猫むっちゃんと私

捨て猫むっちゃんが09年4月8日に産んだ7匹の子猫の里親探しで始めたブログですが、、

おばちゃんとお母ちゃんとわたし

2021年06月20日 | 家族1


今から60年前わたしの写真です!
南向きの縁側で母に抱っこされている。

伯母は、父の姉であり、母の兄の嫁でもあるという関係。

その伯父は、医師だったのに若くして病で亡くなった。
伯母には2人の子供がいたが、下の男の子が3歳位で
疫痢で亡くなっている。
若い頃はお嬢様だった伯母は、その後も再婚せず
働きながら従姉を教育大学に進ませ従姉は教師になった。
3人の男の子の育児や家事に伯母は従姉を精一杯助けた。

伯母が老いてから、
従姉は実に見事に伯母の介護をし、最後はご主人の介護もあったので
伯母を施設に入れて毎日訪れ歌を一緒に唄い、2019年1月29日も
伯母を見舞い、ご主人の病院に着いた時に息を引き取られていますと連絡が来た。

96歳になっても頭のしっかりとした伯母だった。

トランプ

2021年05月20日 | 家族1
今日は、夕方ダンナとポーカーをしました。

 なんと!   40年ぶりです。
2人で思い出しながらの勝負でした。
  結果はダンナが私の2倍勝ちでした。
なかなかの面白いゲームでした。
 今度は次男と3人でしたいな~

ダンナのカレールー事件

2018年08月13日 | 家族1
カレールーが切れていて
煮た具材だけを鍋ごと冷蔵庫に入れてあったので、
「スーパーに行って来る」と言ったダンナに
カレーのルーを買って来てねと頼んだのです。

 一時間後に、ただいま~っと帰って来たダンナが買物した袋の中には、
案の定   カレールーはございません。

「忘れたわ!行ってくる!」とまたまた買いに走ったダンナ

 そして買ってきたものは、、、レトルトのカレーだったのですよ。

わたくし、「これな~、レトルトやで~」。。。と、じっとり言うと、

一瞬茫然としたダンナだったが、「もう一回行ってくる!!」と。

「あのあの、私今からスーパー銭湯に行くんですけど、、」と言うと

むっとして、「カレーどうすんの」と。
「鍋を温めて、あなたが買って来たカレールーを割り入れればよいです」と云うと
めっちゃ機嫌悪くなって自転車で出て行った。

大通りで銭湯の送迎バスを待ってると、丁度買って来たダンナと出会い
「よろしくね」と言うと「はい分かった」、、って。


銭湯に到着して、気分良く髪を洗っていると、
館内放送が、、、実に嫌な予感。。。。

実は以前、一緒に行った時に髪を洗っていると、館内放送でフルネームで呼び出され、
慌ててシャンプーを洗い流し、必死で服を着て受付に行くと
「財布を忘れたので、ロッカー代の100円ちょうだい」って 言われた事があったのです。


案の定、放送で私のフルネームが呼ばれましたね


一瞬迷ったが、、「聞かんかったことにしよう」と決心しました。私は。
何回か呼んでましたが、
どうせカレーの分量はどれ位なんとか電話して来たんでしょう、と思いましたからね。


2時間後のバスに乗るので、ゆっくりお風呂につかったりサウナに入ったりして
ドライヤーで髪を乾かしていたら、又呼ばれた 

「なんなん、もうっ」と思って」受付に行ったら、
ダンナがそこにいたのです。


あれ?パパも風呂入ったん?と聞いたら、
「鍵な、持ってなかったから、家に入られんと、追いかけてきてん
と、めっちゃ怒ってる。「携帯も持ってなかってん」と。
 知らんがな、そんなん。 と思ったが、
「あのバカ女~っ!」と思って、必死で自転車で坂こえて走ってきて、
二時間待っとったんか~と思ったら、可笑しくなって笑ってしまった。

私がバスで帰ったあとで、やっと家に帰って来ました。自転車で。

 お財布は持ってたのだから、わざわざ来なくても、
もうちょっと楽な時間のつぶしかた考えたらよいのにね。。

「放送で何回も呼んでもらってんで」と言うので、
「サウナ入ってたからかな~聞こえなかったなぁ~」と言っておきました

 




