数年前にマンハッタンの語学学校で、
しばらく同じクラスだったクラスメイトは
今、さかんにニュースで流れてくる
首都の出身だった。
その国からは初めての友人。
いつもピシッとしたスポーツウェアに
身をつつんでいて、ある時担任の先生が
ジムに行ってきたの?と聞くと
No, いっつも私はこの格好よ。
だって動きやすくて着やすいんだもの。
と笑顔でにこやかにそう答えていた。
顔も声もすぐに出てくるのに、
名前だけがなかなか思い出せなかったのだが、
さっきふと浮かんできた。
たしか、マリィと呼んでいたように思う。
常に世界各地、十数か国からの
クラスメイトたちで、短期留学だったり
大学へ進学したり、テストのたびに
別のクラスへと進級になったりするので
なかなかずっと同じクラスにいることもないほど
入れ替わりも激しい中で
数ヶ月ほど机を並べたのだった。
ある日のこと。
先生が受け付けから受け取った紙を
彼女に手渡し、これを持って受け付けに行って。と告げた。
ひと目みるなり顔色を変えて
なにかを叫びだし文句を言うのだが
先生は教えるのが担当で詳しい内容は
わからない、だからすぐ聞きに
いってみてごらん。という。
そして彼女は教室を出て
その日は戻ってこなかった。
数日後、授業が始まってしばらくしたら
ドアをあけて入ってくると
泣きながら席についた。
受け付け、ということはきっと
ビザ関係で何かあったのだろう。
そういうことはしょっちゅうあって
みんな青ざめたり、焦ったり、
がっくり落ち込んだり、怒ってみたり
ドキドキしたりすることが
日々繰り広げられていたので
おそらく彼女も何かビザの更新であったのかもしれない。
机の並ぶ教室の中ほどに腰かけると
マリィはその日の授業が終わるまで
泣き続けた。
静かに涙をこぼしたり、
時には嗚咽だったり。
とにかく涙が止まらない様子で
声をかけるのもはばかれるほどだった。
時々心配になってうつむく泣き顔を
見るとはなく振り向いてはそっと見守っていた。
先生に翌日、彼女は大丈夫?と
クラスメイトの誰かが聞くと、
まぁ、彼女の国はいろいろ大変だからね。
という答えが返ってきた。
だから帰りたくなくてここにいたいのか、
国の事情で何かあったのかはわからない。
いろいろあるなんて当時は
知らなかったけれども、でもなにか
とても大変そうなことはあの様子を見て
察しがついた。
それから彼女の姿を見ることはなかった。
連絡先の交換もしなかったし
もうその学校もないからあれから
どうなったのかまったく知るよしもない。
そのままニューヨークに残っているのだろうか。
あるいは他の国へと移ったのだろうか。
それとも故郷へと戻ったのだろうか。
いずれにしても少なくとも家族は
あの場所にいるのだろう。
もしかしたら彼女も家族のもとに
いるのかもしれないな、と思いながら
首都の映像が流れるたびに
胸が締め付けられる思いだ。
最後に見た泣き続けたあの日のように、
今日もまた、今この瞬間も泣いているんだろうか。
それとも、前を真っ直ぐ向いて
どこかに向かって歩き出しているんだろうか。
ひととき共に過ごしたニューヨークは、
今日はどんよりとした曇り空。
とても寒くて樹々も鉄の階段も
凍っているよ。
そちらもきっと厳しい寒さなのでしょうね。
どうか無事で。
どうか生きて。
そうずっと願いながら、祈りながら
ここ数日を過ごしている。
#newyork #またいつか会える日が来ますように#ずっと祈ってるよ