師走とは思えないほど
ゆったりとした年の瀬。
このところうちの目の前の桜新道も、
一本裏側となる、箱根駅伝や
国際マラソンなどでおなじみの
第一京浜もすっかり交通量が減っている。
これも長引く不況の影響なんだろうか。
その代わり、といってよいのか
電車はいつも満杯。
一本遅れると、身動きできないほどの
満員すし詰め状態となる。
東京とその近郊のラッシュはハンパない。
もう絶対これ以上はムリでしょ?
冗談でしょ?って思うぐらいに
ギュウギュウにその身を四角い車内にねじこもうとする。
そして閉まるドアと同時に、
まるで魔法のように不思議と収まってしまう。
***************************
学生の頃、いつも乗っていた東武伊勢崎線の
北千住駅では朝のラッシュピーク時間、
各ドアごとに黄色い帽子をかぶった学生らしき
アルバイトがずらっと
みごとなまでの人数でホームの端から端まで
並んで立っていた。
彼らの仕事は電車に乗り込む人たちの
背中を押すこと。
もちろん、あふれかえる通勤、通学中の人々の
交通安全を守るのが第一だろうと思うのだが
実際には、来る電車ごとに
ひたすら無言で、ギュウ~っと押し込む作業の繰り返し。
下り電車に乗る私は、すいた車内に腰掛けながら
反対側の路線で起きている現実に
いつも震え上がっていた。
毎日あれに乗る人は大変だろうな~・・・・。
さぞかし、学校や会社に行くまでに疲れるだろうな、と
気の毒に思っていた。
久々20年ぶりぐらいに降り立った北千住駅。
すっかりときれいになり、今はもうきっとそんなことも
なくなったのだろうな、とちょっと安心したが
それでも、忘れていた記憶、というのは
突然思い出すものである。
***************************
都会は人が多すぎて、
かえって気が長くなるのかもしれない。
待たされることに慣れっこになっていて
そして、忍耐強い。
ちょっとのことでは動じていられない。
いつのまにやら自分を守るすべのひとつとして
自然と備わった特技だろう。
***************************
そんな東京の中心部、表参道。
朝9時半近くに原宿駅から教室まで向かう
谷のようにゆるやかにアップダウンしながら
青山まで続くまっすぐな通りはいつも車であふれかえっているはず、
・・・なのに今朝は、ふと気がつくと長い一本道は
遥か向こうまで見渡せるぐらい、車がなかった。
こんなことは初めてだった。
しかも、今日は15日。
今までは五十日(ごとうび)と呼ばれていた
集金やら振込みやらに追われて、
特に年末は慌ただしさを極めていた日。
うちの近所だけじゃなくて、都心もそんなカンジなんだ・・・。
ちょっと驚いた。
そういえば社用車もグンっと減っている。
商談にくるセールスマンのほとんどか
最近では電車の乗ってやってくる。
会社についたとたん汗だくか、
または冬ならコートを羽織っていたらまず電車だったことがわかる。
真夏でも背広を着ているのに汗ひとつかかず
涼しい顔だったら間違いなく快適な、
冷房のきいた車だったことが一目瞭然である。
集金だって、わざわざ表に繰り出さなくても
今ならパソコンからだってコト足りる。
この現象は、由々しき事態なのか、
それとも、
景気低迷に便乗して、
はからずも健全なecoライフに一直線なのか。
今のところ、はっきりと断定はできない。
***************************
3レッスンを終えて、教室を後にしたのは
午後5時過ぎ。
ケヤキ並木には10数年ぶりという
イルミネーションが華やかに通りを灯して
昼間のぽかぽかとした暖かな陽気や静けさとは
うって変わってその様子が一変していた。
車は、いつものように
ライトをつけて往来していて
まるで街は息を吹き返したようだった。
それでも、昔のバブルの頃みたいに
浮き足だった陽気さでもなく、
景気を悲観した、地に落ちたような悲壮感もなく、
落ち着きを取り戻したような
静けさの中にほんのりと灯るような「光」のような気がした。
***************************
よけいなものをすっかりとそぎ落としたあとの、
本当に必要なだけの“輝き”。
そんな気配をこのところ、街のいたるところで
ひしひしと感じている。
ゆったりとした年の瀬。
このところうちの目の前の桜新道も、
一本裏側となる、箱根駅伝や
国際マラソンなどでおなじみの
第一京浜もすっかり交通量が減っている。
これも長引く不況の影響なんだろうか。
その代わり、といってよいのか
電車はいつも満杯。
一本遅れると、身動きできないほどの
満員すし詰め状態となる。
東京とその近郊のラッシュはハンパない。
もう絶対これ以上はムリでしょ?