かわいい「めんどくさい!」

2018年08月06日 | 家族1
 私の従姉の孫のD君は、4歳。

お兄ちゃんのS君は、私の父の葬儀の時に来てくれて
大人しくして、お利口さんだった。


 次男のD君は、いつも飛び跳ねていて、
 従姉の母つまり私の伯母の家に行った時など
嬉しくてはしゃいで、押し入れからベッドに飛び降りたりと
 大騒ぎワッショイ状態らしい。

そのDくん、かなり手強くて

幼稚園の先生が「Dく~ん、お絵かきしましょうね~」って言うと

。。「めんどくさいっ!」って言うのだって。

それで、先生が「少しお家でも落ち着くような遊びをさせて頂ければ、、」
と言うので、祖母である従姉が、カルタを並べて
「Dくん、カルタ取り、しようか」って誘うと、

。。。「めんどくさいっ!」
  って、カルタをぐちゃぐちゃにしちゃった。。

困った従姉は、

Dくんが、大好きでとても言う事をよく聞くご主人に、
「Sさん、将棋か囲碁を、D君に教えてあげて」
って、頼んだら、やさしくて寡黙なS兄、

「分かった」  と。

静かになったので見に行くと、パソコンで将棋を教えていたそうな。
 
「将棋も囲碁も、ちゃんと本物を持ってるのに、どうして使わないの?」
と、キレ気味に聞いたら、

穏やかで、知的なS兄が

    。。。「探すのめんどくさい!」

って、言ったのだって。

もう、オチまでちゃんとついてるこの話に我が家は最近はまっていて、
どうも私は「邪魔くさい」という言葉を使っているのだけど(初めて気づいた)

「邪魔くさい!」って言ってしまってから  
  「いや、めんどくさい!」 と訂正するようになり、

最近では甲斐あって、「めんどくさい!」って言う言葉が簡単に出るようになってきた。
  ダンナも面白がって
我が家では、今ちょっとした流行語だし、けっこう便利に使える言葉なのだ。


従姉は、私の母の兄と、私の亡父の姉の娘で、私とは姉妹の次に血の濃い親戚で、
 まったく同じDNAを引き継いでいるのかな、と思うのだけど、
雄弁、優秀で、心のやさしい人で、周りから頼りにされ、
 日々愛車を駆って走り回っている。

年は12か3くらい違うので、子供の頃から「お姉ちゃん」と仰ぎ見てた。

 いいDNAは従姉が全部持って行って、私にはカスばっかり残ったんやな、、と思ってた。

ブロッコリー

2017年03月13日 | 家族1
 この前、ダンナと八百屋さんの前を通りかかり、
立派なブロッコリーがあったので「これ買おう」と言って
えらんでて、横に来たダンナのかごの中にブロッコリーを入れようとしたら
 何故か、逃げる。

