感想!

主として社会情勢に対する感想。

だまされる国民!

2009-11-19 08:57:51 | Weblog
鳩山由紀夫総理は国会論争で自民党の論客に向け「貴方たちに言われたくはない」とか「マニュフェストは国民との契約で必ず実行する」とか威勢のいい事を言っていた。
その後幾日も立たないうちに「マニュフェストも事業仕分けの対象となる」など
あたりまえのように平気で言ってのける。

弟の鳩山邦夫氏がかつて「兄はずるい人」と、言っていたのを思い出すがまったくその通りの人である。

選挙前、国民は民主党の鳩山由紀夫代表の謀略に掛かったといってもけっして過言ではない。

自民党は民主党のマニュフェストに早くから疑念をもち警鐘を鳴らしていた。
民主党の政策は「財源の裏付けもないばら撒きだ」と、それに対し、民主党は「無駄をやめ、加えて、埋蔵金を当てれば可能」決して荒唐無稽な話ではないと広言、いや高言していたのである。
このところの民主党の事業仕分けは、国民の目にどう映っているのであろうか。
こんなパフォーマンスに惑わされてはならない。そして、しっかり本質を見抜く必要がある。

政権をとるためにはどんな詐術も許されると考えていたのであろうか。
ルールを無視して結果を求めることは裁判においても許されてはいないことなのだ。

鳩山由紀夫総理は、それは選挙前といまとでは状況がまるで変ったと言い逃れるのであろう、きっと。
国民は毎度の記者会見での、鳩山由紀夫総理のソフトで誠実そうな物言いにだまされてはいけない。

また、鳩山由紀夫総理は言うに及ばず、小沢一郎幹事長の、岡田克也外務大臣の発言や動きには特に要注意である。
「拉致問題よりも国交回復のほうが大事だ」小沢一郎幹事長、「日本列島は日本人だけのものではない」鳩山由紀夫総理、歴史認識について村山談話の踏襲だけでは不十分「言葉よりも行動だ」岡田克也外務大臣。

これでは、背筋に怖気を感ぜずにはいられないではないか。

日本国は確実に亡国の一途をたどっているのである。そうとしか思えない。

国民はパンのみを求め、自分の住処のことを忘れてはいないか。住処あってのパンではないのか、家族はどうなるのだ。
自分だけ今日を生きても明日はみんな凍死しているかもしれないのだ。それでいいのか。嗚呼。


餌付けされる国民!

2009-11-14 09:16:58 | Weblog
「また余り世話をやき過ぎぬがよい。政、蜜に過ぎれば、民、創意を失い、民の力は弱まるという」
これは吉川英治、新書太閤記のなかの秀吉が、姉婿の三好武蔵守一路との会話の中で語った言葉である。

民主党政権になって初めての(臨時)国会が開かれている。
連日、マスコミは民主党に好意的な報道を続けている。
日本は確実に崩壊しつつある。日本城というお城の土台・石垣がひとつずつ音をたてて崩れていくのを感じる。

日本経済が冷え込み庶民の生活が苦しいなか、これをあげましょう、あれもあげましょう、の民主等のマニュフェストなるものに魅せられ投票した人たちはいまもそれをよかったと、思っているのだろうか。

戦後、焦土と化した国土の中にあって、復興に立ち上がったあの気概はどこに行ったのだろう?
世代が変ったとは言え、強い自助努力・開拓魂・不撓不屈の精神があればこの経済苦境などを乗り切れないことはあるまい。

こうもしてくれそうなものだ、ああもしてくれそうなものだと行政に縋る脆弱な精神の持ち主が、今日、あまりにも多くなったように思われてならない。

民主党のマニュフェストには空腹を癒すものばかりではない。毒饅頭も含まれているいることを知らなければならない。たとえばそのひとつ、「人権侵害救済法案」の成立をめざすということの記載にわたしは鳥肌がたつのを覚えた。
これがどれほど怖いものであるか。かつて、人権運動団体が差別の排除・撤廃の名の下に非道な糾弾運動をすすめるなかで、幾人、死に追いやってきたことか。その事実が思い出されるのである。
そんなむちゃくちゃなかれらによって、世間の非難に晒された「糾弾」に代わる手段として、時間を掛け巧妙に考え出されたものが、この法案である。
姿を変えオブラートに包んではいるが、これまでのように「糾弾」を続けたいが為のものであろう。かれらは、これまで実に恣意的にまさに恣意的に「それは差別で人権侵害だ」と教育関係者や行政をまた個人までを糾弾の対象としてきた。
それを今度は合法的に組織的に行おうというのである。これについては、正論12月号に東京都議会議員の土屋敬之氏がわかりやすく簡潔に解説しておられるのでそれをお読みいただくとよい。

伝統がどんどん壊され「日本らしさ」「日本人らしさ」が失われていく状況を国民は黙して看過してはならない。
夫婦別姓法案、外国人参政権付与法案もいまや現実味を帯びてきた。土屋敬之氏の呼びかけを待つまでもなくとてもではないが、受け入れられるようなものではないのだ。

百のご馳走を並べられても、それを喜んではいけない。耳かき一杯の毒でも、そのなかに隠されていれば人は死に追いやられるのだ。
いま、日本というお城は非常に危うい状態にある。

格別、わたしが大きな不安を抱くのは、極端な平等主義を主張する人たちが多数、民主党には存在することにである。かれらはジェンダーフリーを信奉し、なおかつ国歌や皇室を軽視してきた人たちである。
かれらは、日本にとって非常に危険な思想の持ち主たちなのである。
思ってもみられよ、国歌「君が代」の精神は、あなたの幸せをとわに祈るという「祈りのうた」であり、
非常に古くから国民に愛唱され、深く国民のアイデンティティーを育ててきた貴重な宝である。
にもかかわらず、この君が代を、いろんな理屈をつけて葬り去ろうとかれらは考えてきた人たちだ。そんな人たちが選挙(政権奪取)後、牙を研ぎ満を持し「時が来た」とほくそ笑んでいるのである。かれらの高笑いが聞こえるようだ。
上があるから下がある。上をなくさない限り、みんな平等にはなれない。だから、皇室を認めず天皇制を廃止しなければならないと、かれらは主張して憚らなかった。

かれらは、皇室というものをすこしも理解していない。
人を人らしくさせる存在、それが「皇室」なのである。
われわれは、皇室が日本人を日本人たらしめる尊い存在であることをよくよく認識しなければならない。

古くからの「伝統を重んじる」このことは非常に大切だ。それがなされて、秩序が保て社会の安定が期待できるというものであろう。

皇室の世継問題に関し「GHQが仕掛けた罠」が功を奏し、皇室の衰退が今日顕著になってきたと、喝采する人たちも存在するようだが、決してこれに与するようなことがあってはならない。

世界に類のない「この日本というすばらしいお城」を国民みんなで守って行かなければならない。先人の威徳を大切にして、この「美しい日本城」を瑕疵のないままわれわれの子孫に引き継がせる努力を、われわれはけっして惜しまないようにしなくてはならない。