感想!

主として社会情勢に対する感想。

日本も核について議論すべきだ

2008-08-13 07:17:17 | Weblog
北朝鮮が核を持った。それが確認できたときアメリカの対北朝鮮外交は180度転換した。転換を
余儀なくさせられた。これがまさに核兵器の威力だ。
核兵器の保有国と非保有国の間のギャップはわれわれが想像する以上に大きいのだ。
日本はそのことを間近でまざまざと見せ付けられた。
とどのつまり「外交とは武力」であるということだ。北朝鮮によってそれが明確に証明された。

もしも核戦争が起これば人類は滅亡する。その意味では核兵器は無用の長物である。
しかし、北朝鮮は核兵器の本質を見抜いていた。
核兵器は兵器であって兵器ではない。金正日は核兵器の本質を「絶対的ともいえる外交力」と洞察したのである。
日本人にはこのことがなかなか理解できない。被爆体験が核と聞いただけで拒否反応を起こすからであろう。
戦後、これまで日本は平和に遣ってきではないか。いまなぜ「核」なんだという思いもあろう。

けれども、日本を取り巻く環境がいまや急速に変化していることを見過ごしてはならない。
アメリカはもはや日本を守ることにメリットを感じなくなりつつある。安保破棄のタイミングを探しているという状況に既にきていると思った方がいい。中国との親密外交、北朝鮮への急接近などは安保不要への兆候とみなければならない。アメリカが安保破棄にいささかの逡巡があるとすれば、忠犬ハチ公的であった愛すべき日本を手放すことの寂しさだけだろう。

世界情勢を冷静に見れば、日本人ならだれしも「日本は核兵器を持つべきだ」という考えに至る筈だ。
国際社会で発言力を得るには、核兵器の保有は必須条件なのである。
核兵器を保有すれば北朝鮮のようなごり押し外交だって遣ろうと思えば可能になる。
核兵器を持って日本は世界の平和に貢献する道を積極的に進めばいい。
毒薬と良薬は表裏一体で、核兵器は国の守り神にもなるのだ。
発言力の弱い国が平和平和と叫ぶよりは、発言力を強化して平和を訴える方がよほど効果があがろうというものだ。
念願の国連安全保障理事会常任理事国入りも日本が核保有国となることでうんと現実味を増すであろう。

ユートピア的理念のみでは何も動かないし己すら守れない。現実を直視しよう。
昭和50年代に「ハリネズミ防衛論」というのがあったが、そんな一元論でなく多元的に「核」を捉え考えるべきである。
核兵器を持てば、国際社会で強い発言力を得るばかりでなく、他国の侵略を防ぐには最上の方策でもあるのだ。
日本の領土をねずみがかじるように蚕食しようとする国に対してこれ以上の防衛策はないのである。

日本が核兵器を保有すれば国民の意識も変わる。依存体質から脱却するだけでなく自分でものを考えるようになるだろう。
そしてそれは真の独立国家に生まれ変わることでもあるのだ。
社会も変わる個人も変わる。自分さえよければという利己主義はだんだん姿を消し共同体意識がつよくなり、わたしの想像では現在の核家族制も徐々に大家族制に移行していくのではないか、そんな変化も起こってくるかもしれないと思っている。
それは単に昔に返るというのではなく、より安心な共同体に身を置くことを無意識に模索するようになるからである。それは自己防衛本能が蘇えることを意味する。これまで希薄に成っていた血族の結びつきも重要な意味を持って見直されるであろう。
個人と政府(国家)が直接結びつくのではなく、身近な共同体を大切に考えるような社会に変わっていくだろう。
国民は武士が刀を帯びたときの緊張感を常にもつであろうし、それは決して悪いことではない。



外交の戦略的原則の必要性

2008-08-07 09:25:22 | Weblog
日本政府には外交の戦略的原則がまったくない。担当大臣でブレが大きすぎるのでそれが分かる。
中国の例で考えると、
中国は日本の歴史及び国民性を徹底的に分析し日本に対しての戦略的原則を確立している。
かれらは日本を「圧せば退く国」と断じ、譲歩や妥協しなければ必ず勝つとの信念を持つに至っている。
したがって、
だれが対日本外交の担当者になってもこの姿勢は変わらないというわけである。
日本は交渉の相手国がどんな国であるかを中国のように分析しているのであろうか。
東シナ海油田問題ひとつを取ってみても同じ経済産業大臣の中川 昭一のときと二階 俊博のときとでは
その対応・取り組みが全然違う。外交の一貫性が見られない。大臣の国益に対する理解に差がある。
これでは国民を納得させる外交など出来る訳がない。
中国は交渉がすすまないとみると、「この問題は棚上げにしよう」「解決は次の世代でもいい」などと
いって時間稼ぎをしその間自分たちに有利な環境を構築するのである。
日本は人がよすぎる。
国際社会は弱肉強食社会であることをしっかり理解しなければならない。
孫子の兵法「彼を知り己を知れば、百戦して殆うからず。」
中国はその通りに動いているのである。


改造内閣は目くらまし!

2008-08-02 08:28:48 | Weblog
このところの国民の生活不安・閉塞感・政治の行き詰まり。
これを乗り切るためには内閣改造しかない。
今度の改造内閣についてのわたしの感想はこうだ。
人は重厚内閣だという。それは首相のリーダーシップが取れないことを意味する。
ひとついえることは国民の期待する財政再建路線ではなく国民がもっとも望まない
方向の財政再建路線を明確にしたこと。そして小泉改革と決別したことだ。
もっといえば、国民生活がどうなろうと日本がどうなろうとわたしだけの責任では
ありませんよ、と、そういう布石・姿勢が見え隠れする内閣である。
おそらく福田首相は内閣改造が出来たことでやれやれ荷が軽くなった。そんな気分
になっているに違いない。
「さあ、みんなしてわたしの目の前のハエを掃ってくれ!」
そいうことだ。
麻生太郎氏の入閣については、本人の思いを想像すると、次の選挙で自民党政権は
もはやないかも知れない。であれば自分の志を少しでも実現させる機会は今しかな
い。そう思った。もちろん、支援者の期待も大きく作用したのであろうが。
昨日の時点での株価の動きに国民の反応をうかがうことが出来る。
国民の気分は少しも晴れないのだ。


愚図の福田総理!?

2008-08-01 07:40:07 | Weblog
今日内閣改造があるのかないのか。なんともはっきりしない総理だ。
やはり「うふふ」の印象が強い。
竹島問題が怪しい雲行きになった。韓国は軍隊を配置したと聞く。
日本も海軍を出したらどうだ。戦争をしかけよというのではない。
日本の強い意志を示すのである。「まあまあ、冷静に」というだけでは
外交にならない。
こうした時、あのサッチャーの決断が思い出される。
それは1982年のフォークランド戦争である。
アルゼンチン軍のフォークランド諸島への侵攻に対し、サッチャーは
間髪をおかずに艦隊と爆撃機を派遣、多数の艦艇を失ったものの、
2ヶ月の戦闘の結果アルゼンチンを放逐した。
ときにはこうした断固とした対応が必要だ。
いつもいつも相手が望まないことはしないという福田総理の姿勢には
ついていけないのである。
いま国民は強力なリーダーシップを発揮できる指導者を望んでいる。
内閣改造よりも福田総理の引退を希望する。