「なんでっ」とイラッとして、もっと強引に入れようとしたら
もっと避ける。

 「なんでやのっ」と思って、顏見たら、

  知らんおっさんがちょっと怒った顏してた。。。

「あっ」っと思って、

 「すいません~ダンナと間違えた~」と言ったら

「わしは、かまへんけどな」とオッサンが言った。

帰ってダンナに、こんなんやったんや~と話して、
かまへんけどな、と言うのは、私が嫁でもかまへんのか、
 ブロッコリー買ってもかまへんのか、どっちかな。

と言ったら、「そら、ブロッコリーやろ」って。。 

      悪かったね

ルコと母と、生地屋のおっちゃん

2012年07月02日 | 家族1

ペットを飼いたいなと思ったら、お店からではなくぜひ保護猫(犬)さんを。。




お気に入りの社長いすに座るルコ



長男の膝に乗って、ブラッシングしてもらって



甘えているルコ

ルコは、長男にはこうして甘えるが、次男は恐くて顔見ると一瞬で逃げてしまう。
 次男は悔しくてルコに「シャー!」と言ってしまい、なおさら嫌われる悪循環。

 長男がルコの名前の意味は何なん「流子」という漢字にしたらどう、というので

  ルコには、大きな意味がある、
私が好きだったタカラヅカスターさんのニックネームがルコさんだったのだ
 と、教えてあげました。


実家の母が3日前、先週の木曜日に自転車でこけて、股関節を骨折し、入院しています。

今週手術で1か月ほどの入院です。
 母は今79歳で体は元気ですが、父が亡くなる前あたりから、ウツウツとして
精神的にしんどいようでした。

 この頃は少し元気になっていて、友達と自転車で走っていて、
前を走る友達の風で飛ばされた帽子を取ろうとして転倒してしまったということでした。


 帽子はストッパーで止めなきゃあかん、私がせっせと作ったやつ、
お母さん友達に配ったんやろ、と言ったら
 新しい友達でまだあげていなかったらしい。 ほな、しゃあないな~

 運動神経バツグンの若者じゃないんだから、飛んできた帽子を自転車にのったまま、
片手で掴もうとするなんて無謀やん、、もう今年80なんだから、、


 そんなこんなで、今月は親孝行月間となりそうな感じです。





 生地が少し残ってたので、ぺたんこグラニーバッグのおまけに銀行ポーチ(と名付けてる)を作りました。




赤いマチありグラニーは、固いアクリルテープの持ち手だとひしゃげてしまうので取り外し、
こげ茶の3センチの綾織テープで、持ち手を作ろうと注文し、ただ今お届け待ちです。


 後ろのベージュのマチありグラニーは、固めの芯を貼って本体をしっかりさせて、
赤いバッグから取り外した固い持ち手を付けました。うまくしっくり行きました。
  えらくあっさりとした外観なので、こちらもおまけに銀行ポーチ。

 この色違いの布は、ネットの店のバーゲンで2メートルづつ買ったのでしたが、
やっとなくなりました。
 何か、私っぽくない生地で、生地はやはり見て買ったほうがいいなと思ったのでした。


この所、いくつもバッグを作っていて、コツがつかめてきたのか、
作るのが早くなってきました。
 ポケットや持ち手の位置や大きさなども、あまり悩まなくなってきて、少し進歩したみたいです。



 それで、以前に作った花柄のバッグの失敗部分が気になってしまい、
柄が好きだったので、良くなかった部分をほどいて、やり直しました。
 
前ポケットの裏が芯がむき出しだったので裏地をつけ、ポケットは2部屋にし、
持ち手の長さと位置を変え、



かばんの深さを変えて見返しをつけて、何故かすごくたぶっていた裏地をぴったりにしました。
 ほとんど、全分解みたいな感じです。


パッチワークのある火曜日に露天の生地屋さんのおっちゃんが店を出すので、
最近は、また覗いては生地を買っています。
 
 端切れが、巾はそのままで50~100センチ(もっと大きいこともある)位のが100円であって
このピンクのバラ模様の生地も、花柄のぺたんこグラニーも、友人に作ったバッグも
おっちゃんのとこの生地です。

 地べたに布をひいて、だ~っと置いてあるので宝探しのようで楽しいのです。
おっちゃんは、私を見ると「まいどっ」って言って時々おまけしてくれます

おっちゃんは、朝から来て、昼過ぎには商品にカバーをかけてパチンコに行ってしまいます。
 これはお昼休憩なのだから、午後も商売をするのでしょうが、
パチンコに勝っているとなかなか帰って来ない、困ったさんです。


 ここの所、良い柄の生地を何枚も見つけて買いました。
どんなのを作ろうかと考える時が一番楽しいのです。
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久しぶりに

2010年11月02日 | 家族1
10月21日は、しっぽな君の去勢手術の予約の日でした。
入院していた父の容態は、もうずい分悪くて不安な日々でしたが、
「お父さん、21日は頑張ってな~、しっぽな君の大事な手術のある日だから」
と思っていました。
 しっぽな君の手術無事終わり、翌日の金曜日の早朝に、病院から電話があり
まだ出掛けていなかった家族全員で駆けつけることが出来、
その日の午前中に、父はこの世に別れを告げました。

