのでしょうか。
 大津波が何度も襲ってきましたが掘削船は影響を免れていたのでしょうか。
 なぜ退去命令が出ていると思われる状況で民間人の小野寺、休職中の阿部が自宅に滞在できたのでしょうか。
 地形が変わるほどの地殻変動が起きていて、福島の造り酒屋が被害がなく、平穏無事なのでしょうか。
 東京の高層ビル群が軒並み崩壊しているような状況でヘリポートまでバイクで移動できるのでしょうか。
 東京のレスキュー隊の阿部が山中で遭難している美咲ちゃんたちをなぜ探し出すことができ、また探していたのでしょうか。遭難現場にヘリから降下して、自分の氏名と所属と目的を高らかに宣言する隊員がいるのでしょうか。

 ラブストーリーと感動物語を構成するために話があちこち不自然に捻じ曲げられているように思えてなりません。もっと不可解なのは製作者側は不自然さに気がついていないはずがないことです。
 リアリティを付与したかったら、パニックの様子やマスコミの暴走や民衆同士の醜い争いや、深海の底で一人暗闇の中で押しつぶされる人間の恐怖を描くなど、いくらでもあったはずなのに、地震が来た、津波が来た、ビルが崩壊した、山が崩れた、と表層的な災害の描き方にとどまっています。リアリティさを付与する力は当然、スタッフにありながら、あえてその方向を選ばなかったとしか思えません。
 結局、感動を無理やり演出しようとする、製作者側の志の低さが不満の元になっているのではないかと思い至りました。
 冷気のため全身を白い霜に覆われている遭難者が、救助がやってきたとたん霜が解けて陽が差し込んでくる演出は単純過ぎるのではないかと思われるのです。
 ひとつ指摘しておきます。地層の大変動を避けるために、地底奥深くに爆薬を設置して、作業者が命を懸けた作品を私は以前DVDで見ました。合衆国壊滅 M10.5です。『日本沈没』はこの作品と同じモチーフを使ってしまっています。

 スタッフロールを見たところ、海外のVFXスタジオはなかったように思います。
 日本のCG/特殊効果のレベルはハリウッドと大差ないほど素晴らしいと素人の私には思えました。


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