道義とは「神意にそってすすむ」ことである。
わたしはいつも、第58・59・60代と内閣総理大臣の職にあった故池田勇人を思い出すのである。
子供時分に、後妻 満枝夫人の講演会で聴いた話がいまも脳裏を掠め、忘れられない。
「主人勇人は総理になってからは毎朝威儀を正して神前に手をあわせ、日本の行くべき道、国民の生活について、自分の政治が間違っていないか、神に問いかけていた」という。
これを聴いたとき、子ども心にも総理大臣の重責というものを強く感じ身体がしびれた。
*ちなみに、池田勇人は「貧乏人は麦を食え」でも有名だ。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、
第三次吉田内閣で吉田は一年生議員の池田を大蔵大臣に抜擢して世間を驚かせたが、池田は有能な大蔵官僚であっても政治家としては
駆け出しで、発言に脇の甘さが目立った。
1950年12月7日の参議院予算委員会で社会党の木村禧八郎議員が高騰する生産者米価に対する蔵相の所見をただした。この質疑応答を
池田は「所得に応じて、所得の少い人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則に副つたほうへ持って行きたいとい
うのが、私の念願であります」と締めくくったが、これが吉田政権に対して厳しい態度を取っていた新聞を刺激した。
翌日の朝刊は「貧乏人は麦を食え」という見出しで池田の発言を紹介、これが池田自身の発言として伝わり、各方面から強い批判を受けるこ
とになった。なお、麦飯は白米より栄養価が高く脚気防止にもなるため、ある意味合理的ではある。
との記述がある。
さて、現政権の鳩山由紀を総理大臣、民主党幹事長小沢一郎。
一方は余りにも軽く、もう一方は余りにも不遜。いずれも道義に無縁な人たちで、自公政権に倦んだ国民は、いったんは民主党を選択したもののほんとうにその選択でよかったのか、悔いているというのが現在の心境。いまはだれもが「国や国民」を真に思う政党のあらたな出現を強く望んでいるのである。
わたしはいつも、第58・59・60代と内閣総理大臣の職にあった故池田勇人を思い出すのである。
子供時分に、後妻 満枝夫人の講演会で聴いた話がいまも脳裏を掠め、忘れられない。
「主人勇人は総理になってからは毎朝威儀を正して神前に手をあわせ、日本の行くべき道、国民の生活について、自分の政治が間違っていないか、神に問いかけていた」という。
これを聴いたとき、子ども心にも総理大臣の重責というものを強く感じ身体がしびれた。
*ちなみに、池田勇人は「貧乏人は麦を食え」でも有名だ。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、
第三次吉田内閣で吉田は一年生議員の池田を大蔵大臣に抜擢して世間を驚かせたが、池田は有能な大蔵官僚であっても政治家としては
駆け出しで、発言に脇の甘さが目立った。
1950年12月7日の参議院予算委員会で社会党の木村禧八郎議員が高騰する生産者米価に対する蔵相の所見をただした。この質疑応答を
池田は「所得に応じて、所得の少い人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則に副つたほうへ持って行きたいとい
うのが、私の念願であります」と締めくくったが、これが吉田政権に対して厳しい態度を取っていた新聞を刺激した。
翌日の朝刊は「貧乏人は麦を食え」という見出しで池田の発言を紹介、これが池田自身の発言として伝わり、各方面から強い批判を受けるこ
とになった。なお、麦飯は白米より栄養価が高く脚気防止にもなるため、ある意味合理的ではある。
との記述がある。
さて、現政権の鳩山由紀を総理大臣、民主党幹事長小沢一郎。
一方は余りにも軽く、もう一方は余りにも不遜。いずれも道義に無縁な人たちで、自公政権に倦んだ国民は、いったんは民主党を選択したもののほんとうにその選択でよかったのか、悔いているというのが現在の心境。いまはだれもが「国や国民」を真に思う政党のあらたな出現を強く望んでいるのである。