祖父母はみんな早くに亡くなっていたので、何もかもが初めての経験で、
この歳で、恥ずかしいことに、まだ平常な心には戻れていない情けない私です。




我が家に来て4ヶ月、6~7ヶ月の月齢になったしっぽな君ですが、
先日、お問い合わせのメールを頂き、土曜日にトライアルに行くことになりました。
 

  「へ~、そうなんや」



 しっぽな君ガンバレよ~、、と沢山の人が思って下さったら、
きっと良い結果になると思うので元気出してブログ更新させて頂きました。

 また折々、しっぽな君のご報告はして行きたいと思います。
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状況

2010年07月30日 | 家族1




父は1週間前に、実家近くの病院から、介護型の病院に転院しました。
私は却って近くなり、前よりも行くのが楽になりました。
母もバス1本で来れる所なので、昨日、今日と連続してお見舞いに来てくれました。
明日も行くと言っていて、うつの状態が良くなってきたのかな、、と思います。
 ただ、私が行く時に一緒に行く、、という感じなので、これが交代で行ってくれたら
楽なんだけどな~と心の中で思います。

 父は肺がんで、脳梗塞による右マヒ、言語障害があり寝たきりになりました。
 これまで、おしゃべりでいつも明るい顔をしてた父なのに、
涙顔になったりつらそうな顔をしたりしています。
 この前、めそめそした風だったので「武士は潔くしなくっちゃ」と言ったら
困った顔で笑いました。

 母が、自治会からお見舞金が来たら「あんたの猫撲滅運動に寄付するわ」と言ってくれました。
 猫撲滅運動って、、なんだか、ニュアンスが違うような気がするが、、

このことは、最初は捕獲器を購入して、一人でやろうと思っていて、
野良猫に理解のある獣医さんを教えて欲しいとSOSを発したら、
赤ツナギさんや、まっちゃんが受け止めてくださって、
 アドバイスをくれたり、天使軍団に紹介してくれたりしました。
天使軍団のアドバイスにより、自治会の会長さんに話をして、
よくは分からないけれど、悪いことではないし、、という感じで賛同を得ました。
そして、軍団の交渉により、私が出そうとしていた費用のだいぶを、
自治会が負担してくれることになりました。
 餌やりさんふたりにも軍団の方と一緒に話をして、信頼を得て協力してもらいました。
一人の餌やりさんは、困り果てていて、でも命だから、、
  との思いで一生懸命にごはんをあげていたそうで、
 この話を持ちかけると、すごく喜んでくれました。

嫌猫派のおばちゃんたちには、昔なじみの方や、母が仲良くしてる方もいて、
何人もの人に話しに行きました。
 又、捕獲器を洗ったりしているとチラと見てくる人には必ず、説明するようにして、
理解していただけるようにしました。
 耳カットして、元に戻すと言っても皆さん「ありがとう」と言ってくれました。

天使軍団の動きはめざましく、私がひとりでは何一つ出来なかったことを推し進めてくれました。
 本当に無私な方たちで、なんの見返りもなく猫さんのことを思って頑張ってくださいました。
 世の中には、こんな方たちもいるんだな、、と目を見張る思いでした。
又、まっちゃんも何度も来て下さり、ケージもお借りするなど、本当にお世話になりました。
 優しい天使軍団のFさんは術後の猫たちを安全の為に一晩置きたいと言われ、
 会長さんは集会所を使うのを認めてくださり、
まっちゃんのお友だちは置く場所がなければ預かりますよと言ってくださいました。
 軍団の交渉で、市のセンターが送迎もして、一晩涼しい場所に預かってくださり、本当に有難いことでした。
 餌やりさんの話では、捕りきれなかった子が3匹、その内2匹はオスとメスがいるようです。
 1匹のキジトラは、初めに去勢した子だと思うのだけれど、確認してみなければ分かりません。
 天使軍団は捕獲器が、恐いのを忘れた頃にまたしましょうといってくれました。
捕獲器を1台、餌やりBさんの家に置いていかれました。
 又、餌やりAさんの多頭飼い猫は、オスを2匹去勢しただけで、メスはまだです。
当日、おばさんも疲れてしまって捕まらなかったのです。
 それで軍団の方が「また今度もしましょう。もし妊娠したらすぐに知らせてね」と念を押していました。
 よくこれだけのことが出来たものです。
本当に、有難い皆さんのおかげだと、感謝せずにはおれません。
 最も精力的に動き回るNさんは、そこそこの年配なので、
どうかお体を大切に、、こんな良い方神様お守りくださいと思いました。
 

