天竜峡の次に向かったのはこの近くの「旧小笠原家書院」と「小笠原資料館」です。信州のあちらこちらに小笠原氏の名前が出てきますが、その元になった飯田の領主だった小笠原氏ゆかりの地を一度訪ねたいと思っていました。この飯田市にはその小笠原家の書院が残されています。
この建物は1624年築とのことです。当時の貴重な建物として重要文化財に指定されています。説明文とこの屋敷の構造図です。
ここに至る石垣も趣があります。正面に門があります。
この建物は崖の上に突出した懸造りになっています。この敷地全体が城郭の構えだったようです。
この時、他に見学者は誰もいなくて、受付にいた学芸員さん(?)はずっと付き添って案内をしてくださいました。この書院は来客用に使われたとのことで大きな部屋になっていました。
広い廊下の向こうの明り障子をあけて下さいました。新緑が美しかったです。この明り障子の外に雨戸があります。
手の込んだ造りの玄関の天井と部屋の格天井です。
一間には大床が設えてあり、もう一間は床と窓を持つ付書院が設けられていました。
ここの柱はどれも年数の経った立派なものです。竹の節欄間が設けられています。
ここには籠と輿が残されていました。特に輿は貴重なものだそうです。
重要文化財の貴重な建物を丁寧に案内していただき、どれも注目して見せていただきました。
もう一つ注目は同じ敷地内にある「小笠原資料館」です。この建物はSANAA(妹島和世と西沢立衛の建築家ユニット)の設計です。SANAAは金沢の21世紀美術館の設計でも有名、建築家のノーベル賞とも言われるプリツカー賞も受けています。
入口へのエントランスも素敵でした。
新旧の建物が同居する、何とも不思議なそして素敵な場所でした。
館内はガラス張りで正面に「旧小笠原家書院」が見えるようになっています。この椅子も妹島和世さんデザインのものだそうです。
館内には小笠原家で使われた道具や鎧兜、刀などが展示されていました。
そして注目は「小笠原氏」の系譜です。県内あちらこちらで見かける「小笠原氏」のルーツがようやくわかってきました。
「小笠原流」についても理解することができました。
「小笠原氏」は松本城の城主の一人…その小笠原秀政が飯田から松本へ入った時、飯田から職人を引き連れて行って城下に住まわせたそうで、そこが飯田町だそうです。今でも松本にある飯田町の由来…たまたま今日ラジオから流れた知識ですが、飯田と松本が小笠原氏で繋がっていました。
おまけは以前から気になっていた小笠原氏と油壷の関係…我が家にあった飯田のカルタにも取り上げられ、この旧小笠原家書院の入り口の石碑にも書かれていいました。
この時、案内の方にお聞きしたところ、生活の必需品だった油を運ぶのにこの辺りでは竹の筒を壺代わりにして油を入れ、それを天秤に担いで移動したとのこと…その姿が良く見られたので唄われたのであろうとのことでした。
ここでは小笠原氏について知ることができ、新旧二つの素晴らしい建物にも出会えていい時間が過ごせました…