〜心豊かに生きる〜
【NY的スローライフ】
で〜きた(๑>◡<๑)ノ✨
気分はすっかり私のお孫ちゃんのような
2人へのプレゼント❣️
フィンランドに住む姪っ子Saoriに頼まれたものを
急きょ送ったあとにちょっぴり後悔した。
なんだ。段ボールにあんなにスペースがあったんだったら
チビ子たちへのクリスマスプレゼントを
一緒に詰めれば良かったよ…
箱のサイズがどのくらいになるかわからなかったし
急いでポストオフィス(郵便局)に来ちゃったし
また荷物を家に持って帰ると
次は週明けでどんどん遅くなっちゃうから
一刻も早く。と思って。
帰ってからもブチブチつぶやいていると
じゃあ別便で送ったら?
封筒とかなら手軽でいいんじゃない?とあっさりアドバイスが。
それもそうだ、とすっきりして、
すぐさまあちこちのオモチャ売り場めぐり。
クリスマスシーズンだから
どこも華々しくメインを飾っている。
これにしようか、あれにしようか、と迷って
とうとう決めたのは
そんなに大きくもないクマちゃんのぬいぐるみ。
同じ種類が棚に並び
高い天井からも吊るされていた。
そして心の中で、つぶやく。
Sayo ちゃんとChiyo ちゃんのところに
行きたい子はいますか〜?
まず、すぐに目があったのが
茶色くて赤い帽子のクマさん。
そして、次はなかなかピンとくるものがなく
ひとつひとつ顔をのぞきこんでみる。
んー、ちょっと違う。なんか違う。
この子は?う〜ん…
濃い茶色ではないみたい。
じゃあこっちの白クマさん?
ついに手の届かないところに吊るされていた
白くて青い帽子のクマさんが気になって
お店の人に取ってもらう。
うんうん、この子。Chiyoちゃんに♪
茶色いクマさんは、Sayo ちゃんに♪
家に連れて帰りさっそく見せると、いいね。
でも姪っ子の子どもたちは何才なの?これは何才から、とか書いてある?
え?これには書いてない。
普通トーイには表示してあるけどね。
ん〜、だってコレ(帽子とマフラーのスパンコール)は
ベビーには危ないんじゃないの?
なんでもすぐ口に入れちゃうから。
これはずしてキミが作った方がいいんじゃない?
え?ワタシが…?そんなコトできるかしら?
そうね。Sayo ちゃんは大丈夫だと思うけど、Chiyo ちゃんがまだ小さいしなぁ。
たしかにスパンコールが固いウコロみたいにイタイよねf^_^;
これはこれでカラフルで良いんだけどクリスマスシーズンっぽいから夏はどうだろ?暑苦しいかな?
けどすぐ送りたいし、大変だもん。
首を横に振ったものの…どっちにしてももうクリスマスプレゼントには間に合わないんだし急ぐこともないならやってみるか!
すぐにソーイングボックスを開けてハギレを合わせてみると、かわいい♪やっぱりそうしよう!と決めた。
キラキラとフワフワとしたファーがついたマフラーとトンガリ帽子を注意深くそっとはずすと柔らかなクマちゃんの姿が現れた。
さて。マフラーにしようか帽子も作ろうかあれこれ考えて三角のスカーフ風に。
2人それぞれの名前をチクチクと刺繍して。
3か国語の環境で暮らすチビ子たち。
英語にしようか、フィンランド語にしようか…でもやっぱり日本語のひらがなで。作りながら忘れていた記憶がよみがえる。息子が小さい時に、ある日突然京都の叔母から名前入りのフェルトで汽車ポッポの刺繍が入ったバッグと靴入れが届いて私の方が嬉しかったことを。
叔母の心がこもっていて靴がすぐに入らなくなっても上ばきが袋からかなりはみ出したまま学校に持って行かせていた思い出。
これでどう?と見せると
Wow !これなら安全!
そしてKaoru スタイルだね!とバッチリ太鼓判♪
「ひと手間をかける」
「ひと手間を惜しまない」
このちょっとした時間が
自分自身へのちょっとした達成感や満足感となり
目には見えないけれど
たっぷりの“愛”がこもる。
だってぇ…めんどくさいだもん。
あぁ、めんどくさい。
知らず知らずのうちにまるで“切り札”か“免罪符”のように使うこのセリフはもっともらしい理由のひとつになってしまっている。
そう。もはや言い訳ではなく理由に。
けれど、そのひと手間が料理を美味しくするんです!と料理の先生たちが口を揃えて言うのはただの“それらしく見せる”ためのハッタリなどではなく、事実。(科学的根拠があるかどうかはおいといて)
そしてそのひと手間は、器用か不器用か、ウマいかヘタか、はまったくと言っていいほど関係がない。一から作るだけじゃなくて既製品にほんの少し手を加えてみる、そんな工夫。
作るより買った方が早いし、安いし。
そんな時代になって久しくてこれからもさらにそれは加速するのだろうけれど。
それでも一方で、昨今のSNSではよりわかりやすく作り方をアップした動画サイトの多いこと。料理、手芸、ホビー、DIYと多岐に渡る。手作りがいっそう手軽で身近なものになってきている。
大量生産の画一的な工業製品と対局をなす手作りサイトはまた違ったカタチの文化をすでに育み始めているのだろう。
戦後の貧しい日本から立ち上がる時のパワーを担った「日の丸弁当」は高度経済成長期には「ノリ弁」へ。そして時を経て「キャラ弁」に発展し、栄養バランスや彩りやもちろん味も大切な要素で、もはやアートの域へと達した感があり、それは世界に通用する文化へとなっていくような気配すら感じる。生きるすべだった命のツナが、今や子どもだけでなく周りを楽しませ、さらに自分を表現するツールの一つにまで変化を遂げている一連の流れを思うと
一周まわってもとに戻り、上昇する歴史のお約束のようにもしかしたら再び、ひと手間もふた手間もかけるようになってくる時代がくるのかもしれない。(キャラ弁はすでにふた手間以上の領域に突入しているが)
精魂込めて全身全霊で建物の隅っこの方まで装飾を施した世界中の先人たちの素晴らしい工芸品ともアートとも呼ばれることもない、○○○様式という名前すらない無名の柱の彫刻や昔の欄間(らんま)や階段の手すりやら建物の曲線やふくらみに至るまで、今となっては「時間のムダ」と真っ先にコスト削減の対象となりそうなモノに時間を惜しまずかけることができた時代。
そこにあと戻りはできないだろうけれど、人の手のぬくもりと手のあとの持つエネルギーは太古の昔から連綿と続きこれからも止むことはないだろう、と思う。
だって、コリに凝らなくても、プロ並みに上手にできなくてもそこには“愛”というぬくもりが確かに入っている。
そんなことをつれづれに考えながら
さぁ、できた♪
華やかさが抜けてすっかりナチュラルな雰囲気に。
Sayo ちゃんとChiyo ちゃんをよろしくね!
いっぱい一緒に遊んでね♪
向こうで名前つけてもらってね。
とクマちゃんたちにそう告げて。
ニューヨークからフィンランドまで、海を越えて、空を飛んで会いに行ってね!向こうに着くのは2020年になっているかな?
早く孫ちゃんたちに会いに行きたいけど、いつ行けるかな、ヘルシンキ。
ひと足お先に、いってらっしゃい!
無事に着いてね、クマちゃんたち。