しっぽな君の里親ご希望メールは  s826?mail.goo.ne.jpまで  ?を@に変えてくださいね
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父のこと

2010年07月07日 | 家族1
この前、妹に病院に行ってもらった時に
「お父さんが機嫌が悪くて、怒って叩こうとしてきてん」と妹が泣きそうな声で電話をしてきました。

 父は昨年に肺がんが分かり、転移の脳腫瘍もあり、通院で療養していたのですが
血痰、喀血を止めるのに飲んでいた薬の影響があったのかどうなのか、
 1ヶ月半前81歳の誕生日の翌日に脳梗塞で倒れ救急車で入院し、右半身不随、言語障害になってしまいました。

 言いたいことも言えず寝たきりの日々は、それは辛いだろうな、、と思います。
薬のことも、もっと私たちが賢ければ脳梗塞など起こさずにすんだのでは、、と
それぞれが思っています。

 肺がんで末期でも、死ぬまでは元気でいられたら、
おしゃべりで楽しいことが好きだった父にはどんなに良かったかなと思います。
 最期の何ヶ月かは、父にも家族にも辛いものとなりました。

翌日行って父に「お父さん、アイちゃんにバカって言うたらしいな」と言うと
「そうかぁ?」という表情、数時間前の記憶もないみたいなんです。
「お父さんは81歳まで元気で好きなことをしてきたんやし、
 アイちゃんも私もお父さんのように81歳まで元気で生きられないんと違うかな、
それに娘もいないから、毎日こうやって会いに来てくれることもないと思うし、
 お父さんは、きっと私たちよりも幸せなんやと思うよ」と言ったら
「そうやなぁ」と答えてくれました。

母や妹には「お父さんはヘビースモーカーで、自分で自分の体をそっちのベクトルに持っていったんでしょう、
 それで81まで生きれてんから御の字やん、脳梗塞は可哀相やったけれど、
それも私たちには、どうしようもなかったことやし、お父さんが引き受けなしょうがない。
 出来ることはなるべく傍に行ってあげることと違う?」と気丈なことを言って
「なかなか、そういう風には、、、」と割り切ってると思われてる私ですが、

今日は父の病院行きは休んで、ゆっくりボーっとしていた時に、ピノが膝に乗ってきて
顔をまっすぐによせて「にゃ~」と話しかけてくれた時に、
 何ともいえない気持ちになって涙がボロボロとこぼれてしまいました。

 回復の時間と見込みのない、左脳の脳梗塞は、本当につらいものです。
ものも言えず、寝たきりでおむつをつけられ、一人では何の娯楽も操作することが出来ず、
ただ天井を見つめてる、、


 私は、体は大切にして、血液サラサラを心がけ、死ぬまでは元気でいましょう。
 そして、猫たちのために、なるべく長生きしましょうと思いました。

父の今後

2010年06月25日 | 家族1
今日、主治医の先生との打ち合わせに母と一緒に行きました。
 思っていたように、病院での治療はひと段落なので、
一旦は退院、、ということです。

 家での療養は困難なので、どこか入院できる所を紹介してくださいと
母が頼んでいました。
 
 今の父のように、治療はなく介護が必要な人を入院させてくれる所が、
あるかどうか難しいところだけれど、とにかく探してみますとのことで
とりあえず、話は終わりました。

