リオオリンピック、テニスのクォーターファイナル。錦織圭はモンフィスと対戦した。眠い目をこすりこすり、第3セットの第12ゲームからLIVE観戦。半ば無理矢理起こされたのだが、起こしてくれたことに感謝することになる(とはこのとき知らなかったけど)。
ゲームカウント5-6。錦織はこの12ゲームをキープして第1セットに続いてタイブレークに突入した。モンフィスのサーブから始まって錦織は2本のミニブレークを許し、あっという間に0-4。この時点で半分あきらめかけた。なんとか粘って3-4まで持ち返したものの、連続でポイントを失い再び3-6とモンフィスのマッチポイント。これは絶対絶命。「ここから逆転したら奇跡だ」と力なく家人につぶやいたのだった。96年ぶりのテニスのメダルは潰えたか。あーあ。くっそー(失礼)。
ところがところが、錦織がサービスゲーム2本を奪い5-6。あー、でも、ここから2本モンフィスのサーブ。なんとかしてくれ、錦織、がんばれ!ともちろん私は早朝にもかかわらず叫んでいた。
1つめの奇跡が起こった。モンフィスがまさかのダブルフォルトで6-6のタイに。あー本当にミラクルが起こるかもしれない。すでに錦織はゾーンに入っていた。すべてのショットが決まった。外す気がしなかった。7-6と逆転。だが、次の1本で決めなければ、再びどうなるかわからない。そして最後はモンフィスのショットがラインオーバー。その瞬間、錦織は天を仰ぎあふれる涙を抑えることができなかった。見ているこちらも興奮を抑えられるはずがない。何度もガッツポーズを繰り返し、いつもより入念にモンフィスとハグし、互いの健闘をたたえ合った。
ベンチに座ってもタオルで顔を覆って嗚咽する錦織の姿。あー、この試合を生で見れた幸運に感謝した。我が家でも勝利の瞬間、がっちり手を握って錦織の勝利を喜んだのだった。
そして、続いてゴルフの録画中継が始まった。
私はゴルフはやらない。でも試合はたまに見る。リオから復活したゴルフに日本からは池田、片山が出場。松山は多くを語らなかったが、他のトップ選手同様ジカ熱感染と悪化している治安への懸念から出場を辞退した。私はその理由が本当に本人の考えかどうかはわからないと思っている。そこにはスポンサーやらなにやら、さまざまな経済的な論理(つまりお金にまつわるあれこれ)が絡まり合っているのだと推察する。松山に限って言えば、そんな臆病な男とはとても思えない(事実はわからないが)。
ほかの競技のほとんどが、この大会のために4年間(それ以前の競技生活もおそらく)を捧げてきたような選手ばかりが参加している。プロスポーツの選手にとっては、オリンピックが一番の大会でないことは理解できる。かれらの生活根拠はレギュラーシーズンの戦いであり、ツアーであり、スポンサーである。オリンピックで金メダルを取っても直接的には1円にもならない。
メジャープロスポーツの中ではテニスだけが、なぜかわからないがオリンピックでもトップ選手が嬉々として勝利を目指している。確かに4大大会と同じモチベーションではない気はするが、それでもチームとしてベンチ一体となって国を背負って戦う姿が、たとえばこの錦織VSモンフィス戦でも見られた。ひょっとしたらそれは、デビスカップのような権威ある国別対抗戦が存在しているからではないかと思う。テニスにはそうした伝統がある。
いろんな意見があるとは思うけど、妊娠してるわけでもないのにジカ熱の蚊が怖いとか、戦場でもないのに治安が悪いからとか、そんな理由でオリンピックを辞退するトップ選手が続出する競技は外して、別の競技を選ぶべきだと思う。一般の観光客が「怖いからやめとく」というのとは全く意味が違う。「スポーツなんて(究極的には)遊びにすぎない」とある競技のトップ選手が言った。その通り遊びに過ぎないが、人生をかけ、命をかけているという意味で言えば、命がけの遊びなのであって、だからこそ見ている方も感動する。時に生きる勇気さえ及ぼしうる力を持っている。