流水の窓

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磐台寺観音堂-沼隈町の文化財(2)-

2006年03月28日 | 文化財と歴史


          磐台寺観音堂(国宝)



 「磐台寺観音堂(ばんだいじかんのんどう)」は昭和31年に国の重要文化財に指定され、「客殿(本堂)」は、昭和37年に広島県の重要文化財に指定されている。
 
磐台寺観音堂は、沼隈半島の岬、約30mの岩の上に建っている。
 本尊は石造十一面観世音で航海安全の祈願所として、子授け観音・安産の守護として近隣村の人々から信仰を集めている。
 
由来によれば、元亀天正(1570~1591)の頃、鞆の浦の漁師、次郎右衛門が阿伏兎の沖で漁をしていた時、石の十一面観音像を引き上げて岩の上に安置した。
 これを伝え聞いた人々は、その霊験を得ようと参拝者が続いたとある。
 又、別の伝承によれば、この観音像は、寛和年間(985~)花山法皇がここに安置したもので、源平合戦の戦火の折り海中に没していたとも伝えている。
 更には、中国地方に勢力を延ばしていた毛利輝元が観音堂を建て、荒廃していた磐台寺を再興し、永代燈明料を寄進したと伝えている。

 観音堂の構造は、三間
(桁行)、二面(梁間)の小堂で後ろに下屋を付けた単層寄棟造りの本瓦葺の建物で四方に縁を取廻し和様の勾欄を取り付けてある。
 建物の観音堂の部分は、円柱を用い下屋の部分は角柱で造り、縁の部分は外側を低くして傾斜を付けている。内部には、彩色を施し天井は格子天井で一枚づつ絵を描き、作者名が入り当時、福山藩の絵師「藤井松林」の絵も観られる。


   
磐台寺客殿(本堂:広島県指定)



 客殿(本堂)は、桁行五間半、梁間五間半、入母屋造、桟瓦葺で方丈形式の書院造りである。内陣にあたる中室が奥中央にあり、右側には、床の間付きの部屋があり、左側には、書院付きの部屋がある。欄間が花菱の透かし彫りでこの近辺では中々見ることが出来ない。
 また、観音堂の石積みは、牛蒡積みと言い、石積みの見える部分の面積は少ないが隠れている面積は多く、しっかりと観音堂を支えている。しかし、一昨年は台風による影響を受け、参道が無くなり、観音堂が数cm移動し屋根も被害を被った。
 しかし、平成十七年三月から六ヶ月間かけて、保存修復事業を行なった結果、軒丸瓦に金箔を施したものや、天正十七年(1589)銘の瓦や、元文二年(1738)銘などの瓦が見つかり、新たな発見があった。
 磐台寺は歴代藩主の庇護を受けていた為、檀家がなく参拝の折には志納を是非お願いしたい。
 本来磐台寺の参拝は、海からの参拝が正式で陸からの参拝はごく最近からである。海から参拝されると「阿伏兎(あぶと)」の意味が良く理解されると思う。

                 [尾道文化財新聞掲載記事]
               [NEWS備後風土記掲載記事]



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