 私は、出来るなら父を実家で看てあげたい。
前のように往診と訪問看護をしてもらって、介護保険も目いっぱい使って、
ヘルパーさんにも来てもらって、、

 でも夜は、母と妹の負担になるので、押し付けることはできない。

  多分あと半年、、

どういう形がいいのか、家族でよく話し合おうと思います。

とても感じの良いリハビリの方に、ビーズストラップを差し上げたら、
お返しではないけれど、今日行ったらこんな父の似顔絵を描いて下さっていました。

 髪も黒くふさふさして、くっきりとした顔立ちで、父はとても81歳には見えません。

 父がもし、50歳くらいでヘビースモーカーを返上していたら、
肺がんにはならなかったかもしれないし、その転移の脳腫瘍にもならなかったし、
肺がんの薬の関係での脳梗塞も起こさなかったかもしれないし、
 きっと90歳くらいまで元気だったんじゃないかなぁと思ったりします。


 「オーロラの彼方に」という大好きな映画にはそういう複線があり、
過去に戻って、父に忠告してあげれたらな~と夢みたいなことを思ったりします。
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喪失感

2010年06月09日 | 家族1

次男の文字のこんな紙が落ちていたので「これ何?」と聞いたら
授業でお年寄りの喪失感の疑似体験をしたそうです。

12枚の紙を用意して、大切な人、なくしたくない大切な物、大切な目に見えないもの、大切な事を
3つづつ書くそうです。
 私もやってみました。
人は「ダンナ」「両親」「子どもら」
物は「猫たち」「パソコン」「家」
目に見えないものは「健康」「やる気」「愛情」
事は「手芸」「家事」「ブログを書く」

自分自身がもうすぐ死んでしまうのだというイメージをするのです。
そして、まずなくすものを3つ選んで紙を破ります。
なくすと言うのは、例えばこどもなら独立するとか、パソコンや手芸なら出来なくなるとかいうことです。

 また次に3つ選んで破り、もう一度3つ、破ります。
最後に残った3枚の中から2枚破り、そして最後に残った1枚を破って終わりです。

  自分自身の人生も、、、

次男の最後の1枚はこれだったのですが、破れずに持って帰ったらしいのです
最後に破った2枚は、母と兄だったそうで、父は「早いうちに破った」そうでした、、、

興味を持たれた方、ちょっとやってみてくださいね。
 けっこうハートに来ます。



今日は父に、好きだったと母が言う小林旭のCDを持って行って、イヤホンで聴かせてみました。
 2,3曲聴いてから「これ全部知ってる」とはっきり言いました。
そして何となく口ずさんでいるようでした。


父は、色々な楽しみを失ってしまいました。
お酒もタバコも、スポーツも、新聞も、花の水遣りも、出かけることも、おしゃべりも、、


 でも、みんな誰だってそういう時が、遅かれ早かれ来るでしょう。
そうなるまでは、一生懸命に生きてみよう、、
できれば何かの役に立つようなこともして、、と思います。

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(汗)

2010年06月08日 | 家族1
昨日びっくりした事
 ぱるるのATMでお金を6万円下ろしたら、全部千円札で出てきて思わず「うそっ」と。
でも、父から母の口座へ移し変えするのを頼まれたものだったので、
そのままATMへ、、(汗)

 父の病室に行ったら、急に酸素マスクつけて、機械が色々あって、、
「ひゃっ、お父さん急変?!」と顔を覗き込んだら、知らないオジサンが、、!
  今朝父は、2階の一人部屋から、3階の4人部屋に部屋替えになっていたのでした。
母が携帯に出れなかったらしくて、このようなことに、、(汗) 

 マナーにしていたので、母からの電話の伝言が残されていたので、父に聞かせたら
「あっ」というびっくりした顔をしていました。
 「昨日お母さん来たやろ~?」と聞くと「そうかぁ?」ていう表情で、
「来たで、お母さん」って言うと伸び上がって探していました。
「今じゃなくて昨日よ」って言っても、腑に落ちない、、という感じ。
昨日で入院10日目ですが、母は妹が休みの時に一緒に2回来ただけで、、(汗)
 妹は、仕事帰りに一人で寄ってくれたりして大変です。

