「草深の唐樋門」は、昭和55年に広島県史跡(産業遺跡)として、指定されている。この唐樋門は、江戸時代の寛文年間(1661~1672)に磯新涯(干拓地)約50haが現在で言う所の土地造成により、構築された。
このような、土地造成は、江戸時代、特に水野福山藩時代には数多く造成されていった。
この「唐樋門」は、海水の浸入を防ぐために、満潮時には、樋門を閉めて、干潮時には、樋門を開けて海水の侵入の調整をおこなっていた。
構造は、樋門の部分と、人が管理するための屋根を設けた建物部分との二つの構造からなっている。
屋根の構造部分(下部は樋門部分)
樋門構造部分
調査の結果、江戸時代に修理した際の棟札が二枚見つかり、一枚は、元禄九年(1686)ともう一枚は、安永三年(1774)のものが見つかった。その内容は、二度の修理をおこなった事を記している。
特に、注意して見て頂きたいのは、樋門の構造部分で、太い木材を使用し、八の字型に組んでいる構造は、
昔の人々の叡智が窺える。
現在は、この樋門より外側に作られた新田により、『唐樋門』の役割を終えて、歴史の中で生きた証人として、
道行く人々と移り行く時代を静かに見つめながら佇んでいる。
[尾道文化財新聞掲載記事]
[NEWS備後風土記掲載記事]
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