猫むっちゃんと私

捨て猫むっちゃんが09年4月8日に産んだ7匹の子猫の里親探しで始めたブログですが、、

友人のお母さんへのバッグとハチワレ子猫

2014年05月30日 | 公開する記事
逝ってしまった友人のお母さまへ、
バッグをノロノロと作っていたのが
やっと出来上がって、昨日お送りしました。





 さっき、電話を下さって、
お話をしながら、涙したことでした。

 色々と支えてくれて、ありがとう、、とお母さんは何度も言ってくれるけど
私は、なんにも、できなかったのです。





、、、で、この笑っている子猫さんは、
少し前に、近所の人が、産まれたてのときにカラスに襲われたのを
保護したオスのハチワレさんです。


 もうすぐ生後1か月。

 その方は、この子に貰い手が見つからなければ、
しっかりしたら家の外に出して、外猫にする、、と言われているのです。
その方は、猫は飼っていなくて、家の庭でご飯を上げたりしているので、、
 この子は、お世話しているノラ猫さんが産んだ子だそうで、
でも大抵の子は避妊してるけど、この母猫は捕まらなくって、、、と言われていました。

。。。。。。。
 

 写真もよう撮らないし、里親さがしなんてしたことないし、
車でお届けなんて出来ないし、、、って。


 「なんでそういうことに、首をつっこむの」とダンナから怒られたのですが、
今日は写真を撮りに行って、動物病院に貼ってもらうべくポスターを作りました。

 ネットでもいつ里さんに載せて頂くことになるかもしれません。


ノラ猫さんにはしてほしくない、、という思いがあるので、
 出来ることは、させてもらわないと、仕方ない。



写真を撮っていると、どんどん寄ってくるのです。


ノラ猫さんなんて、ツライ存在にならないで、
良いお家が見つかればいいね。






 

大切な友人だった人

2014年05月01日 | 公開する記事
12年前に、病になって
頑張ってきた友人が、
4月29日に亡くなりました。

手術をして、5年位してから話してくれて
「逃げ切れたらいいね。絶対に」と話したけれど、


逃れることが出来なくて、
薬の副作用や、症状の辛さや、不安と
ずっと戦ってきたのだろうと思う。


望むなら、いくらでも話も聞いたし一緒に泣いたりも出来たけど

 彼女はそれは望んでなかったかもしれなくて、
会う時はいつも、穏やかな楽しい時間を過ごしてた。


 2年前に、ご家族からいつ何があってもおかしくないとお聞きしていて
その頃、サークルの友人と手作り市の知恩寺に行った時、
私の寿命を○年あげるから、、とお祈りしたな~
何年と祈ったか忘れたけど、もっとはりこんでおけば良かったな。。

 手作り市の消しゴムハンコの作家さんに、
彼女が好きだったキャラクターに名前を彫って頂いてプレゼントしたら、
とっても喜んでくれました。
 その時は、奇跡が起きたのか、

 2年の間に、ご家族で旅行に行かれたり、
昨年は、2人で小倉夕亀展にも行き、
皆で一緒に歌劇の「ロミオとジュリエット」を観て楽しかったな、、





彼女とは、
もう3昔も前に、新社会人になった時に、
隣の職場に同じ年の子が入ってる~と聞いて
話に行って、すぐに友達になったんだった

 もう一人の人と3人で、仲良しになって

それぞれ、
結婚して、子育てして、受験や親の介護の時期を迎え、
 

 子どもらが小さいころはキャンプに行ったり、
たまに観劇したり、ランチしたりしながら
付かず離れず、過ごしてきた。



2年くらい前、2人にプレゼントしたバッグ


彼女のは、紺色で花柄で、、っていうリクエストで作った

 通院の時などに便利だったらなと、前にポケット3室作って
ここは携帯かな、ここに何を入れるかな、、
 と想像しながら、作りました。



この前、ATCに出店した時に、思いがけずにご主人の車で来てくれて、
 ポーチなどを選んで買って下さった。

 お礼に手紙を出したら、お返事をくれたので、
面白かった本の事など書いて、また出して、
今度は、好きそうな
音楽を送ろうと思っていたところだったのに、、



 数日前から体調が悪くなり、入院して意識も混濁して
もうヤマだから逢いたい人に逢わせてあげてくださいと
お医者さんから告げられて、私たちを呼んで下さったけれど、

 彼女は「もう~こんな時来なくっていいのに、、」と苦笑してたかも。


でも、顔を見れて、ありがとうとさようならを言えて、
私には、有難いことでした。


 寂しくなって、悲しいことだけど、
泣いたらまた、日常に戻る私達とは違って
 ご家族は、どんなにかつらくて、胸をえぐられるような悲しみだろう。


彼女も、もっと
娘さんたちとおしゃべりしたり、アドバイスしたり
片づけや、料理や、猫のなぁちゃんと遊んだり
ご主人と過ごす時間を楽しんだり、
まだまだお若そうだったけど、お母さんの老後をみたり
してあげたかったのだろうなぁ~


花子とアンも見たかっただろうな~







今日お葬式で、彼女が前に下さった、山下達郎の曲が流された。



「希望という名の光」

この世でたったひとつの
命を削りながら
歩き続けるあなたは
自由という名の風

底知れぬ闇の中から
かすかな光のきざし
探し続ける姿は
勇気という名の船

だからどうぞ泣かないで
こんな古ぼけた言葉でも
魂で繰り返せば
あなたのため 祈りを刻める

眠れない夜のために
子守歌があるように
傷付いた心には
愛という名の絆を

A Ray Of Hope For You
A Ray Of Hope For Me
A Ray Of Hope For Life
For Everyone

運命に負けないで
たった一度だけの人生を
何度でも起き上がって
立ち向かえる
力を送ろう

どうぞ忘れないで
移ろう時代(とき)の中から
あなたを照らし続ける
希望という名の光を
あなたを照らす光を
希望という名の光を

A Ray Of Hope For You
A Ray Of Hope For Me
A Ray Of Hope For Life
For Everyone…

 
彼女がくれたCDを何度も聞いて、偲んでいる