冗談でしょ?って思うぐらいに
ギュウギュウにその身を四角い車内にねじこもうとする。
そして閉まるドアと同時に、
まるで魔法のように不思議と収まってしまう。
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学生の頃、いつも乗っていた東武伊勢崎線の
北千住駅では朝のラッシュピーク時間、
各ドアごとに黄色い帽子をかぶった学生らしき
アルバイトがずらっと
みごとなまでの人数でホームの端から端まで
並んで立っていた。
彼らの仕事は電車に乗り込む人たちの
背中を押すこと。
もちろん、あふれかえる通勤、通学中の人々の
交通安全を守るのが第一だろうと思うのだが
実際には、来る電車ごとに
ひたすら無言で、ギュウ~っと押し込む作業の繰り返し。
下り電車に乗る私は、すいた車内に腰掛けながら
反対側の路線で起きている現実に
いつも震え上がっていた。
毎日あれに乗る人は大変だろうな~・・・・。
さぞかし、学校や会社に行くまでに疲れるだろうな、と
気の毒に思っていた。
久々20年ぶりぐらいに降り立った北千住駅。
すっかりときれいになり、今はもうきっとそんなことも
なくなったのだろうな、とちょっと安心したが
それでも、忘れていた記憶、というのは
突然思い出すものである。
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都会は人が多すぎて、
かえって気が長くなるのかもしれない。
待たされることに慣れっこになっていて
そして、忍耐強い。
ちょっとのことでは動じていられない。
いつのまにやら自分を守るすべのひとつとして
自然と備わった特技だろう。
***************************
そんな東京の中心部、表参道。
朝9時半近くに原宿駅から教室まで向かう
谷のようにゆるやかにアップダウンしながら
青山まで続くまっすぐな通りはいつも車であふれかえっているはず、
・・・なのに今朝は、ふと気がつくと長い一本道は
遥か向こうまで見渡せるぐらい、車がなかった。
こんなことは初めてだった。
しかも、今日は15日。
今までは五十日(ごとうび)と呼ばれていた
集金やら振込みやらに追われて、
特に年末は慌ただしさを極めていた日。
うちの近所だけじゃなくて、都心もそんなカンジなんだ・・・。
ちょっと驚いた。
そういえば社用車もグンっと減っている。
商談にくるセールスマンのほとんどか
最近では電車の乗ってやってくる。
会社についたとたん汗だくか、
または冬ならコートを羽織っていたらまず電車だったことがわかる。
真夏でも背広を着ているのに汗ひとつかかず
涼しい顔だったら間違いなく快適な、
冷房のきいた車だったことが一目瞭然である。
集金だって、わざわざ表に繰り出さなくても
今ならパソコンからだってコト足りる。
この現象は、由々しき事態なのか、
それとも、
景気低迷に便乗して、
はからずも健全なecoライフに一直線なのか。
今のところ、はっきりと断定はできない。
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3レッスンを終えて、教室を後にしたのは
午後5時過ぎ。
ケヤキ並木には10数年ぶりという
イルミネーションが華やかに通りを灯して
昼間のぽかぽかとした暖かな陽気や静けさとは
うって変わってその様子が一変していた。
車は、いつものように
ライトをつけて往来していて
まるで街は息を吹き返したようだった。
それでも、昔のバブルの頃みたいに
浮き足だった陽気さでもなく、
景気を悲観した、地に落ちたような悲壮感もなく、
落ち着きを取り戻したような
静けさの中にほんのりと灯るような「光」のような気がした。
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よけいなものをすっかりとそぎ落としたあとの、
本当に必要なだけの“輝き”。
そんな気配をこのところ、街のいたるところで
ひしひしと感じている。