 「顔拭いてあげるね」と蒸しタオルを作って、
「蒸しタオル、アツアツって言うて客の顔にかぶせる散髪屋おるやんな~」って言ったら
ファっと笑い顔「そんなことあった?」って聞いたら、ふん、とうなづいていました。
 この話コントで見たんかなと思っていたけど、父に聞いたことがあったのかも、、

帰りに実家に寄って、焼きそばを作って帰りました。
 


ルル君がいた時のピノ
 比較的我が家に猫さんが馴染みやすいのは、ひとえにこの大らかなお方のおかげだと
認識する今日この頃。
 外から来た威嚇的猫さんをなだめるボランティア猫というのがあれば、ピノは適任ではないだろうか、、、
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父と母と

2010年06月05日 | 家族1
昨日は長男の車の運転で実家に行きました。
 落ち込んで、外出せずに寝てばかりいる母に、、
薬だけに頼らずに、自分の気持ちを変えていかないと、など少しきついことを言ってしまい
あとから妹から電話で話した時に「あまりきついことは言わんといてあげて」と
 言われてしまいました。
母がそうなってから、もう半年です。
 家から近い父の病院にも、行こうとせずに、簡単な家事だけをこなしています。

 もう父に残された時間は半年あるでしょうか、、

良き人生を送ってきた父を、みんなで送り出したいと願っているのに、
 元気で気丈な母だったのに、
戦友が戦意喪失したみたいな、がっかりした気持ちになります。

 病院の方がとても良くしてくださってありがたく、家族もできるだけ顔を出したほうが
いいと思うので、私は出来る限りは、父の顔を見に通おうと思います。

ただ父は、今のことは理解してるけど、1時間前のことは覚えていないようで、
 毎日行っても、毎回「久しぶり」みたいなびっくりした顔をされるのが実に不思議な感じです。


ルコと風花の写真がありました。
ルコちゃん、なんでそんなに端っこに、、、?
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思い出

2010年06月04日 | 家族1
今日は猫の話ではありません。
ブログってエッセイか手紙のようなものだと思うので、
ここは猫に関する話だけがいいんだろうな~と思うのですが、
 又ブログは、自分の心覚えにすごく便利なので、これからは自分のための日々の記録として、
内容はあまりこだわらずに、色々なことを書いていこうかな~と思っています。
 
むっちゃんの応援をしてくださった方々、ありがとうございました。
 むっちゃんは、いまだ不思議猫ですが、1年前にくらべるとずっと心が通じてる気がします。
 この家で、満足して暮らしてくてれるみたいですのでご安心ください。
猫のことも書いていきますので、たまにはお付き合いを、、





この所はほぼ毎日、父の病室に通っています。
個室なので、ゆっくり過ごせ思い出話をして、父を笑わせたりしています。

いくつか気に入りの話があって、
例えばひとつは、

私と妹がどちらも3歳くらい頃に、ボートレースに連れて行き、
「券買ってくるから、ここで待っときや」と言って、場所を離れると、
妹は何メートルか行った所で、ワーッっと泣いて追いかけてきたが
私のほうは、振り向くと違う方向へ走って行くところで、あわてて追いかけた、、、と。
 そんな風なので、何度も私を迷子にしては、警官詰め所に迎えに行き、
そのたびにパンなど頂いて食べていて「あんた、もう帰りなさい」と怒られたのだって。

そんなようなエピソードが色々あって、こんなことがあったよね~と話しては久々に思い出に浸っています。

 昔のことを思い出して、不思議だな、、と思う話があり、

母が言っていたことですが
 妹が赤ちゃんで練炭の掘りこたつに、裾長のベビー服を着せて入れて洗濯物を干してたら
まだ小さかった私が母の所に来て「アイちゃんがもえてるよ」ってのんびり言ったそうです。
 慌てて見に行くと、ベビー服のすそに火が移り、燃えかけていたのだって。
掘りこたつの中など、そんな小さい子がそのタイミングでめくって見るだろうかと、


