鳩山由紀夫総理は国会論争で自民党の論客に向け「貴方たちに言われたくはない」とか「マニュフェストは国民との契約で必ず実行する」とか威勢のいい事を言っていた。
その後幾日も立たないうちに「マニュフェストも事業仕分けの対象となる」など
あたりまえのように平気で言ってのける。
弟の鳩山邦夫氏がかつて「兄はずるい人」と、言っていたのを思い出すがまったくその通りの人である。
選挙前、国民は民主党の鳩山由紀夫代表の謀略に掛かったといってもけっして過言ではない。
自民党は民主党のマニュフェストに早くから疑念をもち警鐘を鳴らしていた。
民主党の政策は「財源の裏付けもないばら撒きだ」と、それに対し、民主党は「無駄をやめ、加えて、埋蔵金を当てれば可能」決して荒唐無稽な話ではないと広言、いや高言していたのである。
このところの民主党の事業仕分けは、国民の目にどう映っているのであろうか。
こんなパフォーマンスに惑わされてはならない。そして、しっかり本質を見抜く必要がある。
政権をとるためにはどんな詐術も許されると考えていたのであろうか。
ルールを無視して結果を求めることは裁判においても許されてはいないことなのだ。
鳩山由紀夫総理は、それは選挙前といまとでは状況がまるで変ったと言い逃れるのであろう、きっと。
国民は毎度の記者会見での、鳩山由紀夫総理のソフトで誠実そうな物言いにだまされてはいけない。
また、鳩山由紀夫総理は言うに及ばず、小沢一郎幹事長の、岡田克也外務大臣の発言や動きには特に要注意である。
「拉致問題よりも国交回復のほうが大事だ」小沢一郎幹事長、「日本列島は日本人だけのものではない」鳩山由紀夫総理、歴史認識について村山談話の踏襲だけでは不十分「言葉よりも行動だ」岡田克也外務大臣。
これでは、背筋に怖気を感ぜずにはいられないではないか。
日本国は確実に亡国の一途をたどっているのである。そうとしか思えない。
国民はパンのみを求め、自分の住処のことを忘れてはいないか。住処あってのパンではないのか、家族はどうなるのだ。
自分だけ今日を生きても明日はみんな凍死しているかもしれないのだ。それでいいのか。嗚呼。
その後幾日も立たないうちに「マニュフェストも事業仕分けの対象となる」など
あたりまえのように平気で言ってのける。
弟の鳩山邦夫氏がかつて「兄はずるい人」と、言っていたのを思い出すがまったくその通りの人である。
選挙前、国民は民主党の鳩山由紀夫代表の謀略に掛かったといってもけっして過言ではない。
自民党は民主党のマニュフェストに早くから疑念をもち警鐘を鳴らしていた。
民主党の政策は「財源の裏付けもないばら撒きだ」と、それに対し、民主党は「無駄をやめ、加えて、埋蔵金を当てれば可能」決して荒唐無稽な話ではないと広言、いや高言していたのである。
このところの民主党の事業仕分けは、国民の目にどう映っているのであろうか。
こんなパフォーマンスに惑わされてはならない。そして、しっかり本質を見抜く必要がある。
政権をとるためにはどんな詐術も許されると考えていたのであろうか。
ルールを無視して結果を求めることは裁判においても許されてはいないことなのだ。
鳩山由紀夫総理は、それは選挙前といまとでは状況がまるで変ったと言い逃れるのであろう、きっと。
国民は毎度の記者会見での、鳩山由紀夫総理のソフトで誠実そうな物言いにだまされてはいけない。
また、鳩山由紀夫総理は言うに及ばず、小沢一郎幹事長の、岡田克也外務大臣の発言や動きには特に要注意である。
「拉致問題よりも国交回復のほうが大事だ」小沢一郎幹事長、「日本列島は日本人だけのものではない」鳩山由紀夫総理、歴史認識について村山談話の踏襲だけでは不十分「言葉よりも行動だ」岡田克也外務大臣。
これでは、背筋に怖気を感ぜずにはいられないではないか。
日本国は確実に亡国の一途をたどっているのである。そうとしか思えない。
国民はパンのみを求め、自分の住処のことを忘れてはいないか。住処あってのパンではないのか、家族はどうなるのだ。
自分だけ今日を生きても明日はみんな凍死しているかもしれないのだ。それでいいのか。嗚呼。