感想!

主として社会情勢に対する感想。

給食費未払い問題

2007-01-25 10:10:34 | Weblog
連日、TVでこの問題が取り上げられている。払える経済力を持ちながら払わない家庭が増えているらしい。
全国規模で見ると、今現在、滞納未納分は22億3000万円に及ぶという。
滞納未納者の6割は責任感・道徳心のないことによると分析されている。

周知のように、学校教育が崩壊している。いじめ、授業中の立ち歩き、先生への暴力等々。おそらくこれらは給食費未払い問題と同一の根っこから出ているのであろう。

ということは、教育崩壊の現況は正に家庭にあると断定してよいと思えるのである。

考えてみれば、高学歴の親が増えるにつれ学校の教育力・指導力は減退の一途を辿った。
それは学校や教師に非協力な親がそうさせているのだ。

そうした環境の中で、子どもは手に負えない悪餓鬼に育つたというわけだ。
かれらは学校の中で暴れまわるだけでなく、街の中で、ついには自分の家の中でさえ傍若無人ぶりを発揮するのだ。

すべては、親が家庭がそうした子どもを作ったのである。自分が育てた子に自分が殺される。
これくらい因果関係の明確なことはないと思われる。

なるほど、高学歴な親から見て学校や教師が頼りなく思える時が間々あろう。

しかし、昔から言うではないか、「いわしの頭も信心から」と。すなわち御利益は信心から生まれるのだ。

学校を信じ、教師を敬うことだ。ここから御利益が得られるのだ。子どもは素直に育つのだ。
親を尊敬し、やさしい子になるのだ。
子どもは「親の鏡」。わが子を見て親は己を深く反省しなくてはならない。

「払える経済力を持ちながら払わない家庭」で育った子の行く末が心配でならない。


出席停止措置について

2007-01-24 19:30:19 | Weblog
これからは、いじめの加害者に出席停止措置を採ることが出来るという。結構なことだと思う。
このことは、これまでいじめられる側にも問題があるなどとして、あいまいな指導に終始して来た指導のあり方が見直されることを意味する。

もっと言えば、
これは理由はどうであれ、いじめ行為と分かれば出席停止措置が可能という結果主義への転換であり、学校現場において大きな変革の一歩となるはずだ。
やがて、情状酌量、温情、初犯といった考え方は排除され、厳罰主義が支配的になるだろう。
徐々にではあろうが学校の空気は一新するに違いない。

いずれにせよ、学校や教師が強くならなければ学校教育は成り立たないのである。
これが教育再生への梃子になればと期待する。


興味深い記事

2007-01-19 20:38:44 | Weblog
8歳に密林で不明の女性、“野生化?”19年ぶり発見(読売新聞2007年01月19日)
 【バンコク=田原徳容】カンボジアからの報道によると、同国北部のジャングルで、8歳で行方不明になっていた女性(27)が19年ぶりに発見され、無事救出された。

 地元警察によると、女性は右腕の傷跡で本人と特定されたが、長年のジャングル暮らしで言葉もほとんど話せず、「半分人間、半分動物」の状態だという。

 女性はロチョム・プンギェンさんで、1988年に首都プノンペンの北東350キロメートルにあるラタナキリ州の村で、水牛の世話をしていた際にいなくなったとされていた。

 地元メディアなどによると、最近、村で食料が盗まれる事案が頻発し、村人が見張りを立てたところ、13日におなかをすかしたロチョムさんが裸で現れ、
地面の米粒を拾って食べるなどした。保護されたロチョムさんは空腹になると腹をたたいて知らせ、服を脱いでジャングルに帰るしぐさも見せたという。

  

この記事で思い出した。
1920年インドのミドナプールで狼に育てられた2人の子どもの話である。2人の子どもは牧師のシング夫妻に引き取られアマラとカマラと名付けられ世話を受けるが、
どうしても「人」には成れなかった。

『人は人間社会で育てられてこそ人になる』ということであろうか。

だとすると、今日、人とは思えない振る舞いをする人間が次々と育っているが、それは「人間社会が人間社会でなくなって来つつある」からだとも考えられる。

「よき人間社会」が「より人間らしい人間」を育てる。それは、おそらく真理であろう。

「よき人間社会」を構築するのは、正に政治に負うところが大きい。
そのように考えてくると、如何に選挙が大事であるかを思わざるをえない。


安倍降しが激しくなってきた

2007-01-11 09:29:13 | Weblog
相次ぐ大臣の金銭に関する疑惑が、このところ毎日のように次々と暴かれている。
ここに来てそういう問題が一気に出るということは、政治的意図をどうしても感ぜざるをえない。
その勢力が党内にあるのか野党にあるのか、その他の政治的運動団体にあるのかは、分からない。
勿論、疑惑があって良いと言っているのではない。疑惑をもたれること自体、政治家として問題である。
しかし、そんなことで安倍政権が崩壊するようなことがあっては、国民にとって大きな不幸である。
せっかくの日本再生の空気が窄まることが、大いに危惧されるからである。
安倍政権に反対の勢力はそれが狙いかもしれない。ならば余計に安倍政権をつぶしてはならないのである。
憲法改正は日本再生の土台作りである。ぜひとも安倍総理にやり遂げてもらいたいのである。
ちゃんとした憲法改正ができる人は、現在、安倍さんを措いて他にないと思えるからである。

安倍首相の明治神宮参拝に思う

2007-01-07 10:47:08 | Weblog
「美しい国、日本」を政治目標とする安倍首相の明治神宮参拝を当然のことと受け止める。
なんといっても伊勢神宮や明治神宮は日本国の、家に例えるなら大黒柱である。これを大切にしなければ日本という国家の、それこそ屋台骨が揺らぐのである。
ところで現在、先祖を祀る仏壇のある家がどのくらいの割合で存在しているのであろうか。
核家族化が進み仏壇を持たない家もかなりの割合になっていると想像する。
昨今、若者の間で「自分探しの旅」という言葉をよく聞くが、わたしには、この仏壇問題と無関係ではないように思われてならない。
また、日本人の精神の荒廃も、家庭の中で仏壇に手をあわせる習慣の欠如が遠因に有るに違いない。そう思っている。
「畏れ」「敬い」「情け」というような人間としての根本精神の涵養に「先祖を祀る仏壇」の存在は、われわれの想像をはるかに超えて大きいものがあるように思う。
仏壇へのお茶、ご飯、灯明、線香のお供えをし、毎朝手をあわせる親の姿が子に対し、よい影響を与えずにはおかないだろう。
人間としての基本的精神は、親のそうした行為や姿を見ることによって、あたかも水が大地に吸い込まれていくように子どものからだに沁み込んでいく筈だ。
個人主義が核家族化を生んだが、それによって得たものも多いだろうが、それ以上に失ったものの方が大きいのである。
日本のよき伝統や慣習を、この際もう一度謙虚に真摯に見直してみるのも意義があるのではないだろうか。