もう1つは、
母と妹がフェリーに乗って、あけた窓の桟に妹が手を載せて海を見ていて
ふと手をひっこめた瞬間に、上から窓がすごい勢いで落ちてきたそうです。
 一瞬の差で、手が挟まれていれば、大変なことになったに違いなく、
母は胸を撫で下ろした、、ということです。

 
落ち込んで病室へもあまり行けない母に、その話をして言いました。
 きっと守られていたんやで、そういう守りがあるということは、
現世だけじゃない、次の世界もあるということでしょう?
 きっとそこでは、先に行った人とも再会できる。
現世から去ることは、別れで悲しいけれど、守ってくれてた人とも会えるし
 悪いことじゃない、当然のことなんじゃない?  と。

母は「そうやな」と言っていましたが。。。



父は今は、ウトウトしてる事もあるけれど、話しかけると反応するし、
昨日のことは覚えてないようだけれど、今のことは分かるみたい。
 頭も胸も、どこも痛いところはないようです。
リハビリの方たちも、話が出来るように、座る姿勢が出来るようにと、
早くから一生懸命にしてくださって、看護師さんも先生もあたたかく、
 ありがたく、感謝の気持ちでいっぱいです。
 
若くて心残りをしたまま逝かなければいけない人もいるし、
別れを惜しむ間もなく、不慮の事故で逝く人もいるし、
人生において、耐え難いほどの悲しみを経験する人もいる、

私たち家族には、そのようなことがなく、平穏に暮らさせて頂いてきたのです。
 こんなに幸せなことがあるでしょうか、、
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人のこと

2009年12月25日 | 家族1
 昨日は実家に煮物を作りに行きました。
丁度父にも姪、母にも姪という、クイズのような関係の従姉が
 父にシンビジウムや母にカーデガンなどのプレゼントを持って来てくれました。
母は今体のどこも悪くないのに、どんどん痩せて本人いわく「死ぬかもしれない」っていう
 ナンギな状態に陥っていて、本当の病気なのにいたって明るい父とは対照的なのです。
 80歳になる父はあんまり明るいので「病気のこと分かってないんかな、、」といぶかっていたけれど
 昨日従姉に「夏に肺がんが見つかってな、それが脳に転移していて京都に治療しに行って、
 また見つかったから、結局2回も京都に行ってんで」
と説明していたので「あ~分かってるんや」と思いました。
 肺のほうがステージ4ということは意識してないかもしれないけど、、

「まさか癌になるとは思えへんかったなぁ~」と言うのに
母と私から「そらなるわ!」「あんだけタバコ吸っといて」といっせいに突っ込まれて、従姉は苦笑いでした。

40代の頃にひどいうつ状態になったという従姉は母の訴えに熱心に親切に聞き入ってくれて
 聞き流している私なんかよりも、母にはありがたい聞き役になってくれました。


「後悔しないようにしなくちゃね、、自分のためにもね」って自分自身に言い聞かせながら夕方帰りました。
 
 帰ると可愛らしいチコちゃんや、喜んでかけよって来るピノや、
相変わらずなむっちゃんの顔を見て 何だかホッとするのです。
「お腹すいた?ごはんあげようか」って優しい声で話すと、心がやさしくなるような気がします。


 3日前、ダンナに有給を取ってもらい、車で実家まで父と母を迎えに行って、
我が家の近くの温泉に連れて行き、そこのレストランで食事をして、又実家まで送って行ったのですが、
 父は銭湯の中で奇遇にも知り合いに出会いおしゃべりをいっぱいして、
サウナにも入り、レストランでは大好きなものをいっぱい食べてご機嫌でした。
 母は「気持ちいいなぁ~」と言っていましたが、翌日はダウンだったみたいです。

 人間は、あんまり物事を一生懸命に考える人は、損みたいです。。
  今のことだけ考えていけば楽なんですけどね、、お母さん。
聖書にも「明日のことを思い煩うな、
明日のことは明日に思い煩わせておけばよい」っていう言葉がありましたよね。

父によくしてくれたダンナですが、古傷の腰椎ヘルニアが又痛んでいるようです。
 それで猫さんのお届けは今は遠方は無理っぽく、ふみちゃんは電車で行けたので助かりました。

  
 

 
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